卒業に寄せて:フローレンスへの手紙
2023年9月末。
7年間所属していたフローレンスを卒業した。
恩返しがしたい。
小学校・中学校時代に地域の人たちや担任の先生などに救われた。その人たちがいなかったら間違いなく今の自分はなかった。そして高校に入ってからは「恩返しがしたい」と思って、ボランティア活動を行って、大学では国際協力団体を立ち上げて、国際協力に明け暮れた。
NPOに関わりしたい。
社会人になって、国内の様々な社会課題を知った時に、意識した時に、
「知った人が取り組まなければ問題は解決しないのでは。」
「知った人間の責任では。」
そう思って、まずはボランティアやプロボノとしてNPOに関わっていった。
NPOを本職にしたい。
そうして2016年。
認定NPO法人フローレンスに入社した。
気狂いだと言われたNPOへの転職
前職のプロダクションで、上司にNPOに転職しますと言った時に言われた一言。
NPOはボランティアだろ
NPOでは生活していけないぞ
NPOは自己満だろ
NPOって怪しいよね
思いだけじゃやっていけないぞ
これ以外にも本当に様々な言葉を掛けられた。
このような言葉を掛けられたら、心配になったり、不安になる人も当然いると思うけど、自分には全く心配も不安もなかった。
NPOに関わりたい、NPOを本職にしたいと思っていて、そしてそれが実現するから。
そして本当にここでやりたいと思っていたフローレンスで働くことができるから。
経験もスキルもゼロ、思いだけで採用してもらった
NPOを本職にする。
数あるNPOの中で、自分がやりたいと思っていたのがフローレンス。
フローレンスは病児保育事業を中心に、保育園事業・障害児保育、支援事業・こども宅食事業など日本の子ども・子育て領域の社会課題解決と価値創造に取り組んでいる団体。
2004年に設立して、スタッフ数は800名を超えて国内最大規模の団体。
そんなフローレンスで働きたいと思った理由は目の前の社会課題を解決するために取り組んでいきながら、目の前で困っている人がいれば、前例がなくても、まずは自分たちがやってみて、より多くの人が社会課題解決に取り組んだり、社会課題解決に解決に繋げていけるように取り組んでいるから。
この団体は社会課題を全てなくしていきたいと思っている。そのために本気で行動している。
たとえ周りが無理だと言っても、前例がなくても、困りごとを抱えている人がいたら、自分たちでやってみる。誰も取り残さない。
そんなフローレンスで働きたいと思って、フローレンスの扉をたたいた。
そして自分がフローレンスに入るために応募したのが「WEBディレクター」。
WEBディレクターといえば当然のことだけど、スキル、専門性が求められる職種。
一方、自分にはWEBのスキルも経験も一切なかった。
それでもフローレンスでやりたいという思いは誰にも負けないくらい持っていた。
普通に考えたら、WEBのスキル、経験がない時点で応募すらしないだろうし、応募しても普通に落とされてもおかしくないのに、まさかの採用。笑
そうして2016年7月からフローレンスな日々が始まった。
怒涛の日々の中で、社会が変わるを実感する
WEBディレクターとして入社して、フローレンスで最初に行った仕事が代表の駒さんのバースデー企画。
前職はプロダクションで働いていたから、シナリオや構成を作ることはできるのでその経験を生かして、まさかの初仕事ではあった。笑
企画は当時流行っていたポケモンGOをリアルでやろうということで、「リアルポケモンGO」。
駒さんにバレないようにみんなで一緒に準備をしていく過程も、自然と会話が生まれて、仲が深まっていく自分にとっては大事な時間でした。
入社して早々だけど、どんなことでも全力投球な組織に入れてよかったと思えた企画でした。
WEBから広報へ
メインとしてはWEBディレクターなので、WEBの仕事を行っていった。
その後、フローレンスの広報で人が必要になり、同期のえみりがいる広報へ。
今ではフローレンスの広報チームは20名程度もいる大所帯であるけど、当時は入れ替わりがあって、えみりと2人の時期も。
やるべきこともやっていきながら、楽しむことも忘れない。フローレンスはそんな組織だった。
その一つがエイプリルフール企画である「オフィス廃止のお知らせ」でした。
本当に日々、どんなことにも全力で取り組んでいきながら、課題があれば取り組み、働き方改革を含めて、様々な施策を実行し、トライアンドエラーを試していく組織風土がいいよね。
600名を超すスタッフみんなでお祝いを!15周年イベント
2019年。
フローレンスは団体を設立して15周年を迎えました。
そんな節目に、フローレンスが目指す社会を実現していくために、様々な事業部、様々な仕事を持ったメンバー同士が「チームフローレンス」として一体感を持つ、そしてお互いの顔と名前が分かる機会を作りたい。
600人全員に感謝を伝える場として、600人全員で一緒にお祝いをする場として、15周年イベントを開催することとなりました。
その15周年プロジェクトのリーダーをさせてもらいました。
