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エンタメ異人伝 Vol.3 インディペンデント・ゲーム・クリエイター もっぴんa.k.a. 麓 旺二郎(ふもと おうじろう)

「ゲームをテーマにした小説やテレビ番組は当たらない…」
…と言われてきました。私自身も過去に書き溜めた原稿を基に書籍企画として出版できないかという打診を複数の出版社に打診したことがあります。反ってきた反応は上記のようなものでした。

しかし、このところテレビの番組表を見ると、若干その様相は異なっているようです。テレビ東京系列ではサイバーコネクトツー・松山洋社長の原作コミックから派生したドラマ「チェイサー・ゲーム」、そして伝統あるTBSの日曜劇場では、町のしがない玩具メーカーが大手のゲーム会社にインディーズゲーム開発で戦いを挑む、いわば「半沢直樹」のゲーム版の焼き直しのような人情ドラマ「アトムの童(こ)」がオンエア中です。

その「アトムの童」のなかで「ジョン・ドウ」が開発したゲームとして紹介されるのが「Downwell」です。今回は2017年に取材公開した「もっぴん」さんこと「麓旺次郎(ふもとおうじろう)」さんのインタビューをここに再掲します。御高覧よろしくお願いします。

もっぴん氏 2017年3月 撮影:北岡一浩 

「もっぴん」ハンドルネームの由来…?


黒川:こんにちは、お会いできて光栄です。
まず、最初に確認しておきたいのですが、ハンドルネームの「もっぴん」さんと、お呼びすればいいのか。それとも本名の麓(ふもと)さんとお呼びしたほうがいいのか。ご本人としてはどちらがいいでしょうか。
 
もっぴん:どうしよう……僕としては本名を定着させたかったんですけど、SNSでの名前を「もっぴん」にしたらそれが広まってしまって。いっときSNSの名前も本名に変えたんですけど、でも、本名で呼んでくれる人はほとんどいないんで、もう、あきらめ気味なんですよ。だから、「もっぴん」でやっていくべきなのかなって感じです。
 
黒川:「もっぴん」ハンドルネームの由来を聞かせてもらえますか?
 
もっぴん:僕は本名が麓 旺二郎(ふもと おうじろう)で、大学の頃の親友が僕に付けたアダ名が「ふもぴ」だったんです。でも、そいつは気まぐれなヤツで、ときどき適当なあだ名で呼ぶんです。いろいろな呼び方があったんですけど、そのひとつが「もっぴん」で…。

黒川:そうだったんですか。
 
もっぴん:それで、ゲームを作り始めるにあたってツイッターのアカウントを作ることにしたんですけど、その時、既に「ふもぴ」という、本来のあだ名のアカウントは取っていたんですよ。それは、学校の友達なんかとの連絡用にしようと思っていました。
そのアカウントとゲーム開発用には分けたいな…と思っていたので、「(新アカウントの)名前どうしよう、ほかにどんなあだ名があったっけ?」となって「ああ、『もっぴん』でいいや」みたいな感じです。すごく適当だったんですよ。まさか、定着するなんて思っていなかったですし。
 
黒川:今や、ほぼ世界的に定着しちゃいましたね。
 
もっぴん:世界的って(笑)。そんな大層なものじゃないと思いますけど。でも、そうですね……海外でも定着気味なのかな? ただ、海外ではわりと本名でも広まっているところはありますね。
 
黒川:海外ではやはり「オウジロウ、元気か?」みたいな感じで、ラストネームで呼ばれているんですか?
 
もっぴん:そんな感じです。でも、日本のネット上から出てきたインディーゲームや同人ゲームの開発者の人って、あだ名を使っている方が多いですよね。そのあたりは日本と海外の文化の違いなのかなと思うところがあります。いっとき僕が本名にしたいなと言ったとき、「(本名を公開して)大丈夫なの?」、「ヤバくない?」みたいな感じで言われましたから。
 
黒川:ヤバくはないですよね。(笑)
もっぴんさんの場合は、どこかにお勤めしているわけでもないし。日本のインディー開発者で名前を出さない方って、どこかにお勤めしながら個人制作でやっている方が多いじゃないですか。だから本名を公開しないのかなと僕は思っていますけどね。
 
もっぴん:そうかもしれないですね、確かに。
 
黒川:では、これからも「もっぴん」でいくと?
 
もっぴん:日本ではそうですね。
 

ゲーム原体験「俺はできないけど兄貴は上手だなあ」


黒川:なるほど、よく分かりました。ご出身はどちらですか?
 
もっぴん:出身は香川県です。
 
黒川:もっぴんさんのゲームの原体験の部分を聞かせてもらえますでしょうか?

もっぴん:一番古いゲームで覚えているのはスーパーファミコンですね。『ドンキーコングカントリー(注1)』などのソフトが家にありました。難しすぎて僕は全然できなかったですけどね。
 
それで、僕には2歳違いの兄貴がいるんですが、その兄貴がめちゃめちゃゲームをする子供で、いつも後ろから見ていました。「俺はできないけど兄貴は上手だなあ」と。でも、自分でもできるようになったときがあって、「うわ、俺できるじゃん」ってメッチャ感動して。それで、僕もハマっちゃったんです。だから、ここまでゲーム好きになったのは兄貴の影響が一番大きいと思いますね。
注1)『スーパードンキーコング』の欧米でのタイトル
 
 

東大の3倍入学するのが難しい東京藝大を入学して中退した理由…

 
黒川:もっぴんさんは、東京藝大(東京藝術大学)在学中にゲーム開発者としてデビューされたわけですが、まだ休学中ですか?

