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白いカラス(4) ーチェリー・ピッキングー

チェリー・ピッキング(cherry-picking) 多くの事例の中から自らの論証に有利な事例のみを並べ立てること。
「無差別でなく、熟したサクランボだけを選別すること」が転じて「つまみ食い」「いいとこ取り」を表す。

例を挙げるなら
「記事を書くために時間も労力も割きたくない」けど、
「たくさん、スキをクリックしてもらいたい」ってね(笑)。


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ひらめきと真実


「一等3億円の当たりが出ました」の看板を見て、あなたはその店で宝くじを買いますか?

オイラが、高額当選者を何人か知っていると言ったら、オイラの言うことを信じますか?

ナポレオンの亡霊」という反転図形があります。普通の人にはさびしい海岸の墓場の絵にしか見えないのですが、幽霊に敏感な人(?)にはナポレオンの亡霊が見えるようです。


言うまでもなく、人の認知というものは、きわめて主観的なものなんです。
同じ状況でも見る人によって見え方が違うのは、人には見たいものしか見ないという性質があるから。
「信じたい」という気持ちが強ければ強いほど、「存在しないものも見えてしまう」。「自分のひらめきに惚れ込んでしまっている」だけなのに、ひらめきを真実だと信じてしまうのです。

論理的思考の1つである帰納法の弱点は、「存在しないものが見えてしまう」帰納法のワナ


ひらめきと真実の違いを知るには、確率論が鍵になります!!!


ところが、困ったことに、人間という生き物は確率論より感情論が勝ってしまうんです。

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進歩的文化人

今では、文化大革命が多くの人を悲惨な目に追いやったことは誰でも知っています。でも、1976年に毛沢東が死ぬまで、文化大革命をメディアは礼賛していたんです。
その頃、「中国に泥棒(犯罪者?)はいない」との記事が新聞に載っていたこと、おぼろげながら覚えています。それを見たひねくれ者のオイラは思いました。「記事を書いた記者は、アリの一匹も殺さず清く正しく生きられる人なんだろうなぁ」って。

進歩的文化人は、弱者の側に立った経済的公平性の哲学を教義とします。
でも、ソ連崩壊以後、社会主義への幻想を抱くものがいなくなったので、資本制批判から、国家・国民批判に向かいました。
そして、日本文化は外部に対して閉鎖的であり、他者に対して不寛容だというが、日本批判の定番となります。

進歩的文化人は言います。「中国の内部にはろいろ問題があるが、それを隠さずに明るみに出しているところがエライ」って、どこが(笑)。


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バクーニンの自由

進歩的文化人のお気に入りがマルクス主義。
目指すところは自由の創出であり、社会的階層や統治機関なき平等社会の実現。

ところが、自由の創出平等社会の実現において忘れてならないのが、ミハイル・バクーニンの社会主義 = 無政府集産主義なんです。
バクーニンはアナーキスト危ない奴と思われていますが、彼が社会自由について語っていたことはほとんどの人が知りません。

マルクスとバクーニンのどちらが「まともか?」って聞かれたら、オイラは迷わずバクーニンの方を選んじゃいますけどね(笑)。

では、バクーニンの考える自由とは?

自由とは「下から上へと向けて実現される」べきものであり、教育・科学的訓練・物質的繁栄によって才能や能力を十全に発達させることで手に入るもの。
よって、子供に平等に学習と成長の機会を与えようとなります。全面的に賛成とは言いませんが、一理ありますよね。

人間の自由を否定し、人類を隷属化するものがであり、特権的地位階級知性や精神を腐敗させ、自由を奪うと考えました。

ね、バクーニンは危ない奴どころか、真っ当なことを言ってるでしょう(笑)。


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バクーニンの予言


マルクス・レーニン主義は、国家を「ある階級が他の階級を抑圧するための機関」と位置付けており、国家権力に基づく支配関係や強制力を否定的に見ていたはずなんです。

ところが、マルクス主義者はプロレタリア独裁を「労働者による民主制」と自分の都合のいいように解釈し、共産主義への過渡期に期間限定で国家が存続するのはやむを得ないとしました。

あははは、これってレーニンが悪いのであって、マルクスはちっとも悪くない(笑)?


バクーニンはマルクスのことを、どう思っていたのでしょう?

