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【Marxistの破壊工作】

左翼は「差別」という言葉を「プロパガンダ用語」として重用した。かくして「差別するな❗️」という言葉の前に、世界中の人々は黙り込んでしまった。

しかし、左翼が主張するように「差別」は一切許されないものなのだろうか・・

例えば、高級車と大衆車は違う。いいブランデーと三文酒は違うのだ。安いものが高価な物と較べられて、高価な物は価値があると評価された時、安価な物は差別されたと言って怒るのは筋違いである。良いものは良いのだ。軽自動車がクラウンの扱いを受けなかったからといって差別だ❗️というのは間違いである。違うから差別されているのだ。軽自動車は高級車ではない。

ところが、こと人間の話になると、どんな悪辣非道な凶悪犯でも人権があるんだから差別をするなという。被害者のことはさて置いてだ。明らかな凶悪犯は人々から非難され差別されるのは当然なのである。人権の話ではない。

また最近では、外国人への参政権付与や生活保護の支給、はたまた健康保険の適用などを認めないのは、人権を無視した差別だという論調が罷り通っている。

ではハッキリと言おう。日本の法律が外国人に適応されないのは当たり前なのだ。日本人に対する法律については、外国人と日本人を「差別」して考えるのが当然なのである。

「それは差別だぁ~っ❗️」と言うのなら「あぁ差別だ」と答えよう。逆に「差別」しなくてどうするんだ❓️と問いたいくらいだ。

但し❗️これは〈当然の差別〉であり〈妥当な差別〉である。いけないのは〈不当な差別〉なのだ。

それを〈差別〉にひと括りにすることがおかしいのである。

左翼の「差別発言だぁ~っ❗️」という攻撃に対して「差別ではない区別だ」などと対応する保守論者がいるが、「差別」も「区別」も似たようなものである。

長年、左翼の言う「差別・ヘイト」という単語に翻弄され続けてきた世界である。

もういい加減に、「差別」という単語が正しく使える世界に戻さなければならないのだと思うのである。

「差別主義者」というレッテルを貼るなら、是非とも〈妥当な〉という形容詞を付けて欲しいものである。僕は、決して〈不当な差別主義者〉ではないし、〈不当な差別〉は絶対にあってはならないのだということは、ハッキリと申し上げておく。

差別されるべきは差別させず、差別されてもいないものを差別だぁ~っ❗️と騒いで差別を作り出す左翼である。

アイヌが差別されている❓️LGBTQを差別している❓️それらは、差別を作り出して社会を破壊し利権を貪る「ビジネス差別の破壊工作屋」の常套手段なのだ。差別を否定しながら差別を作り出す矛盾。

「差別」イコール「悪いこと」という意識の土俵に上がっている限り、左翼・グローバリストの思う壺なのかもしれない。

そして「人権を盾にする」という論法こそ掏り替えである。「人権」の話ではないのだ。「人権があるんだから差別をするな」はトリックであり詭弁である。彼らの言うことが自然の摂理に反してはいないか❓️無理難題をゴリ押ししているんじゃないのか❓️あまりにも常識を逸脱してはいないのか、という話なのである。

彼等、左翼グローバリストの言う「差別プロパガンダ」とは、言いたいことがあっても何も言うな❗️という言論封殺であり、共産革命のための「社会の破壊」なのだということを知るべきである。


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