15周年イベントは9月に開催されましたが、その10ヶ月前からプロジェクトメンバーが集って企画してきました。
一言で言うと本当に色々あって、決して楽ではありませんでした。笑
それでも「一人ひとりにありがとうを伝えたい。そしてフローレンスに関われて良かったと思ってもらいたい。」そんな思いで作り上げてきました。
顔を合わせる、お互いを知る、フローレンスのこれまでとこれからについて同じものを持つ。
あの日の光景は本当に今も忘れられないし、あの場を、あの瞬間を作ることができて、いることができて本当に良かったよね。
そしてあの日、あの場で駒さんが語った言葉は今のフローレンスにもつながっているし、2024年20周年を迎えるフローレンスでは、どんな景色が見えるのか。
その場にいれないのは残念だけど、違う立場にはなってしまうけれど、2024年に20周年を迎えるフローレンスを楽しみにしていたいよね。
このペースで書いていると凄まじい量になりそうなので、ここからは自分が関わっていった中で思い出深い取り組みについて書いていきます。
フローレンスでの岩井的歩み
2017年:YOUさん山里さん突撃インタビュー企画!NHK「ねほりんぱほりん」【養子】で考えてみた
2017年:NPO若手スタッフ合同研修
2018年:フローレンオフィス神保町に引っ越し
2018年:FASHION CHARITY PROJECT共催イベント「the GIFT」
2018年:ひとり親家庭つながりとと楽しみを。ひだまりサロン
2018年:ユースシアタージャパンのチャリティイベント「Happy Halloween Party 2017」に参加
2018年:「なくそう!子どもの虐待プロジェクト2018」緊急記者会見
2018年:大阪・関西大学でのイベント・関西寄付者交流会
2019年:東京マラソン2019チャリティ
2019年:フローレンス15周年 事業報告会
2020年:食を通じて子どもの貧困対策に取り組む株式会社MiLとのコラボキャンペーン
2020年:一斉休校に関する緊急全国アンケート実施
2020年:#すべての親子を置き去りにしない !「新型コロナこども緊急支援プロジェクト」
2020年:長友佑都選手とコラボ!新型コロナウイルス影響下のひとり親を支援するプロジェクト「#ひとり親をみんなで支えよう」
2020年:ノーセーフティネットひとり親家庭を救え!記者会見
2021年:フローレンスが目指す「チーム」でいるために。コミュニケーション指針を作成
2021年:J-WAVE×フローレンス、コロナ禍で苦しむ親子に支援を届けるクラウドファンディング
2022年:グロースリンクかちどき運営委託譲渡
2022年:「事務局全社会議」「フロレ祭り」で構成される1日がかりの社内イベント「フローレンスデー」
2022年:ふるさと納税を活用した1億円のクラウドファンディング 「#ふるさと納税でこどもを助ける」キャンペーン
2023年:全国からの寄付でひとり親世帯等の子ども達に夏休みの遊びや体験を提供する「#夏休み格差をなくそう プロジェクト」
2023年:キリン×フローレンスの病児保育テレビCM制作
番外編:新公益連盟
NPOや社会的企業が集まり、社会課題解決のための制度改革や様々なセクターとの協働、ソーシャルセクターの経営力強化を行っていくNPOである「新公益連盟」。
駒さんが代表理事を務めたいたこともあり、この新公連の事務局を2年ほど担いました。新公連を通して、本当に沢山のNPOの代表やスタッフと出会い、繋がることができ、ソーシャルセクターの可能性を感じることができました。
ここには書ききれないくらい、日々本当にたくさんのことがあったよね。
卒業
7年前の自分は何者でもなかったと思う。
フローレンスで働きたい。
その思いしかなかった。
その思いだけで突き進んできた。
そうしてこの7年間で、
本当に沢山の経験をさせてもらった。
本当に沢山の素敵な人たちと出会って、繋がることができた。
社会は変えられる。
ただの言葉でしかなかったし、他人事の部分もあったことが、フローレンスで、現実になったし、自分にも関われる、できると思うことができた。
周りに無理だと言われることでも、そこに困りごとを抱えている人がいたら、まずはやってみるを大切にアクションを起こしてきた。
そうして自分たちがやっていきながら、全国に広げていくために制度化するための取り組みも行なっていった。
そうして、
フローレンスが小さな保育園モデルを国に提案したことがきっかけとなり「小規模保育所」が認可されたり。
医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」(「医療的ケア児支援法」)が成立したり。
スタッフが始めたアクション「多胎育児支援」。双子ベビーカー(二人乗りベビーカー)を折りたたまずの乗車」が、私営含む都内のバス全路線で解禁されたり。
これ以外にもたくさんの変化を生み出してきた。