 
もっぴん:いえ、もう辞めました。
 
黒川:そうでしたか。そもそもの話になりますが、なぜ藝大に入ろうと思われたのでしょうか。
 
もっぴん:どこからスタートしたらいいのかな……幼少期からゲームが好きだったんですけど同様にゲーム音楽もすごく好きで。それで、12、3歳くらいのときにベートーベンの『月光』っていう曲をYOUTUBEか何かで聞いたんです。それがすごくいい曲で感動したんですよ。「こんな昔の人間が作った曲に今の俺が感動しているのはヤバい!」、「ベートーベンすごすぎる!」と。当然、ゲーム音楽も無から生じているわけじゃなくて、作曲家がいて作っているわけじゃないですか。そう思い始めたら「作曲家ってすごいな」という意識になって。それで、ゲーム音楽作曲家になりたいと思うようになったんです。
 
黒川:そういうわけだったんですね。
 
もっぴん:そのときはまだニュージーランドにいたんですが、香川県にいる父に電話で「夢、見つかったわ」、「作曲家になりたい」みたいな話をしたら、音楽科のある高校が地元にあるぞと教えてくれて。
「それ、入るしかないじゃん」となって日本に帰ってきたんです。
 
黒川:それで15歳のときに日本に戻ってきたんですね。
 
もっぴん:そうです。でも、音楽科のある高校を受ける生徒って、すごく小さい頃からバイオリンとかピアノとか習っている人たちばかりなんですよ。
もちろん、僕はゲームをしていただけで、楽器の演奏を本格的に習った経験はないので体験入学に行ったとき、その学校の先生に「どうしても音楽の勉強がしたいんです。何とかして入学するすべはないですか?」って聞いてみたんです。そうしたら「声楽、歌が手っ取り早いんじゃない?」と。
 
黒川:なるほど。
 
もっぴん:それが受験の4カ月前くらい前のことで、そこから歌の先生について勉強して、なんとかその高校に入ることができたんです。でも、その高校は作曲とか教えてはいなかったんですね。それで、「作曲ないな~」と思いながら3年間が過ぎたわけですが、どうやら僕はノドが良かったらしくて、大学受験のとき「お前、藝大行けるんじゃないか?」みたいなことを言われて。で、まあ受けたら合格しちゃったと。
 
黒川:あははは、そういう経緯だったんですか。
 
もっぴん:僕もなんか調子に乗っちゃって、その頃には作曲のこととかほとんど忘れていましたね(笑)。もちろん、僕はゲーム関係の仕事に携わりたかったんですけど、藝大に受かっちゃったので「ひょっとしたら歌、オペラが天職なのかも?」とか思い始めちゃって。
 
黒川:それは思っちゃいますよね。

卒業間近になって、本当にやりたかったことが見つかった

 もっぴん:でも、いざ藝大に入ったら周りのレベルがすごく低かったんですよ。藝大ってレベルが高いって思われていると思うんですけど……もちろん、学科によってはそうですが、歌に関して言えば適当な人たちが大半だったという印象です。

もちろん、努力もあると思いますが、ほとんどのの場合、声楽って努力とかじゃなくてノドの良さで決まる部分が、かなり大きかったのではないかと思います。
 
黒川:声の通りの良さがもっとも重視されると?
 
もっぴん:そうです。これってもう遺伝子だからほぼクジ引きなんですよ。それで、音楽への思い入れもたいしてないのに、クジに当たって調子に乗っているようなやつらばっかで、「なんだ、これ?」となりました。
 
そう思いながらも大学で3年間、一応歌をやっていたんですけどね。でも、卒業が近づいてきて「本当にやりたかったことはなんだ?」って思い始めたんです。「ゲームに携わりたかったんじゃん」と。ちょうどその頃にインディーゲームが流行り始めていて、2、3人で作ったゲームが大ヒットとかXbox Liveなどで配信できるとか、そういうのをけっこう読み漁っていたんですよ、単純にゲームオタクとして。
 
黒川:それで、自分でゲームを作ろうとなったわけですか。
 
もっぴん:自分に可能なのかなという認識はもちろんありましたよ。でも、このまま藝大を出ても一番良くてオペラ歌手で、ほとんどの人は高校とかの音楽の教師にしかなれないっていう世界ですから。で、一番良いオペラ歌手になれたとしても、本当にそれになりたいのかと。いや、それよりもゲームに携わりたい、ダメモトでゲームをやってみようって思って、1人で作り始めたんですよ。

「Game A Week」との出会いと13週チャレンジの結果


GameMaker:Studio 開発画面


黒川:それが「Game A Week」だったわけですね。
 
もっぴん:そうです。僕が尊敬しているインディーゲーム開発者が記事の中で「Game A Week」について書かれていたのを読んだんです。駆け出しの人は1週間に1個ゲームを作ってみようという。「これだ!」と思って小さいゲームを13週続けて作ったんです。それまでゲーム制作について何も知識はなかったんですけど、今はツールもすごく充実しているし、ネットで検索したら作り方なんか出てきますからね。

独学でしたが、その13週間で基礎的なところは全部いけるようになって。ちょっと1個大きいプロジェクトをやってみようと思って作ったのが『Downwell』だったんです。
 
黒川:なるほど分かりました。それでツイッターなどの活動も始められたと。
 
もっぴん:はい、そこでスクリーンショットなどを投稿していたんですが、ある日Devolver Digital(デボルバー・デジタル)(注2)というパブリッシャーから声がかかりまして。売れっ子のパブリッシャーで僕もよく知っていたからもう大興奮で即契約したいと。で、その時点でもう藝大に行っている意味はないなと思ったんですね。
 
注2)『Titan Souls』、『The Talos Principle』、『はーとふる彼氏』などの配信を手掛けるアメリカのインディー・パブリッシャー。
 

ゲームを1作品開発したと履歴書に書いた方が価値はあると思った


写真 Screenshake2016講演より


黒川:なぜ、そう思われたのでしょうか?
 
