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N-012 円盤投げ全身像(大)

石膏像サイズ: H.62×W.41×D.20cm(縮小像)
制作年代  : ローマンコピー(原作はB.C.5世紀のブロンズ像)
収蔵美術館 : ローマ美術館・マシモ宮
原作者   : ミュロン(Myron B.C.480-445)

紀元前5世紀頃の古代ギリシャ・エレウテラエ(Eleutherae アッティカ地方北部)で活躍した彫刻家ミュロンの作品で、ディスコボロス(Diskoborus)と呼ばれます(円盤を下に降ろしたポーズのものはディスコフォロス(Diskophoros)と呼ばれ区別されます)。

古代ローマで”博物誌”を記した歴史家プリニウスの記述によれば、ミュロンはアルゴスの彫刻家アゲラダスの教えを受けたということです(コントラポストの生みの親ポリュクレイトス、パルテノン神殿のプロデューサーであったフェイディアスもアゲラダスの弟子)。他の多くの古代ギリシャの有名彫刻家と同じように、ミュロンの作品も大半はブロンズ像として制作されました。この円盤投げの彫像も、ミュロンの制作したオリジナル作品はブロンズ像だったのですが、そちらは現存していません。とても人気のあった彫像で、ミュロンの作品をもとにしたローマン・コピーが複数制作され出土しています。その中でも、最も原作に忠実ではないかと考えられているのが,ローマ美術館・マッシモ宮に収蔵されている“パロンバーラの円盤投げ”です。1781年、古代ローマ七丘(しちきゅう)のひとつであるエスクィリーノの丘の、パロンバーラ村から発掘されました。この地は貴族のマッシモ(Massimo)家の所有であったため、発掘された彫像もマッシモ家の所有となり、その住居であった”マッシモ・コロンナ宮”に設置され、一時期は”ランスロッティ宮”に展示されました(マッシモ家は、古代の共和制ローマ時代に遡ることができるほどの名門貴族。ルネサンス以降~現代に至るまでローマでは大きな存在感を示してきました)。発掘当初に、Giuseppe Angeliniという人物が修復を施したという記録が残っています。この彫像には、「パロンバーラの円盤投げ」、「ランスロッティの円盤投げ」という二通りの名称があるのですが、それは発見された土地である”パロンバーラ村”、その後この彫像が展示された”ランスロッティ宮(Palazzo Lancelotti ナボナ広場近くに16世紀に建設され、マッシモ・ランスロッティの所有となった建造物)”の名に由来したものです。
考古学者のカルロ・フェア(18世紀末~のローマの古代遺物監督官、ナポレオン占領期のローマで活躍)によってこの彫像は分析され、古代ギリシャのミュロン作「円盤投げ」の彫像の複製品であることが明らかになりました。マッシモ家が一般には公開しなかったにもかかわらず、この彫像の名声は瞬く間にヨーロッパ中に伝えられ、古典・古代を代表する芸術作品として広く知られることとなりました。1938年にはヒトラーからの圧力によってこの彫像はドイツに売却され、戦後の1948年に返却されるまでミュンヘンのグリプトテーク(Glyptothek)に展示されました。

ローマ美術館・マッシモ宮収蔵 「パロンバーラの円盤投げ(Discobolus Palombara,Discobolus Lancellotti)」 140年頃の制作。ミュロンの原作に最も忠実なコピーと考えらえている (写真はWikimedia commonsより)


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