一人でできることには限界があるけど、共に悩んでくれる人が、共に考えてくれる人が、共に歩んでくれる人がいるから歩いていける、そして走っていくこともできる。
これまでの自分の人生で、ままならないことも沢山あったし、難しいことも沢山あった。
小学校時代の家庭環境と、中学時代に自分が荒れてた時期は本当に底辺だったと思う。
その後の大学時代も、そして社会人になってからも決して順風満帆の人生ではなかった。
フローレンスに入ってからも、もちろん大変なことは沢山あったし、思い通りにいかないこともあった。
それでもフローレンスに集う人たちに救われてきた、支えられてきた。
心の底から尊敬できる人がいて、心の底から信頼できる人がいて、心の底から一緒にやっていきたいと思う人がいて。
そんな人たちと出会えたことが、一緒にやってこれたことに感謝しかないし、本当に幸せだった。
自分は好き勝手な人間で、ちゃんとしたことができなかったりするし、迷惑も沢山かけたし、本当に手がかかる人間だったと思う。
そんな自分を受け入れてくれてありがとう。
そんな自分を信じてくれてありがとう。
そんな自分に寄り添ってくれてありがとう。
一緒に笑ってくれてありがとう。
一緒に悩んでくれてありがとう。
まだまだその人たちと一緒にいたいし、一緒にやっていきたいし、まだまだその人たちとフローレンスで見たい景色はあった。
フローレンスはきっとこれから先も沢山の人たちの思いを、声を、SOSを受け取って、繋いで、形にして、支えていくことができるはず。
フローレンスはきっとこれから先も沢山の社会課題を解決していくはず。
フローレンスはきっとこれから先も、社会は変えられるということを示し続けていくはず。
そしてこのままフローレンスにいることもできるし、きっとその方がより多くの変化を生み出していけるかもしれないし、より大きなインパクトを生み出していけるかもしれないし、より多くの経験ができるかもしれない。
それでも今回フローレンスを卒業することに決めた。
新たな挑戦をしたいと思った。
岩井純一として挑戦していきたいと思った。
理由は色々ある。
勝手な理由だけど、フローレンスでの役目を終えたと思ってしまう自分もいた。
7年。
それが長いのか、短いのかは分からない。
それでもこの7年間で、フローレンスでは様々な事業が、様々なプロジェクトが立ち上がって、数多くの人がフローレンスに入ってきた。
組織として拡大して、組織としての基盤も確実にできている。
7年いる自分が古株と言われる立場になっていた。
大きくなっていく組織に対して、変わっていく組織に対して、正直、距離や違和感を感じている自分もいた。
大切にしているものは人それぞれ。
その中で、自分が何を大切に、何を成していきたいか。
器用な人間ではないし、後先考えずに行動してしまう人間だから、リスクを犯しても新しいことを、自分が楽しいと思うことを、自分が大切にしているものを大切にしていきたいと思って、行動してしまう。
この7年間フローレンスで本当に沢山の経験をさせてもらって、沢山のものを見ていく中で、自分にできることが広がっていく中で、
その経験を、スキルを他のNPOや業界全体をより良くしていくためにやっていきたい。
大切な取り組みをしていて、これから成長していく団体に関わっていきたい。
人と人と、団体と団体をつなぐ人間でいたい。
そんな思いも強くなっていった。
そして何者でもなかった自分にも、他の団体のために、業界のためにできることがあると思えるようになった。
まだまだ日本のNPOには、ソーシャルセクターには可能性がある、伸び代があると信じているからこそ、フローレンスを飛び出して、ソーシャルセクターのためにできることをしていきたい。
だからフローレンスを卒業することに決めた。
これから先の自分の人生がどうなっていくかはもちろん分からない。
自分に何ができるかは分からない。
無謀かもしれない。楽ではないかもしれない。
それでも自分の選択を信じていたいし、ありきたりな言葉だけど、やらずに後悔するより、やって後悔したい。
何より、今を大切にしたいし、自分の思いを、自分が大切にしているものに正直でいたい。
今を全力で生きていきたい。
その思いが強いのは、きっと自分の経験も影響していると思う。
親友、大学の恩師、パートナー、姪っ子。
自分の大切な人たちと突然の別れを経験したからこそ、今を全力で生きたいと強く思うようになった。
今回フローレンスを卒業するけど、一生のお別れではないし、きっとこれから先の人生でも交わっていくと信じている。
きっと違う立場になった人間として、フローレンスのためにできることもあると思っている。むしろこれからもフローレンスのためにできることはしていきたい。
大切な人たちのために何かあってもなくても、いつでも駆けつけて、力になって、寄り添える人でありたい。
一度出会って、繋がった縁は消えないと思っているし、これから先も繋いでいきたいと思っている。
7年間、本当にありがとうございました。
またね。
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