もっぴん:もし、この話がダメだったとしても音楽の先生になるつもりはなかったですからね。もう、ゲーム関係の会社に就職したいと思っていたし、それなら藝大で声楽・オペラを選ぶよりも、海外のパブリッシャーと契約してゲームを1本出したと履歴書にあったほうが絶対に価値があると。こっちに力を入れる方がいいと考えて大学を辞めました。
 
黒川:そうした思い切りのいい判断ができるのは、一番多感な時期を海外で過ごしたからというのもあるのと思うのですが、日本に帰ってきたときやはり違和感はありましたか?
 
もっぴん:帰ってきたばかりのときはありましたね。やっぱり10歳から15歳までの5年間ってけっこう重要な時期だったのかなと思います。10歳まで過ごしていたので、ある程度日本のことは知っている気でいたんですけど、いざ帰ってきてみたら「あれ、日本ってこんなだったっけ?」と感じるところがあって。受験、受験、勉強、勉強みたいなところは特に違和感がありましたね。「こんなに頑張らなきゃいけないの?」、「楽しくないなあ」と。

黒川:やっぱり、そう感じますか。
 
もっぴん:そうですね、それは藝大のときも思いました。大学を出たら絶対に就職しなきゃいけない、安定した職につかなきゃいけないみたいな風潮というか。もちろん、自分のやっていることがかなりリスクの高いことだと分かってはいるんですが、「それは無謀だぞ」、「“大学卒”って履歴書に書けなくなるぞ」みたいなことばかり言われて。海外では大学を卒業もしくは中退でインディースタジオを立ち上げて、ゲーム開発をしている人たちの事例もちらほら聞きますが、日本であんまり聞かないですよね。
 
黒川:確かに、いないですよね。
 
もっぴん:そこはもう本当に文化というか、「安定した職につかなきゃいけない」、「大学は卒業するべき」みたいなところがあるからやりにくいのかなと。だから、ゲームを作りたいと思った人がいたとしても、じゃあ個人で、少人数で作ろうっていう考えにいきにくいと思うんですよ。でも、今はSteamやApp Storeみたいなプラットフォームがあるし、国とかも関係なくなっているじゃないですか。
 
黒川:おっしゃる通りだと思います。日本のインディーの開発者の方はリスクヘッジを考えながら作っているようにも思いますね。どこかに所属しつつ、ハンドルネームを使ってインディーゲームを作っているという方が多いのではないでしょうか。
 
もっぴん:そうなんですか。でも、今は作っちゃえば全世界どこへでも売れるわけで、日本に住んでいて何も不利なことはないですからね。海外の人がそうやって生活できているんだったら日本でもできるはずですし、少なくとも僕はそう思ってやっていました。
 

「GameMaker:Studio」を選んだ理由は無料版があったから


 
黒川:なるほど、そうですね。開発の実態に関して伺いたいのですが、ゲーム制作ツールに「GameMaker:Studio(ゲームメーカースタジオ)」を選ばれたのはなぜですか?
 
もっぴん:Vlambeer(ブランビア)(注3)というインディースタジオのゲームデザイナーを僕はすごく尊敬していて。さっきも言った「Game A Week」の記事を書いた方なんですけど、その方が使っていたツールが「GameMaker」だったんです。
それで、調べてみれば入りやすいし、なおかつ高度なものも作れるみたいなことが書いてあって。無料版があったのも大きかったですね。とりあえず触ってみて、使えそうだからこれでいってみようと。
 
注3)『Ridiculous Fishing』、『Super Crate Box』などの人気作を手掛けたオランダのインディー・ディベロッパー。
 
黒川:やはり、いろいろなアセットがあって、それを組み合わせてゲームを作るみたいなタイプなんですか?
 
もっぴん:いや、アセットはなかったです。ただ、僕自身はほとんど使わなかったんですけど、初心者だったらドラッグ&ドロップでなんとかできたりするんですよ。「キャラクター移動」っていうのにドラッグ&ドロップして、どのくらい移動するかっていう数値を打ち込むだけみたいな、そういう使いやすさがありました。さすがに中級になると、ドラッグ&ドロップだけでは難しくなりますが、そこからは普通にスクリプトとかプログラミングでやればいいわけですし。
 
黒川:初心者も扱いやすくて本格的なこともできると。
 
もっぴん:いろいろなインディーゲームの開発に使われている、流行りのツールだったというのも大きかったですね。けっこう古くからあるツールでチュートリアルとかがすごく充実していて、YOUTUBEとかで検索すればバンバン出てくるんです。分からないことがあっても検索すれば絶対答えが見つかるような感じでした。

試行錯誤の繰り返しのゲーム開発で感動したこと

 
黒川:それで、最初に作ったのが『悲しい顔が他の悲しい顔に触れると笑顔になるゲーム』。自分で作ったものが動く感動を感じたということですが。

 もっぴん:そう。そうです、本当に! 矢印を押して動くっていう時点で感動がヤバくて! 「これだ、これがやりたかったんじゃん!」みたいに思って。
 
黒川:そんなに感動したんですか。
 
もっぴん めちゃめちゃ感動しましたね。そこからもう本当に止まらなくなって、次はジャンプとか重力とかを……。
 
黒川:『ジョウハンシンの冒険』ですね。
 
もっぴん:そうですね。矢印を押したら上下左右に動くっていうのは分かった。じゃあ、次はマリオっぽい重力とかジャンプとかやりたいと思って検索したら、「重力加算値」みたいなものの説明が出てきて。今までやっていた『メトロイド』(※注)とか、全部こうやって動いているんだと分かって、そこでまた感動があって。
 
(※任天堂ファミリーコンピュータ ディスクシステムゲームソフト)
 
黒川:なるほど、自分がやってきたゲームにあてはめてみて、どういう仕組みで作っているのかが分かるようになったということですね。

もっぴん:そうだったんですよ。ジャンプっていうのは地上にいるときにしかできないものだから、地上にいるときのみってコードを書いてジャンプっぽくしたけど、1回だけ空中でジャンプをできるようにしたら2段ジャンプになるんだよな、みたいな。そういったことが自分の中でポンポンポンポンと…。
「あのゲームのアレはこうなっているんだ」みたいな理解が深まっていって、めっちゃめちゃ楽しかったですね。
 
黒川:さらに『にゃんこ大戦争もどき』、『飛行機を撃ち落とすゲーム』、『アドベンチャーゲーム』、『息子クエスト』と作られていったわけですが、やはり「今回は演出を勉強」「今回はターン制」みたいな目的で作っておられたんですか?
 
