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月刊コグマ#11 創造のあとさき

最近、とある漫画を読んでいて、とっても心に響いたフレーズがあったのでそれを紹介して始まりとしますね。

それは「傷つく覚悟」というフレーズだったんですけど。

これが僕にはないなぁって読んでいてとっても思いました。どの場面にしてもそうなのですが、嫌われたり、引かれたりするのが怖くて一歩踏み出せない。なんてことがやっぱり多くあって。

この言葉を見たときにその、今まで踏み出さなかったことで逃したその瞬間が思い出されました。

自分がこれからはその覚悟をいつまでも持ち続けて生活するのかと言われれば、多分それは難しいけど、本当に決めなくてはいけないその時には、手放したくないその瞬間には、この言葉が思い出されることでしょう。

一緒に帰るのを誘うだけであれほど緊張するなんて、こんなところでそれを発揮していたら、世の男たちは本当にすごいなと脱帽の限りです。

想像

「高校生活最後の文化祭」

言ってみれば今回の文化祭はこうだった。最後だから、クラスでも店を開くし、科としても展示をする。気付けば、開催まであと1週間を切っていて実感も湧かずに図書室でお客を待っていたときを思い出す。

今回の文化祭のタイトルは創造(実際には文字が違う)。色々なクラスや科が作ったものを披露する場なのだろう。

1日目は、まず展示団体のCM紹介ということで、教室で色々なクラスの紹介を見ていた。どれも個性的で今を取り入れている感じがして面白かったと思う。まぁ、自分のクラスのCMは優しい目で見ても苦笑いなものであったが。

その後、オープニングセレモニーをやるらしく3年生だけは体育館に移動した。
セレモニーでは、吹奏楽部や応援部、少林寺拳法部などが披露をしていた。
思えば高校生になって、初めて聴く側になった気がする。

吹奏楽部の演奏は、とても良くって、もう自分の居場所ではないんだなと感じてしまった。もしかしたら、この「とっても良くって」という感想は身内贔屓めいたものかもしれないけれど、そうやって悲しくなるほどには、自分と彼らが遠く感じた。

その後、舞台で自慢を発表する会などをやっていたり、くす玉を割ったり。そうしてセレモニーは終わった。舞台を見ていたときに、演技に励んでいたころを思い出した。そういえばあれも最後の文化祭だった。

毎年のオーディションをして、これで3回目。主役でなくとも、良い役をとりたい。そう思って毎年以上に台本の練習を頑張っていた。そうして迎えたオーディション。やはり緊張感に苛まれてはいたが、その緊張感はいつもと違い、悪くなかった気がする。
結果は第4幕の主役。つまりは大トリである。

小学校では劇をすることがなく、いつかは自分も舞台に立って演技をしてみたいと思っていた。ドラマを見て、自分ならどう思うのか、どう行動をするのか。想像の中でずっと考えていた。自分ならもっと、相手を知って、自分は味方だよって抱き締めるのに。自分ならもっと、カッコ良く相手を騙して、もっと悪く裏切って、お茶の間をハラハラさせるのに。なんて、そんな幼い妄想を。

そして中学生になり、劇に出会った。文化祭ではオーディション形式で役を決めて、最終日の頭に披露をする。劇に出会って感じたことは、「嘘って面白い」ということ。劇において演じるということは、自分にとって「嘘をつく」ということ。始めから終わりまでずっと嘘をついている。自分ではない誰かになりきって。それを知ったとき、自分の練習とリンクして、はっとした。この考えは、とあるCMからの受け売りなのだが、あの言葉を聞いて演じることの面白さに改めて気づいたと思う。あの経験はこれからの自分の大きな何かとして今もきっと支えてくれていると感じる。

午後は科展とクラス展の準備に励んだ。とは言っても前日に大まかな枠組みは済んでいたので、セッティングだけである。パソコン3台。自分達の場所に置いてログインが出来たらそれで終わり。
その後、クラス展のためにテントを組んでその日は家に帰った。

目の先の、校門の前には歓迎門を組み立てている人たちの姿が。よく話している後輩が関わっているらしい。部活が終わるとすぐに製作に向かっていく姿を見かけていたので、努力の結晶なんだということがよく分かる。
その努力を受け止めるべく、期待をして明日を待とうと駅に向かった。


