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因果応報見届け人② Who killed the kitten?

自転車がパンクした。

それはこの半月の間で2回目のことだった。
少し不審に思えたが、こんなこともあるだろうと前回と同様、近所の自転車屋へ修理に出した。自転車のパンク修理なら30分程度で終了する。僕はその間、店内で小さな木製の折りたたみ椅子に座りながら、小さなガラステーブルの上に無造作に置かれたこの街の情報誌やら地方新聞にひととおり目を通し、流れているFMラジオの週間天気予報をぼんやりと聞いていた。

「例年より気温が高く、一部太平洋側の地域を除いては...」

石油ストーブの青い炎が優しく揺れている。このひとときが心地よくて目を閉じ、ゆっくりと流れる時間に身をゆだねていると頭の中にひとりの男が現れた。

その男は以前、待合室で見かけた男だ。
男はセルフ式の検温機でうまく体温が計れず受付の人に今朝の体温を問われていた。

「今朝の体温はわかりませんが、一週間前に計った時は36度6分でした」

「わかりました。これで計ってみますのでちょっと首元失礼します」

ハンディタイプの検温機で無事検温を済ませ、男はぼくの目の前の背もたれのないビニールソファに座った。
ぼくは目を閉じたままだったが、男からの強い視線を感じる。しばらくするとおもむろに男はこう言った。

「なぜだかわかります?」

なぜだかわからないので黙っていると

「因果応報ですよ」

と男は言った。ぼくは変わらず目を閉じたままだったが瞼の裏側にぼんやりと男の姿が浮かんできた。はじめはぼやけていた輪郭も次第にはっきりと認識できるようになった。男は一点をじっと見つめたまま感情のない声で身動きひとつせずにこう言った。

「わかりませんか?」

ぼくは心の中で「わからない」と答えた。でも実際、声に出して言ったかもしれないし、言ってないのかもしれない。

「ずいぶん昔のことです。あなたがまだ子供だった頃のことです。覚えていますでしょうか、あなたは黒い仔猫が死んでいるのを見たでしょう?」

その事なら未だにはっきりと覚えている。当時、マンションの一階にある一室に住んでいた。ある日の夕方、ベランダにいたぼくはまだ歩くこともおぼつかない黒い仔猫を見つけ、母のつっかけ草履を履いたままベランダの柵を乗り越え、急いで仔猫のもとへ駆け寄った。

目の周りに大きなかさぶたをつけていて周りが見えていない様子だった。時折り口を開けて鳴いているみたいだったが、その鳴き声は聞こえなかった。仔猫を小脇に抱えベランダの前まで移動させ、水を飲ませようとして器を探した。器になるようなものがなかったので、ベランダにあった衣料用漂白剤の蓋に少量の水を注ぎ仔猫の口元に近づけてみた。仔猫が二、三回その水に舌をつけたのを見て、ぼくはそのまま家の中に入った。

翌日の朝、母から衣料用漂白剤の蓋がなくなったので知らないかと問われ、それならここにあるよとベランダから下を覗いてみると、朝露に濡れた草の上に横たわった身動きしない黒い仔猫と、鮮やかなピンク色した漂白剤の蓋があった。ぼくは昨日あったことを母に説明し、母はぼくにこのことは誰にも言わないようにと言った。

「意図していなかったことにしろ、あなたがしたことに違いありません」

落ち着いた口調で男は言った。

ぼくは何故かしら今のこの状況を、なんの疑問も持たずに受け入れている。これは夢かもしれない。今服用している薬のせいなのかもしれない。現実に起こっていることかもしれないし、それならここは自転車屋なのか待合室なのか、そしてこの男は一体何者なのか。

「それであなたは誰なんですか?」

そう言っても男は相変わらず一点を見つめたまま口を閉ざしていた。こちらの質問には答えてくれなさそうだ。

「その仔猫の霊的ななにかでしょうか?」

どこからどう見てもこの男が仔猫の霊のようには見えなかったが、他にうまく質問のしようがなかった。男は少し笑みを浮かべこう答えた。

「私の知るかぎり、この世に霊など存在していません」

「この世に存在する現象は全て因果応報なのです」

男は持っていたレジ袋から紙パックのコーヒー牛乳を取り出し、蓋を開けて一口飲んでから蓋を開けたままレジ袋に戻した。ぼくはレジ袋の中でコーヒー牛乳がこぼれ出さないか心配になった。しばらく様子を見ていたが、コーヒー牛乳はレジ袋の中で奇跡のバランスを保っているみたいだった。

安心した。よし、つぎいってみよう。
この話はまだつづくよ。。




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