もっぴん:そうでしたね。できるだけ違ったジャンルのものを作ろうと努めてはいました。そっちのほうが経験になるだろうなと。
 
(写真はFantastic Arcade 2016 より)
 
黒川:さきほど、チュートリアルはネットで参照したと、おっしゃられていましたが全部英語ですよね?

もっぴん:はい、英語です。
 
黒川:ですよね。日本語ではあまりないですよね。
 
もっぴん:それが惜しいんですよね。日本のインディーや同人ゲームもわりと2Dのものが多いじゃないですか。だから、「GameMaker:Studio」のチュートリアルさえ充実していたら、日本でもすごく使われるだろうなとは思うんですけどね。
 
黒川:ご自身で実践書とか入門書を出してみるというのはどうですか?
 
もっぴん:書けるかもしれないですけど……本を書く能力は多分ないですからね。(苦笑)


写真 Fantastic Arcade 2016 にて


自分も生きている人間だからできないことはないだろう

 
黒川:いや、書けると思いますけどね。話は変わりますが『Ridiculous Fishing - A Tale of Redemption』について聞かせて下さい。あの作品から多くのインスピレーションを受けたという記事を拝見しましたが……。
 
もっぴん:『Ridiculous Fishing』は僕の尊敬するVlambeerがiOSで出したんですけど、その前にフラッシュゲームで作っていたんですね。
それがけっこう人気になってiOSで出そうということになったんですが、別のところがそのフラッシュ版の丸パクリゲームを先に出しちゃって、しかもそっちがヒットしちゃったんです。それで、Vlambeerはかなり悩んだらしくて。自分たちが『Ridiculous Fishing』を出しても、そのパクったヤツ……『Ninja Fishing』というゲームなんですが、自分たちがそのゲームをパクったと言われるんじゃないかと。この騒動は海外のゲームニュースサイトとかで広まって、結果として『Ridiculous Fishing』のほうが断然高評価でゲームも売れたんですけどですね。
 
黒川:なるほど、そんな話があったんですね。
 
もっぴん:その話を読んで本当にただの人間が、パクられて傷つく人間が作っているんだなと。そこに何かリアルさを感じて。今までAAAのゲームとかをやっても、誰かが作っているなんていう実感がわいたことはなかったんですね。もちろん、作っている人はいるだろうけれど自分には手が届かない存在みたいな感じで、ましてや自分でもできるなんて思えたことはなかったんです。けど、その『Ridiculous Fishing』をやって、なおかつその話を読んで、本当に生きている人間が作っているんだなって。だったら自分も生きている人間だからできないことはないだろうと思えたんです。しかも、Vlambeerは2人だけのチームなんですよ。『Ridiculous Fishing』に関しては、あとグラフィックと音楽がそれぞれ1人、プログラマー1人の合計5人で作っているんですが、いずれにせよ少人数で大ヒットを飛ばしたわけです。
 
黒川:つまり、AAAのタイトルは300人、400人で作っていて誰が何のパートをやっているか分からない。でも、『Ridiculous Fishing』は2人だけで作っていて、その人たちに親近感を抱けたことがある種の心の励みになったと。
 
もっぴん:そうですね、そんな感じです。彼らも大学を辞めていたというのもあって、そこら辺でもなんかちょっと共感というか、「辞めてもいいんだ」みたいなのがありましたね。
 
黒川:なるほど。それで、『Downwell』の開発に着手し始めて2014年12月の「TOKYO INDIE MEETUP」(注4)に出られたということでよろしいですか?
 

「TOKYO INDIE MEETUP」への参加


もっぴん:はい、そうですね。
 
黒川:吉祥寺のpico pico café(ピコピコカフェ)が会場なんですよね。僕もインディーゲーム開発に携わっていたことがあって、そのプレゼンテーションで参加したことがあります。「TOKYO INDIE MEETUP」に出ようと思ったきっかけは何だったのでしょう。

やはり、ツイッターとかで情報をアップしていて、これは発表したほうがいいとなったんですか?
 
注4)個人のゲーム開発者で集まって、お互いのゲームを見せ合ったり意見交換したりするイベント。
 
もっぴん:そのときはまだ僕のツイッターのフォロワーとかも全然いなくて、もうなんか無に投稿しているみたいな。誰も見ていないのに、ひたすら投稿みたいな感じだったんです。ちょうど「Game A Week」をやり終えた後で、それまでずーっと1人でひたすらやっていたので、さすがに寂しくなってきて。人に見せてみたいし、東京にコミュニティはないのかなと思って検索をかけたら「Picotachi(ピコたち)」という月イチの集まりみたいなのが見つかって、それで出てみることにしました。
 
黒川:自分から応募されたんですか?
 
もっぴん:そうですね。ダメモトでしたし、すごく緊張もしましたがコミュニティがあるなら僕も影響を得たいし、話もしてみたいし。いろいろ勉強したかったというのがありましたね。

 
黒川:かなり反応は大きかったと思うのですが、そのメンバーと交流したり、支援の話が出たりしなかったんですか?
 