「マルクスは、理論の高みから人々を睥睨(へいげい)し、軽蔑している。社会主義や共産主義の法王だと自ら考えており、権力を追求し、支配を愛好し、権威を渇望(かつぼう)する。何時の日にか自分自身の国を支配しようと望むだけでは満足せず、全世界的な権力世界国家を夢見ている」と。

ハンナ•アーレントを読んだ人なら、ピンとくるはず。

バクーニンはプロレタリア独裁のような中間的な段階を認めるご都合主義が大嫌い。だって、・・・国家は、・・・「新しい階級である官僚階級の手に渡り、単なる機械へと成り下がる、あるいは成り上がる」ものでしかないのですから。

いいですか、バクーニンが無政府主義を唱えたのは、いかなる形の政府も、やがては抑圧への道をたどり、独裁体制はのちに永久化の土台と化してしまうからなんです。
ね、マルクス主義者と違って、首尾一貫しているでしょ(笑)。

バクーニンは喝破しています。
マルクス主義者は「人民の意志であると見せかけている分、さらに危険な一党独裁体制を敷くであろう」と。


バクーニンを取り上げたのは、日本が無政府状態になればいいと思っているのではありません。むしろ、プロレタリアート独裁なんて一時的ではないし、共産党の看板を外してもプーチンのような独裁者が出てきたじゃいかって言いたいから。
そして、隣国はマルクス主義よりバクーニンの 無政府集産主義でよかったのになぁ、って思っている次第(笑)。


ここまで、読んでも、まだ「中国にはいろいろ問題があるが、それを隠さずに明るみに出しているところがエライ」って言います? 進歩的文化人のように(笑)。

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自由と確率


19世紀になると、社会科学で自由が介在する出来事を取り扱う時、確率・統計の概念を用いるようになります。なぜなら、確率はオイラたちの判断に客観性を与えてくれるから。

ところが、すでに述べたように、神さまは人間を確率を正確に捉えられないように作ってしまった(笑)。

行動経済学の一つであるプロスペクト理論の中核となるのが、確率加重関数。簡単に言えば、低い確率は過大評価され、高い確率は過小評価されるってこと。

たとえば、一等3億円が当たる確率は「500万人に1人」と言われているのに、あなた、宝くじを買っちゃうでしょう(笑)。
自動車事故より確率がはるかに低い飛行機事故を恐れる心理も同じこと。

自分の命や生活に関わる身近な事柄では、さらに確率を誤って認識しがちになるから困りもの。
「この手術の成功率は98%です」と言われても、実際より低い確率だと受け止めるあなたは、「なーんだ、100%じゃないのか(=リスクゼロじゃないのか)」って思ってしまうんですよ。

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確率論


「クレオパトラの鼻がもう少し小ぶりだったら、地球の表情は変わっていただろう」と言ったのは、パスカルの原理で有名なフランスの思想家・科学者 ブレ―ズ・パスカル。

他にも「哲学をコケにすること、それこそ真に哲学すること」だと言ったりと、ふざけた野郎ですよね(笑)。
彼のふざけたところは他にもあります。それは確率論

なにしろ、確率論神への信仰について説明しようとしたのですから。

ふざけた野郎と思われたパスカルですが、実は敬虔なキリスト教者でした。
パスカルはデカルトが許せません。だって、デカルトが「理性は万能。神の存在だって証明できる」と暴言を吐いているのですから。

パスカルの認識では「は、人間の理性ではうかがい知れない存在であり、理性とは違う種類の能力である心情が直接に感知する存在」なのです。

理性が壊れていての存在を決定できなくても、神が実存することに賭けなさい。なぜなら、賭けをした時の無限の期待値は、信じないことの期待値より常に大きいし、賭けても失うものはないのだから。
なにより、神の実存に賭けることで、生きることの意味が増すのだから。

『パンセ』

これが有名なパスカルの賭け


無限の宇宙と比べたら人間なんてちっぽけなのように頼りなく弱々しい存在だ。そして、宇宙が人間を殺そうと思えば、ひとしづくの露ほどの力でよい。でも、そのことを知っている人間は「考える葦」であって、そのことを知らない宇宙より素晴らしいんだってことを意味している。

『パンセ』

まさに、ソクラテスの「無知の知」じゃないですか。

思考
によって人間は宇宙を包み込むのであり、思考の力は計り知れないが、そんな人間を創造したはもっとすごいってことをパスカルは言いたかったんでしょうねぇ(笑)。

今に至るまで、すべての学問に確率的な思考法が浸透したのは、パスカルが「確率」の考え方を数学的に体系化してくれたおかげ。まあ、確率論などどく吹く風って人も多いんですけどね(笑)。

