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エッセイ「ラーメンと台風と深まる夜の西新宿」2018/9/30

西新宿、午前3時。
台風24号の近づく雨の夜。

ネットカフェに閉じ籠って弁論の原稿を書いており、気づくともう終電はなかった。雨が予想以上に降っていてひるみ、なんとなく雨宿りをしようと屋根のある場所に入って、原稿のことを心配しつつぼーっとする。
するとガラリと音がして後ろのドアが空き、「中入って下さい、ラーメン、食べなくて大丈夫なんで、こんな…」
意識していなかったがそこは24時間営業のラーメン屋の前だった。頭にタオルを巻いたいかにもな店主が私に声をかけてくれたようだった。
こんな…と言いどもったのは恐らく

こんな(台風の)時にこんな人(若い女)がこんな時間(深夜3時)のこんな場所(新宿ど真ん中)に…といったところだろう。

なんとなく断りづらく中に入り、結局申し訳無くてラーメンを頼む。

私はとにかく胃が小さいというか、弱い。いつも周りには何をエネルギーにして生きているのかと聞かれるくらいの少食で、それ故いつも一人で外食ができない。
今日は少しお腹が空いているからいけるんじゃないかな、いつも始めはそう思うのだ。今日ももれなくそうだった。

味噌ラーメンを頼む。店の人は何も言わなかったが、味玉をおまけしてくれたことがわかった。それだけで心が温かくなる。
一口すする。一億年ぶりに食べたラーメンは思ったより熱く、びっくりして思うように食べられない。
味は、うん、美味しい。麺はとりあえず諦めて上に乗っているモヤシ、わかめ、そして味玉をぎこちなく頬張る。ここいらへんで嫌な予感がよぎる。もう麺を食べる気がしない。トッピングを食べ終わったときにはもう腹10分目になっていた。

ほとんど食べてないことによりスープの水面より麺などの山の方がまだ上にある。
どうして人類はこれを全て腹に納めることができるのか。日本人はなぜそんなにラーメンを食べたがるのか。
至近距離でほとんど減っていないラーメンをじっと見つめたまた硬直し、いつのまにか思考はラーメンから始まる宇宙を旅している。気づくと20分は経っていた。

このままではさすがに帰れない。意を決して2割食べた。これ以上食べたら吐いてしまう。私は麺をできるだけスープの中に沈めてから席を立ち、笑顔で見送ってくれる店員さんにラーメン屋にそぐわぬ最敬礼くらいの深いお辞儀をし、店を後にした。

もう雨は上がっていて、深夜の新宿に小田和正の「たしかなこと」が鳴り響いていた。この罪悪感と吐き気すらなければさぞエモーショナルに感じただろう。
キョロキョロ音源を探していると、「ギャッ」と声を上げそうになる。何か踏んだ、というよりは何かに足を突っ込んだ感覚に近い。長靴の厚底にも関わらず感じる、たぷっといいそうなヌメリとそこに感じる確かな固形物感。足の裏を伝って一瞬で左足全体の神経がしびれて固まる。おそるおそる足元を見る。それはやはりそれで、大量の吐瀉物を踏んだ。しかもそれは、さっき食べました、と言わんばかりの、だれかの「ラーメンだったもの」だった。

いつのまにか始発が動き始めた。長い1日の終わりと新しい日の始まりを一緒に感じる雨の西新宿、まだ陽は上がらない。

これからは、忘れないどんなときも。一人でラーメン屋に入ってはいけない、これだけは、たしかなことだと、いうこと。

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