もっぴん:いや、その場だけですね。もちろん、ツイッターで繋がったりしましたし、仲間意識というか励みになった部分はすごいありましたけど、そこからチームを組むとかはなかったですね。
 
黒川:「東京インディーフェス」(※)への出展やIGF(注6)でのノミネートされたのはそのあとでしょうか?
 
(※ 2015年5月 秋葉原UDXで開催されたインディーズゲーム展示会)
 
もっぴん:確か2014年の6月に『Downwell』作り始めて、2014年の年末にIGFに応募したんですね。僕はまったくいけるなんて思っていなかったんですけど、Devolver Digitalから「とりあえず応募してみたら?」みたいに言われて。それで、まだ学生だったので学生部門で応募したら受かって、2015年の3月にGDC(注7)にIGFの授賞式を兼ねて行ったんですよ。それで、IGFでノミネートされるとGDCでブースを1個もらえるんです。それが初めて『Downwell』を公開展示した経験でした。そして、2015年の10月に『Downwell』発売しました。

 
注6)インディーゲームの祭典「Independent Games Festival」にて選出されるインディーゲームを対象としたアワード。
 
注7)世界各国のゲーム開発者を対象に開催される国際会議。正式名称は「Game Developers Conference」。
 

写真提供 ファミ通.com GDC2016 にて


 黒川:GDCアワードでHANDHOLD/MOBILE game (携帯ゲーム機/モバイルゲーム賞)とBest Debut(ベストデビュー賞)にノミネート。それらを経て、2016年1GDC2016では開発の経緯などのトークセッションをされましたね。
 
もっぴん:はい、そうですね。遡ると、2015年は「BitSummit(ビットサミット)」(注8)とか、東京ゲームショウ2015にも出展しています。
 
黒川:ちなみに、IGFに出展されたときに「音がショボいからオレがやってやるよ」とJOONAS(ヨナス)さん(注9)たちが言ってくれたということですが、詳しい経緯を聞かせてもらえますか。
 
もっぴん:サンフランシスコでDevolver Digital のパーティーがあったんです。そこでパブリッシャーの方がいろんな人に僕を紹介してくれたんですが、そのときにインディーゲーム界隈で効果音を作っている人とサウンドを作っている人に会わせてもらえて。どちらも僕がすっごく尊敬している人で大ファンだったんですよ。で、「ちょっとゲームを見せてみろよ」みたいな感じになって「マジすか?」と。まさか一緒に仕事をできるなんて思ってもみなかったので、めちゃめちゃうれしかったですね。
 
黒川:ちなみに、参考までに伺いたいのですが、サウンド開発などに関しては「お金はいらないよ」みたいな感じだったわけですか?

 もっぴん:いや。その場では言わなかっただけで、もちろんお金は発生するというのが前提だったと思います。無料で配信するゲームなら無償で提供してくれるという人は多いと思うんですよ? 海外はゲームジャムの文化もけっこうありますから。ただ、やはり売るゲームとなると、さすがに「お金はいらないよ」にはならないと思います。
 
注8)毎年京都で開催されている日本最大のインディーゲームのイベント。
注9)「Nuclear Throne」などのサウンドを手掛けたフィンランドのサウンドデザイナーのJoonas Turner(ヨナス・ターナー)。
 
黒川:無料配信ゲームか、固定額で売るゲームにするかどうかという判断はどのようにして決められたんですか?
 
もっぴん:『Downwell』を作り始めた段階では別に売る、売らないっていうのは深く考えていなかったです。単純にひとつ大きなプロジェクトを立てて作ってみようと思っただけで。とりあえず何かしらゲームをAppStoreとかで出してみようとは考えていましたが、大学は一応卒業して、とりあえずゲームで食えるようになるまでバイトとかで食いつないでいこうくらいの意識でしたね。でも、Devolver Digitalに拾ってもらえて状況が変わって。パブリッシャーがお金の部分を受け持つということは絶対売る気だってことですよね。自信はなかったですけど彼らが評価してくれるってことは『Downwell』は売れるものなんだなと。それが確か2014年の9、10月くらいかな? そこで覚悟というか決心がつきましたね。
 
黒川:では、開発費以外の支援もDevolver Digitalさんからあったわけですか。貯金が5000円しかなかったという記事も読みましたが。
 
もっぴん:はい、そうです(笑)。そのときはまだバイトをしながら、学校も行きながらだったので、彼らが満足するようなゲームにするのであればフルタイムでやりたいと。それで、「お金もないし」と話したら提供すると言ってくれて、フルタイムで開発することができるようになりました。もちろん、ゲームが売れてから返してねっていう話だったんですけどね。

 

黒川:でも、そこまでの条件を引き出せる日本人はなかなかいないと思いますよ。
 
 もっぴん:そうですか。それは残念だなと思いますね。実際、『洞窟物語』の天谷(大輔)さんや『1001 Spikes(サウザンドワン・スパイクス)』のヲサ田サムさんもNicalis(ニカリス)(注11)と契約を組んでやられていましたし、日本で話題になるというか、いいゲームを作っている人は海外のパブリッシャーに拾われてみたいなのがけっこうありますよね、現状として。

 注10)Webやスマホコンテンツの制作・運用のディレクションやプランニングを手掛けている会社。
注11)アメリカのインディー系パブリッシャー。
 
黒川:ちょうどお名前が出たのでうかがいたいんですけど、『洞窟物語』と『Spelunky(スペンランキー)』に影響を受けたと他のインタビューで答えられていますね。
 
もっぴん:『洞窟物語』にはエフェクトとか音の部分とか、演出面ですごく影響を受けていますね。ゲームの部分で一番影響を受けたのはVlambeerが制作した『Spelunky』と『Nuclear Throne(ニュークリアースローン)』です。特に『Spelunky』はめちゃめちゃハマりました。『Downwell』を作り始めたのも『Spelunky』をスマホでやりたいっていうのがきっかけでしたから。
 
