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因果応報見届け人③三日月が見ているよ

「では今回の自転車のパンクが、それの応報となるわけですね」

こう尋ねても男はぼくをじっと見つめたまま何も答えてはくれない。たぶんこの男の目に映っているのはぼくではない。おそらく空気中に浮遊している粒子と粒子が結合し、肥大していく様子を熱心に観察しているのだろう。

この状態がしばらく続き、男からの返答を半ばあきらめていた頃、粒子の結合と肥大の観察を終えた男の口が開いた。

「たとえば風邪をひいただけで亡くなられる方もいれば、ガンになっても完治して長生きされる方もいらっしゃいます」

「もしくは、コップ1杯の水で溺死する方もいれば、122メーターの深さを潜水してもピンピンしているお方もいると聞いたことがあります。何が言いたいのかお分かりいただけたでしょうか?」

考えている間も与えず男はこう続けた。

「もしくはもしくは、他の女性と会話しただけで浮気と捉えわたしの首を力のがぎり締めた女もいましたが、他の女性と一夜を共にしたとしても変わらず愛情を注いでくれた女もいました。今ではどちらもいい思い出ですが、、」

「これは冗談です。あなたに理解してもらいたいのは、事の大なり小なりを必ずしも同じものさしでは測れないということです」

男はそう言うとレジ袋からコーヒー牛乳を取り出し、一気に飲み干そうとしていた。上を向いた顎から溢れでたコーヒー牛乳が喉元をつたう。喉元は大きくゆっくりと脈打っている。何か別の生物がそこに寄生しているかのように。そのように見えるのは、この男の話す言葉やその落ち着いた口調と、仕草や一連の行動があまりにも乖離しているからだ、たぶん。彼の人となりはぼくが持っている既存のものさしでは推測することはできないだろう。

「わたしは少し喋りすぎたようです。本来ならこうやって被因果応報者に話しかけることは禁止されています。わたしの仕事は、わたしが担当する人間に滞りなく因果応報が行われているかどうかを確認して逐一上に報告することです」

「よって、自転車のパンクがその報いなのかということをあなたにお教えすることはできません」

「その報いなのかということをあなたにお教えすることはできません」その言葉が頭の中で反復した。まるでYouTubeに流れるマッチングアプリの広告が最後に告げる「18歳未満の方はご利用できません」ぐらい冷たく響く。

「今回、おかげさまで上にはいい報告ができそうです。自転車のパンクなんて大したことではありません」

「そんなことより、あなたは今まで誰からも愛されたことがありませんね。それが気がかりです。それでは失礼します」

そう言うと男は奥にあるカーテンで仕切られた部屋に入って行った。誰からも呼ばれていないのに。

・・・・

「すみません、遅くなりました。修理おわりました」

意識の外側の遠いところからそう聞こえる。
今まで眠っていたようだ。そう思い込むことにしてぼくは現実に戻ろうとした。

自転車屋によると、走行中のパンクなら原因となるガラス片や切り粉などがタイヤ内に残っているものなのだが、そういったものは何もなかったと。ただ細い穴がチューブまできれいに貫通していたとのことだった。

「この半月で2回目だし、もしかしたら誰かにやられたのかもしれないね」

「もし、近々自転車がまたパンクするようなことがあったらまた持ってきて。調べてみて場合によっては警察に連絡したほうがいいかもね」

僕は自転車屋を後にし家路を辿る。辺りはもうすっかり暗くなっている。
僕には気にかかったことが一つだけあった。子供の頃の因果が今ごろになって返ってきたとするならば、僕が生きている間に全ての応報を受け取ることができるのだろうかと。

「この世に存在する現象は全て因果応報なのです」

ふたたび男の声が聞こえた。
振り切るようにして僕は自転車のペダルを漕いで行く。それでも西の空を見上げると、薄ら笑いを浮かべた三日月が1日の終わりをつげる暗いエンドロールに貼りついたままでいた。

おわり。

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