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『カケラ』

皆さん、こんにちわ。

臥龍桜です。

さて、前回は

どれが正しい?正しくない?かは
一概に決めつける事は不可能とお話ししました。

また、皆さんの周りにも真実のカケラがあるとお話ししました。

今回は『カケラ』というタイトル通り

皆さんに

『日本の歴史のカケラ』を

お話ししたいと想います。


まずは正しいか?正しくないか?

というのは簡単に言い換えると

『善か悪か』

に近い感覚だと想います。

そこでまずは、善と悪とそれに付随する
お話しを簡単にしたいと想います。

『善か悪か』という発想は

ゾロアスター教という宗教です。


ゾロアスター教の元になる様なものは

紀元前550年頃に出来ました。

ゾロアスター教を確立したのが
サーサーン朝と言われる現在のイランです。

俗に言う、ペルシャ人の人達です。

西暦は230年頃です。


そのゾロアスター教は
簡単に言うと『善か悪』『天国と地獄』
『善は必ず勝つ』その様な教えでした。


またゾロアスター教は『拝火教』とも

言われています。


ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラが
点火した火を堪える事なく燃やし続け
信者は火を礼拝します。

この火は光ともみなされています。

ゾロアスター教の

最高神アフラ・マズダー

を礼拝しているのと同じと想っていただければ良いと想います。

ちなみに、アフラ・マズダーとは

アフラ・マズダー (Ahura Mazdā) は、ゾロアスター教の最高神である。
宗教画などでは、翼があり、後光がさしている王者の姿で表される。
その名は「智恵ある神」を意味し
善と悪とを峻別する正義と法の神であり、最高神とされる。

ちなみにこちらが、アフラ.マズダーです。

えっ?!

と想う方も多くいるんではないでしょうか?

あえて100%とは言いません。
しかし、、、

『風の谷のナウシカ』で見た様な、、

多分、元はアフラ.マズダーでしょう。


このゾロアスター教は中国では祆教(けんきょう)とも言われています。

中国が唐(とう)と言われていた時代
西暦約620〜900年頃です。
ゾロアスター教が中国では祆教(けんきょう)として広まっていました。

この当時、唐には

唐代三夷教(とうだいさんいきょう)と言われるものが広まっており。

唐王朝によって保護され広まり。
今で言う海外起源の3つの宗教です。

それが

ゾロアスター教の祆教(けんきょう)

キリスト教ネストリウス派の景教(けいきょう)

マニ教の明教(めいきょう)です。

マニ教は、簡単に言うとゾロアスター教を
ベースにキリスト教やユダヤ教などの流れを取り込んだ宗教です。

この様に
ゾロアスター教はアジア中央やインドなどにも伝わりました。

ゾロアスター教自体は現在もあるんですが、この時の様な勢力はあるようには想えません。

しかし、ゾロアスター教の教え自体は
色々な宗教のベースになったままになっています。

このゾロアスター教を広めたのは先程言った。

ペルシャの商人達だったりします。


サーサーン朝は650年頃に終わるんですが。

多くのイラン人が唐の都に長安に移住し、唐の文化の国際発展に努めたとも言われています。


日本では

ペルシャは、現在のイランを表す古い名前です。

漢名は波斯(はし)・波斯国(はしこく)

波斯と書いてペルシャ、ペルシヤと読ませることもあります。


サーサーン朝様式の工芸品――絹織物、ガラスの器、水差し、絨毯――など

特徴的な幾何学模様は日本にも伝わりました。法隆寺や正倉院にもサーサーン朝の品があります。

ペルシャとイスラエルと古代ユダヤの人達は
元々繋がっていました。


2016年に

平城京の遺跡から発掘された木簡
文字を書く為の細長い木の板の事です。

木簡を改めて調査した結果
ペルシャ人の役人が働いていたことを示す新しい証拠が見つかったことを明らかになりました。

その当時、ペルシャ人の役人さんは今でいう、数学を教えていた様です。

また

あまり知られてないですが

埼玉県の『さきたま古墳』という所があるんですが 。

その、さきたま古墳から出土した物の中に
ペルシャの特徴的な細工をほどこした物などが出土しています。

さきたま古墳からは、勾玉、剣、鏡
俗に言う『三種の神器』も出土しています。
現在の皇室の三種の神器とは別です。
しかし、『王』の物なのは間違いないです。

個人的に調べた結果『ヤマトタケル ヤマトタケとも言いますが、身内、兄?弟?のどちらかじゃないかと想います。』


さきたま古墳は

日本書紀によると西暦534年に
安閑天皇(あんかん)の命令により

笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が
武蔵国 埼玉郡笠原 現在の鴻巣市(こうのすし) 笠原(かさはら)

に作ったとされています。

詳細は現在も不明です。


この様に、少なく見積もっても
西暦500年代には、ペルシャの方々が
日本に住んでおり交易をしたり、色々と学問を教えていた事になります。

以前、少しお話しした秦氏の方々は
西暦200年頃に来たとお話ししましたが
この秦氏の方々とペルシャの方々も繋がっていたので。
実質200年頃にはすでに日本に来ていたと個人的に考えています。

秦氏しかり

ゾロアスター教しかり

サーサーン朝 ペルシャしかり

ずっと前から日本は海外の人を受け入れ
共に暮らし、共に学びました。

しかし中には飛騨の口碑に出てくる
人食の渡来人も来ていたのも事実だと想います。

飛騨の口碑の大淡上方様は国を護る為に
新しい国を造り国防をしました。

福岡にある

『太宰府天満宮』

御祭神の『菅原道真さん』

菅原道真さんも渡来人の今でいう

『入国審査』をしていたと言う話もあります。

今の宗教などを見ると
ゾロアスター教 拝火教の影響を受けた?
宗教もチラホラ見えます。

という事は。

ゾロアスター教の教えというものも
当時の宗教に影響を与えたと想います。


それが、こんにちまで続いていたと
考えるのが自然じゃないでしょうか?


御嶽教や密教も
ゾロアスター教、拝火教の影響を
受けたものだと言われています。

御嶽教の火祭りなどは特に影響を受けたものだと想います。

さて皆さんもあれ?と気づきましたか?

そうです。

『神智学』ですね。

実は『神智学』もゾロアスター教の影響を受けたものではないか?とも言われています。

年代的な事を考えても

ゾロアスター級の始まりは紀元前から。
神智学の始まりは紀元後から。

この様な事から 


『日本の正しい歴史』を

知ろうと想うと日本だけを見ていては分からないし。

日本は日本で見なくてはいけない。

中々大変な国ですね(笑) 

ただ言える事は

日本は昔から海外の人と暮らしたり
時には守る為に争いもしながら

共に日本の歴史を築いていったという事。

そして、この様に昔から海外の宗教や文化などが当時の政権、朝廷に入りこんでいます。

正確な本当の日本の歴史を一冊に

まとめている文献などは無いと想います。

あったとしても、公にはされていないでしょう。

ただ

その『カケラ』は

前回もお話しした様に

皆さんの周りにも沢山あるんです。

今回のお話しで、少しは分かったと想いますが。


それは日本の文化そのものだったり

風習そのものだったりが

カケラそのものだったんです。


日本という国は

昔から海外の人と共に生きていたんです。


さて、今回は以上になります。

長々とありがとうございます。

次回

『〜番外編〜カケラ』

でお会いしましょう。

以上。

臥龍桜でした。




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