黒川:なるほど。
 
もっぴん:そうですね。『Spelunky』をめちゃめちゃシンプルにしたらどうなるか、みたいな感じで試していったら運よく完全なパクリじゃなく(笑)、ちょっとオリジナリティが加わったかな、みたいな感じですね。
 
黒川:いや、すごくオリジナリティがあると思いますよ。毎回自動生成されるシーンもそうだし、ガンブーツを撃ったときのキャラがフッと上がるようなエフェクトとか。これを1人で作っているのかって驚きましたから。
 
もっぴん:時間だけはあったので(笑)。
 
黒川:いやいや時間だけではないと思います。特に、どんどん下に降りていくというのは今まで発想としてあまり例がなかった気がするんですけど、どのように発想したのですか?
 
もっぴん:いや、あれも『Spelunky』の影響が大きいですね。『Spelunky』は横長のフィールドの上の部分から始まって、そこからどうにかして降りていって下にあるマップの出口を目指すという感じだったじゃないですか。ただ、あれはそこまで下、下、下というわけではないですが。
 
黒川:そうですね。
 
もっぴん:わりと横長のフィールドですからね。でも、スマホは縦長の画面だから横の部分はあまり見えないじゃないですか。じゃあ落ちるのをベースにしたほうがいいかなという感じでしたね。縦長の画面であるっていう制約の中で、なおかつ『Spelunky』っぽいものというインスピレーションがあったからたまたま思いついたみたいな。

 黒川:では、その制限の中で自分なりにできることを考えた結果だったということですね。
 
もっぴん:そうですね、ホントそうです。メインのガンブーツのギミックもスマホだとそんなに画面スペースがないから、操作ボタンは3つくらいしか入れられないだろうなというのが最初にあって。じゃあジャンプボタン1個でできることってなんだろうと。2段ジャンプとかヒップドロップとかいろいろ考えて最終的にガンブーツというアイディアに行き着いた感じですね。
 
黒川:GDCのセッションではガンブーツの発案に宮本茂さんの言葉を引用されていましたね。
 
もっぴん:あれは言うべきではなかったですね、大壮すぎです。
 
黒川:いや、そんなことはないと思いますよ。「アイディアとは複数の問題を一気に解決するもの」。ガンブーツの発想は素晴らしいアイディアで僕は十分引用に値すると思いますよ。
 
もっぴん:ありがとうございます。いや~でもやっぱりちょっと恥ずかしいですね。言ったあとでずっと後悔していました。
 
黒川:いやでも、これだけのものを作ったわけですからね。僕も一応売上とか見ましたけど、すごいじゃないですか。「App Annie(アップアニー)」のデータですがアメリカが一番すごくて次が日本で、そのあとに大きな国がいくつか続いていて。それで、「その他の国」という欄があるんですが、これがまたすごいんですよ。アフリカとかいろんな国が出てくるんです。世界中の国でダウンロードされているんですよ。
 
もっぴん:それは僕も知らなかったです。うれしいですね。


ラスボス演出はホンワカでよいエンディング

 
黒川:ラスボスもよくできていますよね。特に僕がいいなあと思ったのはラストのネコを拾う演出です。あの辺りは何かメッセージがあるんですか?
 
もっぴん:いや、開発時は本当にゲームデザインのことしか考えていなかったです。で、ラスボスの実装が終わってエンディングどうしようとなったとき、「なんのために降りていったのか」みたいなことを考えてみたんです。何が下にあったんだろうって。そのときたまたま僕が「ネコほしいわ」と思っていた時期だったので、「ああ、ネコがいればいいじゃん、ネコ置いちゃおう」みたいな感じでした。でも、そうしたらホンワカで意外といいエンディングになったなっていう。

 黒川:いや、すごくいいエンディングだと思いますよ。あのラスボスを倒すのは大変だけど、勝ったあとにアレが出てくるっていうのは。すごくゲームに対する愛とか人間愛みたいなものを感じますよね。
 
もっぴん:ありがとうございます。あれで良かったなと自分も思いましたね。
 
黒川:あのあたりのビジュアルデザインも全部ご自身で?
 
もっぴん:そうですね。効果音と音楽だけ先ほど言ったお2人にやっていただいたんですが、それ以外は全部僕です。


BItSummit 2015 より

And You に込めた想いとは 


黒川:エンドクレジットにカオリ・フモト、トクヒロ・フモトと出ますがご両親ですか?
 
もっぴん:はい、そうです。それと、スペシャルサンクスの一番上に出る「カン」っていうのが兄貴です。先ほども言いましたけど、ゲームに関しては兄の影響が特に大きかったので一番最初にクレジットしました。
 
黒川:本当にすごく人間愛にあふれていますね。最後に「And you」っていうメッセージが出るのも好きなんですよ。あなたがいてくれて、やってくれてこそみたいなメッセージがあって。やはりご自身としてそういうお気持ちがあったんですか?
 
もっぴん:もちろんそうです。ゲームはプレイヤーがプレイすることで初めてゲームになる、そういう考えが自分の中にありましたね。それと、他にもいろんなゲームのクレジットで「And you」が最後に来るのを見たことがあって。そのたびに「ああ、素晴らしい」と感じていて、自分のゲームでも絶対にやろうと思っていたんです。
 
黒川:ちょっとイヤな話かもしれませんが『Downwell』を売り始めたとき、いわゆる価格の部分でネットにいろいろ書かれて、ご自身もツイッターなどで反論されていましたよね。なぜ、こんな話をするかというと日本のスマホゲームは無料がほとんどで、日本のプレイヤーも無料に慣れすぎてしまっていて、よほどじゃないとお金を払わないじゃないですか。例えば任天堂の『スーパーマリオラン』の1200円だって高いっていう人がいるし。 

もっぴん:いや、あれは高いですね(笑)。
 
黒川:そこはいろいろ意見がありますが(笑)。それで、処女作について価格の部分でいろいろ言われると、気持ち的にも辛いものや厳しいものがあったと思うのですが、今振り返られて何か思うところはありますか?
 