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プロパガンダ



特定の政党が主権を持ち、政治家が国民によって選出されない寡頭共和制をとるのが、旧ソビエト連邦や中華人民共和国。これらの国では、政治的意見は党上層部によって制約され、党はマスメディアを使ったプロパガンダに長けています。

一方、民主主義や言論の自由の負の側面が、己のイデオロギーのためにウソの情報を垂れ流すこと。そこを、隣国にいいように利用されているのが、日本のような自由主義の国(笑)。


朝日新聞の「従軍慰安婦」報道は、元になった談話自体が捏造でした。
日本軍の関与がなかったことが明白になると、「広義の強制はあった」とゴールポストをずらし、自分の主張自体は間違っていない、と開き直ります。
そりゃそうですよね、あなたたちにとっては歴史的事実国民の税金より「軍国主義、すなわち日本人が多くの悪をなした」という主張・イデオロギーの方が重要なんですから(笑)。


自分の思い込みに固着し、肯定的な情報を集めることを確証バイアスと言います。これを引き起こすのが、固着性ヒューリスティック=状況や文脈に強く影響されること。

一旦、脳の回路ができてしまうと、「自分への反証材料を集めたくない心理、反証材料を与えられても無視する人間の習性」が正しい思考・選択の邪魔になります。

 「『ほかに選択肢はありませんよ――』
メディア論が専門の石田英敬・東大教授は2013年、安倍政権が発するメッセージはこれに尽きると話していた。そして翌年の解散・総選挙。安倍晋三首相は言った。
「この道しかない」。
固有名詞は関係なく、為政者に「この道しかない」なんて言われるのはイヤだ。
近道、寄り道、けもの道、道なんてものは本来、自分の足で歩いているうちにおのずとできるものでしょう? 
はい、もう一回。
だまってトイレをつまらせろ。ぼくらはみんな生きている」。

朝日新聞『だまってトイレをつまらせろ』

総理が「この道しかない」と言ったからって、「トイレをつまらせる」という反道徳的な報復を、まっとうな新聞なら薦める訳ありませんよね。
タブロイド紙だって、やりゃしませんって。
ところが、これが朝日新聞の表現の自由反権威・反権力主義らしいのです。

新聞を公共財と自覚しているのであれば、メスを公共の場で振り回す外科医を放置する病院がないように、新聞社もこの記者にペンを持たせることをやめるべきですよね。

朝日新聞がファナティックなイデオロギーの狂信的信者向けの会報誌にしか見えない理由を、心理学者のラーナーが見事に示してくれています。
つまり、自尊心の高い人ほど、正義感に燃えやすく、有能な自分は失敗しないと思っているので、攻撃的になるのだそうです。そして、彼らが正義の衣をまとうと、攻撃性に歯止めがかかりにくくなる

いまだに朝日新聞の読者となっている日本人が相当数いるという事実からは、GHQのプロパガンダによる心理的占領の根深さがうかがえるというものです(笑)。

追加です。7:50 AM

https://note.com/namedtama/n/n30953ebda578

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ゼロ・リスク症候群


隣国の独裁政権下で、ゼロコロナ政策により経済が失速しています。
都市封鎖によって上海港は物流が滞っています。
習近平政権は5月初旬の重要会議でゼロコロナ政策の徹底を確認。

中国の経済力と軍事力によって我が国を取り巻く状況が変化しているのに憲法9条安全保障関連法案の改正に頑なに反対する人と、ゼロ・リスク症候群は無関係ではありません。

この世は複雑であり、侵襲性もなく、「リスクがゼロ」の状態など、どこにも存在しません。ところが、マスコミはゼロ・リスクが可能であるかのように書きたてます。

ゼロ・リスク症候群は相手の足を引っ張る手立てとして有効ですし、手っ取り早い金儲け。ルールに無謬性(間違いがないこと)を求めれば大衆は不安がりますし、大衆の不安を煽れば、新聞は売れ、TVの視聴率も右肩上がり(笑)。

