読書とコーヒー

 割と読書が好きである。主に小説を読む。地元にいた頃は図書館で借りることが多かったが、関東に引っ越してきてからは図書館が身近にあるという状況がなかなか訪れず、また勤めていた先の福利厚生の一環で、毎年図書券を奮発してくれていたため、どちらかと言うと買うことが多かった。勤め始めてしばらく経ってからは電子書籍も活用するようになり、そこからより読書の機会が増えた。
 読む場所や時間にとらわれないことが電子書籍の利点である。通勤時間や職場の昼休憩時、家に帰ってやることがない時など、隙間時間を活用して積極的に読める。側から見ると、一見スマフォを眺めているだけのどこにでもいる人間に見えることも、自意識過剰な僕にとってはありがたかった。
 僕はどうしても、電車や公園などの不特定多数のいる場所で本を片手に過ごしていると、他の人から意識の高い人間に見られるのではないかと不安に駆られるたちである。こと休日の昼下がりなぞに公園のベンチで話題の小説を読んでいたりしようものならば、暇を持て余した意識の高い社会派の大学生たちが集まってきて、

「見ろよ、あいつこんな公衆の面前でこれみよがしに本読んでるぜ。あんな顔で一端のインテリジェンス気取りかよ」

「あいつ顔に対して選ぶメガネがおかしいし、そもそも顔が歪んでる。あの顔面で手に持ってるのが青春小説ってマジで笑える」

「あいつ絶対高卒だろ」

などと内心連れ立って罵られ嘲られ、嗤われてしまうのではないか、などと余計なことを考えすぎてしまうきらいがある。その点、どこにいてもその他大勢の中に埋没できるスマフォを読書に活用できることが嬉しいのである。

 また、読書や作業の合間に、コーヒーをよく飲んでいる。特にブラックコーヒーを好んで飲む。最初は350mlのペットボトルを試していたが、次第にそれだと足りなくなって500mlに増え、一本ずつ買うのが洒落臭くなって5本程度まとめ買いをするようになり、最終的にAmazonで2リットルのペットボトル6本入りの箱を注文するに至った。最近はそれすら一週間で消える。稀にコーヒーを飲まない日があったりすると翌日頭痛があったりする。
 以前働いていた場所で、コーヒーを豆から挽いて淹れる人がいた。話を聞いていると豆の選定からコーヒーを淹れる際の細やかなこだわりじみたものまでこちらに伝わってきて感心した。真のコーヒー好きとはこういった人のことを言うのだろう。僕などはただのカフェイン中毒者だと実感した。
 いつだったか、友人と話しながら道を歩いていた際、なぜかコーヒーの話になり、その友人が、

「ブラックコーヒーを嫌いな人間の気がしれない。ブラックを飲む俺を、周りは俺のことを『大人なやつだな』と揶揄ってくるが、俺からすればあいつらが子供なのだ。あんなに美味しいのに、ブラックコーヒーを遠ざけている奴らが可哀想だ」

と言うようなことを言っていた。その話を聞いていた時は特段何も感じなかったものの、数年経ってふとした拍子に思い出した際、なんだか空恐ろしくなってしまった。ただブラックコーヒーを飲んでいるだけなのに周りから揶揄われないといけないのか、と言うことにである。
 僕がある日、たまたま休みが取れた日に風景の綺麗な公園の一角、備え付けられているベンチに座って缶コーヒーを嗜み、愛読書を読んでいる場面を想像してみる。そこに、右側から先ほどの社会派大学生諸氏が連れ立って歩いてきて、先述の「読書するメガネ=高卒」の過激派思想を繰り広げて僕を内心嘲笑う。それら目に見えない、耳にも届かない嘲笑に耐えながらそれでも果敢に、引き続き休日を過ごしていると、今度は左側からまさに青春を謳歌している名門女子大生諸氏が楽しげに歩いてくる。イツメンでこの公園を拠点に駄弁ろうとベンチを探しているところに、僕の姿が飛び込んできた彼女たちは、すぐさま僕が飲んでいるブラックコーヒーに目を向ける。

「え、見てよ、あいつ。あの顔で読書しながらブラックコーヒーなんて飲んじゃって。あれでオシャレぶってるつもりなの? うわ臭っ」

「うわキモっ! あの缶コーヒーちょっとテカッてない? あれあいつの唾液だよ…イヤーー!! あれ絶対臭いよ!」

「オエエエエ!! あの顔とメガネでよく人前であんなことできるよね……自分が公害であることを自覚してほしいわマジで」

「ていうかあいつ絶対高卒でしょ」

と言うようなことを、配慮のない彼女たちは内心…ではなく声に出して言うだろう。当然、僕の地獄耳にしかと届くことになり、いよいよせっかくの休日を満喫しようと普段あまり出ることのない公園まで足を運んだだけの僕の心はポッキリ折られてしまう。
 僕は立ち上がり、二組の心無い嘲笑を背に、もぐらのように穴を掘り始め、読んでいた本を土に埋め、穴を塞ぎ、その土に飲みかけの臭いコーヒーを注ぐ。空になった唾液まみれの缶を頭に乗せて発狂し、そのまま手足をばたつかせて猛然とその場から退散する。汗と涙と鼻水でみるみる顔が覆われ、メガネは曇り、歪んだ顔はこの世に存在してはいけない人外のものとなる。次第に僕の姿は変化し、体毛が一気に増殖し、身体中を真っ黒な毛が覆い、やがて背中からは大きな翼が飛び出し、奇声を上げつつ公園から空高く飛んでいくことになる。一連の動作を見ていた社会派大学生諸氏は僕のあまりの気迫に自らが本質的にはノンポリであることを自覚し、女子大生諸氏は自分たちが今後の人生を歩いていく上で決して目にしてはいけなかったものを見てしまったことを自覚するだろう。二組とも、思い思いに絶望に打ちひしがれ、軽い気持ちで見ず知らずの男を罵倒したことを後悔し、この教訓を糧にこれからは真っ当に生きていこうと決意する_______。

 そんな状況になることが本当に恐ろしいので、今日も僕は誰にも見られる心配のない自室で2リットルのペットボトルをがぶ飲みしながら本を読んでいる。東京は残酷で、正しい街だと思う。

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