もっぴん:確かに思ったことは思ったことなんですが、言わなくてもよかったかなって今は思っています。おっしゃるとおり、日本のスマホゲームって基本無料で勝負しているものがすごく多い。だから、ユーザーも有料のゲームにまだ慣れていないと思うんです。それは海外もある程度一緒ですが、日本ほどではないですよね。
 
黒川:そうですね。僕もそれは感じます。
 
もっぴん:例えば、僕がすごく尊敬している『Ridiculous Fishing』は300円くらいで売られていたし『Threes!』もそうですよね。海外でヒットしたスマホゲームはそのくらいの価格帯のものが多くて、そういった作品を知っている層がいたから、同じ360円で出した『Downwell』も受け入れられたと思うんです。でも、日本ではまだそうした作品はほとんど知られていなかったですからね。ああいった反応が出たのは必然的というか、やっぱそうなるかみたいな感じではありました。ただ、最近はまた変わってきているのかな。
 
黒川:そう感じていますか?
 
もっぴん:前ほどじゃなくなったかなっていうのはありますね。任天堂が『マリオラン』を有料で出しているっていうのもあるし、僕の『Downwell』が高いとか言われたというのも……まあ、そこまで話題になってはいないですが、でも前例のひとつにはなったかなと。日本産の有料インディーゲームもいくつか出てきているし、ちょっと出しやすくなってきているのかなという気はしますね。
 
黒川:『Downwell』の、ネットへの書き込みでは第三者のツイートで「ゴミ溜めを見た」というコメントをもっぴんさんがリツイートしているのを見たんですけど……。
 
もっぴん:そこまで、黒川さんツイート見ているんですか? うわ~マジか~、ツイートを消しておけば良かった(笑)。

 
黒川:やっぱりそのコメントに対して、俺も同じだよっていう気持ちがあったんですか?
 
もっぴん:もちろんそうです。自分のゲームを出したら、やっぱり人が何を言っているか気になるんですよね。で、エゴサーチとかをしまくって…(笑)。
 
黒川:それはよく分かります。ゲームは自分に大切な子供みたいなものですからね。
 
もっぴん:そう、気になっちゃうんですよね。それで、コメント欄か2ちゃんねるか忘れましたが、僕自身見ていてアタマにくるものがあって。「コイツ!」みたいな感じだったんですけど、それに対して「ゴミ溜めを見た」って書かれていた方がいたんです。「オッケー俺も一緒だ」と思わずリツイートしちゃいました。それ以外にも変な中傷がいろいろあったんですよね。ネトウヨみたいなのも絡んできたりして。
 
黒川:Anne Ferrero(アン・フェレロ)さんの映画『Branching Paths(ブランチング・パス)』(注12)についてもお聞きしたいのですが…。僕は関係者試写会に行っていて、もっぴんさん、楢村(匠)さん、木村(祥朗)さん、Anneさんが出られたトークショーも拝見しています。
 
それで、あの映画の中で、もっぴんさんが、登場して、すごい勢いで成長されていくを見て「これはすごいインディー開発者がいるなぁ」と思ったのが、お会いしたいと思ったきっかけだったんです。
 
注12)日本のインディーゲーム制作者たちに密着したドキュメンタリー。2016年7月29日よりSteam、Playismなどで配信中。
 
もっぴん:そうだったんですか、恐縮です。
 
黒川:それで、『Branching Paths(ブランチング・パス)』についてなんですが、日本国内でインディーズとしてゲームを作っている人と、もっぴんさんを対比構造したような内容になっていて、その部分ですごく印象に残ったんですよね。
多分、Anneさんも映像を撮っていくうちにそういう構成にせざるをえないとなっていったんじゃないか。そんな風に思ったんですけど、あの作品を見て何か感じたことはありますか? もちろん、ご自身の成長物語として見られたかもしれませんが。
 
もっぴん:いや、『Branching Paths』は観ていて、正直、恥ずかしかったですね…。自分がドキュメンタリー映画に映るのなんて、もちろん人生初でしたから。実際、成長したとは思うんですよ…本当に僕が変化しているときに撮っていただいたものなので。でも、改めて見てみると今の自分が思ってもないような大層なことを言っているんですよ。それが記録に録られてドキュメンタリーになっているから、もう恥ずかしくって。
 
黒川:そんな大層なことを言っておられましたか?
 
もっぴん:映画の最後のあたりですよね。なんだったっけ……
日本のインディーをどうこうしたいみたいなことを言っていたんじゃないかな? ちょっと正確に覚えていないんですけど、とにかく「何を言っているんだよ、オレ?」みたいなのがすごい印象に残っているんですよ。だから、あまり客観的な感じで見れていないですね。
 
黒川:僕はあの作品にはタイトルのとおり、人として、クリエイターとしての分かれ道を感じるんですね。1人は自分の信じる道を行ったけど、もう1人は分かれ道で違う道に行ってしまったみたいな。僕はそういう見方をしちゃったんです。それで、一方は作品を完成させて、これだけの世界的な評価を受けているわけですから。
 
もっぴん:ありがとうございます。
 

大手のゲーム会社に就職してみたい!?


黒川:ところで、将来の夢については、「一軒家で平和で暮らして、ネコがいたらいい」と答えられていましたが今も同じですか?