2003年、国民がクロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)を恐れて米国産牛肉を食べなくなったのがBSE問題。日本政府は米国産牛肉の輸入を禁止しました。でも、牛肉を食べてvCJDを発症するリスクはゼロではありませんが、限りなくゼロに近い状態。
つまり、牛肉を食べないという選択は合理的ではないのです。

何が言いたいかと言いますと、「リスクがゼロ」と「リスクはゼロではないが存在する(ゼロに近い)」の境界は、マスメディアのさじ加減で、いかようにでもなるということ。

だから、オイラ、新型コロナの報道でも、マスコミの恐怖商法に乗せられないよう、「正しく恐れる」ことを繰り返し薦めてきたんです。

https://note.com/gashin_syoutan/n/n4dfd6bc608cf

https://note.com/gashin_syoutan/n/n316eb86d8866

https://note.com/gashin_syoutan/n/nf4b9b9006faf

https://note.com/gashin_syoutan/n/n16e1d8551c87

https://note.com/gashin_syoutan/n/nd39042175ec7

https://note.com/gashin_syoutan/n/n35cd9bed3a52

https://note.com/gashin_syoutan/n/n6e10e2441fb4

https://note.com/gashin_syoutan/n/n37839c02fce1

https://note.com/gashin_syoutan/n/n912d2155ae1b

https://note.com/gashin_syoutan/n/nb4bd9d117e5e


科学的根拠に反する善意(?)に基づく判断で国民の足を引っ張るマスコミは公共財と言えるのしょうか(笑)????


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チェリー・ピッキング(いいとこ取り)


「税金が上がるのはいやだ」けど、「社会保障は手厚くしてほしい」。
自衛隊は違憲だ」けれども「災害救助には、すぐ来てほしい」。

これって、単なるわがまま、いやいやチェリー・ピッキング(いいとこ取り)です。
あなたの「公平な観察者」は大丈夫ですか?

すでに指摘したように、メディアは科学的に議論すべき問題を「思い出しやすさ」や感情の問題へすり替えることで確率論を闇に葬り、チェリー・ピッキングの推奨に勤(いそ)しみます。

すり替えと言えば、フレーミング効果でしたね。

https://note.com/gashin_syoutan/n/ncd758899527f

よく聞くの「どさくさに紛れて憲法改正しようとする」って表現も、フレーミング効果。どさくさに紛れてについては、後日、解説しますね。

「偏見を抱く」ことと「用心深く」あることとは別問題ですし、「思い出しやすさ」と「確率」とは無関係です。それなのに、「リスクがゼロ」と「リスクはゼロではないが存在する(ゼロに近い)」との境界は、マスメディアのさじ加減次第なのですから、危ない、危ない。

台湾では「経済スパイ罪」が新設されました。
スパイによるリスクをゼロとみなすことが現実的でないことは申すまでもありませんね。

    ◇      ◇       ◇       ◇

繰り返しによる洗脳


マスコミュニケーション学者のポール・ラザーズフェルドとロバート・マートンは、洗脳するには3つが揃わなければならないといいました。
1.マスコミュニケーション手段の独占
2.回路形成
3.制度化

1.マスコミュニケーション手段の独占:人をイデオロギーに染めるには、カウンター・プロパガンダ(敵のプロパガンダに対抗するためのプロパガンダの流れないマスコミ環境を作ること。
2.回路形成:最初に与えられた情報によって固定的回路ができてしまうと、その後に、それに反する啓発情報を送っても、脳が受け付けなくなること。
3.制度化:イデオロギーやドクトリンが永続性を獲得するには、機関や制度が有効。

「ウソも100回繰り返すと、本当になる」という表現はまんざらウソではないようです。
心理学的実験によれば、偏向報道や、報道しない自由による事実の捻じ曲げから 1か月もすると、事実の報道と同じく信じられるようになるみたいなんです。


そりゃ、100回と言わず、子どもの頃から「フスマを開けるとお化けが出るぞー」と繰り返し脅されてくれば、大人になってもお化けが怖くてフスマを開けられなくなり、チェリー•ピッキングに走らずにいられませんよね。


    ◇      ◇       ◇       ◇

このシリーズを読み終わった頃に、どれくらいの人がチェリー•ピッキングな脳に「公平な観察者」が宿ることになっているのでしょう。

って、それより憂慮すべきは、すでに読者数が減っていて悲惨な状態になっているって現状

「あー、そんなつらい現実、見たくない、見たくない」


最後に、お詫び。
今回も、長くなってすみません。

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