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西洋と東洋の芸術観を比べた時、これからのアーティストの生き方が見える気がする

 今回は考察と意見表明でしかないのでサクッと。
今週700円しか使ってないのだけれど、本当に在宅は有難い。節約し放題...とはいえ寂しいけれど。こうなると家賃が本当に無駄だ(東京でも網走でもできることは一緒だ)

  さて、アートにのめりこむ時間が増えたことで、改めて浮世絵を見た時にふと。浮世絵は言わば版画、大量に刷られて町民に売られていた事から、原画でもない限り江戸時代の絵もそこまで高くはならない、というか安い。
蔵でもある家なら、富嶽三十六景が何枚か出てきても不思議ではない。

 逆に西洋のアートはというと、絵画は当時一品ものだ。贋作(コピー)が出回れこそすれ、それは近現代になってからの話で、贋作に価値は無いし、原画はものによっては数億する。

 ここで、浮世絵は今でいう写真と代わりがないから、よほど額装に工夫でも凝らさない限り価値(お金を価値とすると)は低く、絵画とは比べものにもならない。

 こういった価値の違いが、日本のアートを遅らせている原因の一つかもしれないと思った。そこで今の日本に目を向けてみて、現代日本で言う絵画とは何だろうか、浮世絵(版画)ではない、アート的な価値が高いもの、こと....そんな事を一日考えている。

 それに、当時のモネやドガ、ゴッホに影響を及ぼす程のジャポニズムを北斎は生んだのに、それを絵画的マネタイズしたのはヨーロッパ人で、浮世絵的マネタイズをしたのが日本人だ。時代を経てみるとその価値の差は大きい。浮世絵(版画)のように工業生産品を刷り続ける時代はころなと共に終わりを迎えてきている。

 一部の金持ちだけがお金を出す価値、というと聞こえは悪いが、貯めこんだお金を使わずに貯めておくなら、それを吐き出させて、難民や貧困の支援に使いたいので、この絵画的価値を日本に探していきたい。

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