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【映画】人の死から何を感じるか【おじいちゃん、死んじゃったって。】

私の大好きだったおじいちゃんは大学生のときに亡くなったしまったのですが、その時はすごく悲しかったし、人が死んで初めて泣いたかもしれないです。だから、おじいちゃんっ子だった自分はこの映画を見て、自然とどこか自分と重ねる部分がありました。

少し、自分とじじ(おじいちゃんのことをこう呼んでいたのでここでもこう書きます)の話をさせてもらうと、家から自転車で15分くらいの距離に住んでいたじじには小さいころからよく遊んでもらっていました。相撲や将棋はじじから教わり、よく相撲を取ったり、将棋を指したりして、なかなか勝てない中でもたまに勝てたときの喜びはいまでもすごく覚えています。

余談ですけど、じじの影響で幼稚園生から小学生ころまではかなり相撲に詳しかったですね。国技館に何度も連れていってもらったし、力士のキーホルダーやトランプを買ってもらい大喜びした覚えがあります。貴乃花、若乃花の全盛期の時代で曙、武蔵丸、魁皇、千代大海、武双山、栃東など有名力士がたくさんいた中でなぜか私はモンゴル人力士の旭鷲山が好きでした(笑)。

そして、思い出のは1つは、手先が器用で飛行機や船の模型などをゼロから手作りしてしまうじじに夏休みの工作の手伝いをお願いしたら本格的な郵便ポストの貯金箱を作ってくれ、それが市の大賞をとってしまったこと(笑)。あの時の罪悪感と賞状をもらい舞台上から見た景色は未だに苦い記憶として残っています…。

ぜひ、おじいちゃん、おばあちゃんが好きな人には観てもらいたい映画です。

タイトルにもあるように、『おじいちゃんが死んでしまうこと』がメインテーマだが、そこから派生して描かれている家族模様兄弟の関係性親戚との距離感など色々と考えさせられたり、時にはクスッと笑えるようなやり取りや会話が散りばめられていたり。そして、涙を誘う感動シーンが所々に待ち受けていたり。とにかく見どころ満載の映画だが、これを観た多くの人はそれぞれがどこかに共感できた部分は多いのではないだろうか。

~人が死んだときに抱く感覚とは~

「あんまりみんな悲しそうじゃなかったね」

おじいちゃんが亡くなったことにより親戚が家に集う中でどこかみんなの諦めていたような、他人事のような雰囲気を感じた春子(岸井ゆきの)が発した言葉だが、これはすごく分かる。

私がじじの葬式の時にどことなく感じていた感覚にすごく似ている。それぞれが悲しんでいるのは間違いないと思うが、淡々とお通夜とお葬式が執り行われ、気が付けば火葬を終え、遺骨になっている。劇中のおじいちゃんもじじも長生きしたからこその対応や空気なのかもしれないが、あの時、感じていた違和感がほとんどそのままで描かれていた。

じじの死体を触ったときに感じた冷たさやまるで眠っているかのようなきれいな顔は今でも自分の感覚と記憶にはっきりとある。もしかしたら、私も春子もどこかでじじが、おじいちゃんが、死んだことを受けれられていなかったのかもしれない。

~死んだ人が残された人に遺していくものとは~

冒頭にも書いたように、この映画のテーマは死だと思うが、それをもとに考えさせられることはいくつかあった。特におじいちゃんの3人の子どもたちの関係性やそれぞれ家族との向き合い方はかなりリアリティーがあった。

嫁と離婚し、息子、娘との距離感をうまくつかめていない長男、早期退職したことにどこか引け目を感じている次男、そして地位と名誉を手に入れながらも1人で生きている長女。どこかバラバラであったこの3人を中心にその周囲の人たちが、おじいちゃんの死をきっかけに久しぶりに顔を合わせ、自分自身や家族同士と向き合い直し、それぞれの中に何かが芽生え始める姿を見て、これはおじいちゃんからの最後のメッセージなのかなと思った。

だから、ボケてしまいおじいちゃんが死んでしまったことも息子たちの顔もよく分かっていないおばあちゃんが、最後の出棺のときに突然「おじいちゃん」と叫んだり、兄弟喧嘩の仲裁に入ったりしたのは、おじいちゃんの存在によるものなのかもしれない。

その結晶が最後にみんなが笑顔で撮った集合写真なんだと思う。

~おまけ~

岸井ゆきのはセックスやタバコが嫌味なく自然と似合う女優の一人だと思う。フジテレビの「突然ですが、明日結婚します」というドラマで彼女のことを知って以降はいくつか他の作品を観ましたね。よい意味で届かない存在ではないというか、素朴な感じが親近感を沸かせます。私の好きな女優の1人なのでみなさんも注目してみてください。

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