 もっぴん:いえ、けっこうコロコロ変わりまくっています。もちろん、平和に生きられたらみたいなのは根本にはありますけど。
 
黒川:では、最近はどんな夢を持たれているんですか?
 
もっぴん:もっと大きなゲームを作ってみたくなってきましたね。それで、就職したいなと思えてきたんですよ。
 
黒川:ええっ、そうなんですか!?
 
もっぴん:ホントに最近の話で、また気持ちが変わるかもしれないですけどね。実は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』をやったんですよ。もう、めっちゃ面白くて、感動して。任天堂のゲームはたくさんやっていますし、他にもAAA(※)のゲームをプレステ4とかでやって、「やっぱAAAはヤベエな、スゴイな」みたいなのはあったんですけど、今回の『ゼルダ』には本当に感動して。
(※ トリプルエー 格付け会社などがランク付けする際に使用する用語。文中では大資本のゲームパブリッシャーを総称する )
 
黒川:そうでしたか。
 
もっぴん:はい。それで考えさせられたんですよ。インディーゲームには素晴らしい作品がいろいろあって個人でもすごいゲームは作れるとは思うんです。
でも、『ゼルダ』、『ダークソウル』、『ブラッドボーン』レベルのモノはAAAでしか作れないですよね。そういったゲームを作る体験をしてみたくって…。それにゲーム会社に入って経験を積んで、それから独立してインディーゲームを作っている人たちもけっこういるじゃないですか。大手での経験があってこそ作れるというものもあるはずだし、その経験を持ってインディーに戻るということも可能かなって。
 
黒川:それは意外ですね。プロとして発表した処女作があそこまでブレイクスルーして世界中から注目が集まっているから、やっぱり次もインディーとして期待されていると思うんですが。
 
もっぴん:もう1作、2作くらいは個人で出そうかなと思ってはいます。ただ、いずれ就職したいなっていうのはありますね、正直なところ。
 
黒川:ご自身でスタジオを作るという方法もあるんじゃないですか?
 
もっぴん:いやあ、それは考えたことはないですね。もうホント素人なので。名刺も持っていないですし、会社のこととか何も分からないですから。
 
黒川:でも、それはサポートする人がいればできるわけで。実際、Devolver Digitalはお金を出してくれたわけですから、海外で資本金とか会社の運営資金を集めることも可能だと思いますよ。それで、人を集めて中規模くらいの作品を作って、どんどんお金と信用が集まってくればAAAクラスの作品も作れるようになるかもしれませんよ?
 
もっぴん:いや、単純に大人数で作ってみたいっていうのもありますが、すでに存在している大きいスタジオに入ってみたいというのもあるんですよ。そういうところには、自分よりも経験を持っている人がわんさかいるじゃないですか。そこで恩師を探すではないですけど、いろいろと学びたいというか。経験のあるスタジオだからこそ得られるものもあると思うので、それを体験してみたい経験してみたいっていうのがやっぱりありますね。

写真はBitSummit2015  Vlambeer ブース展示より


 黒川:なるほど。ちなみに、尊敬するクリエイターはどなたでしょうか?
 
もっぴん:もっとも尊敬しているのは、VlambeerのゲームデザイナーのJan Willem Nijman(ヤン・ウィレム・ナイマン)です。もちろん、任天堂の宮本茂さんも尊敬していますが、あまりに上の存在すぎてリアルさがないんですよね。

  
黒川:では、最後にクリエイティブやエンタテインメントを目指す人へのメッセージをいただけますか
 
もっぴん:そんな大きいこと言えませんよ。(笑)
 
黒川:でも、インディーゲーム開発のパイオニアだと思うんですよ。スマホのインディー・ゲーム・クリエイターで世界的にこれだけの評価を受けた日本人っていないんじゃないですか? 
  
もっぴん:そうですね……では若い人に向けて言うと、少々リスクを負っても死にはしないよ……ですかね。僕がここまでリスクのあることをできたのは若かったからだと思うんですよ。『Branching Paths』に登場した僕以外の方って、僕よりも歳がずっと上でなおかつ責任のある人たちでしたからね。結婚とかもしているし、簡単にリスクを負える立場じゃなかったと思うんです。
 
黒川:それはそのとおりでしょうね。
 
もっぴん:もちろん僕はまだ結婚なんかしていなかったし、失敗したとしても結果責任を負うのは自分だけですから。まだ若いから失敗しても、どこかしら就職できるところはあるだろうと。だから、自分が若いっていうところを活かしたらいいというか、志があるなら若いうちにリスクを負っていろいろやってみればいいんじゃないでしょうか。若くない人たちには…僕自身がまだひよっこなので申し上げることはありません。
 
黒川:なるほど。いいですね。ちなみにネコは飼うことはできたんですか?
 
もっぴん:はい、飼っています。
 
 黒川:それはよかったですね。
今日は、たくさんいいお話を聞かせていただきました。新作はいつくらいになりそうですか?
 
もっぴん:ぜんぜん分からないです。かなり難航しているので当分先でしょうね。
 
黒川:ジャンルはもう決まっているんですか?
 
もっぴん:そうですね。はい、それは定まってはいます。
 
黒川:分かりました。では楽しみにしています。
 
もっぴん:頑張ります。
 

出展元 エンタメステーション 人物写真撮影:北岡一浩


もっぴん=プロフィール
 東京芸術大学声楽科在学中にゲーム開発を開始。上記インタビューの経緯を経て「Downwell」を開発。2015年nDevolver DigitalからPC、iOSで「Downwell」が配信され、後日、PS4やPS Vitaにも移植された。その後、任天堂に入社するも、現在は再び個人ゲーム開発クリエイターに戻っている。
 代表作品は「Downwell」「POINPY」どがある。

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