創造

朝、7時25分。クラス展のためのテントを起こすためにこの時間に学校に来たのだが、こんなに早いのも久しぶりな気がする。後輩と話していたとおり、期待して校門に向かうとそこには大きな城が建っていた。まるで、ディズニーランドみたいだ。諸々の理由で写真は載せられないが、約束どおりたくさんの写真を撮った。自分のフォルダの中に大切な記憶として入っている。

科展では全9班で各場所に分かれて、行っていた研究を発表した。始めのほうこそ人は少なかったけれど、時間が経つにつれて入ってくる人も増えてきて、上手いこと盛況していたと思う。

自分達の班は1人で対戦できるオセロゲームを作ろうと、AIらしきものから自分達でつくってみようということをやっていた。この研究を「OthellA」と題して。

自分の仕事は、JavaScriptとHTMLというプログラミング言語をVisual Studio Codeという環境を用いて作ること。自分達の研究を紹介するためのポスターの作成。
そして、別の班で行っていたWebサイト作成での自分の班の紹介の3つ。

正直に言って、プログラミングは自分には向いてないと何度も思った。先生の力もネットの力も借りて、やっとこさ完成させた。ここからは自分の力を発揮するときだ。

まずはポスター。言ってしまえば、これは掴みが大切だ。自分達の研究をどれだけ分かりやすく、見やすく説明が出来るのか。自慢ではないが、一番キャッチーなポスターが作れたと自負している。使った緑色はすべて違う緑にしたり、などの細かいところに工夫を加えて自分は大満足だった。

次にWebサイトでの紹介ページの作成だ。これはHTMLではなく、WordPressというものを使っていた。とはいっても、ページの作り方などは既に行ってくれていたので、私たちがやるのは文章を入れることだけ。
あぁ、ブログみたいだな、これ。と、画面のレイアウトを見て思った。文字を書き入れることにする。必ず書くべきなのは、
①どんな研究をしていて
②どこまで研究を進めたのか
だった。

ここで書いているような雰囲気で、もっと言えば去年の夏から今年の頭までの月刊のような語り口調で。ラフに進んでいくよう、書き上げた。
途中で画像を挿入して、イメージをよりしやすくしたり、間に雑談を挟んで、テンポを変えたり。
他の班と比べると全く異質なものになってしまった気がする。

調子に乗って、リバーシの話をWordPressの中でもしてしまった。前回の「Birthday massage」と「HONYARARA」で書いた人の心の話の最後のまとめとなる3つめ。タイトルこそ無いが、この3つはリバーシ3連作として、自分の記憶に残る気がする。

気付けば、時間は10:00に。吹奏楽部の披露と時間が重なっていたので、聴くことは出来なかったのだがどうだったのだろうか。と、校長先生の展示を見るついでに訪ねようとすると、前述の後輩とはまた別の、直属の後輩に出会った。演奏は楽しかったのかと聞くと、もちろんと答えた。文化祭での演奏は、上手さも惹き付けるものがあるだろうけど、一番は楽しむことだと思っている。なので、「楽しかった」と言っているのを聞いて素直に良かったと思った。
途端に、約束をした後輩と会いたくなった。もちろん、歓迎門の感想も言いにいくために。

あの子と会うと、まずは楽しかったのか聞いた。自分の中でお決まりになっているみたいだ。歓迎門の話をすると、自分が感じていたものはその通りだったようで、モチーフは「イッツ・ア・スモールワールド」らしい。会いたかったことや午後もクラス展の仕事で見られない可能性が高いということを伝え、校長先生の展示を見に行った。

校長は地理の教員らしい。世界の楽器や服。調理器具から宗教の教典まで。たくさんの物が揃っていた。あの部屋に入るだけで、あそこまで異国情緒を感じることが出来るとは。自分に時間があったらもっと眺めていられたのにの悔やむばかりだ。

午後はクラス展の担当になっていたので、そっちに向かった。クラス展とはいっても展示ではなく、ただただドーナツを販売するだけなので特に困ったことはない。自分の時間は午後も午後。通常の販売数は売り切れていて、残っていたのは前売り券用のものだけだった。

ヒマだ。もうすぐで2回目の吹奏楽部の演奏が始まる。見に行こうかどうしようか悩んでいると、同じ時間の担当の人から少しなら行ってきても良いと言ってもらったので、少し覗くことにする。

途中から途中までではあったが、聴くことが出来た。ここに至るまでに彼らはどれほど練習をしたのだろうか。どれほどの工夫があって、趣向があるのだろうか。今までの自分の記憶と照らし合わせて考えてみても、違うものは違う。きっと、成功の数も失敗の数も。そんな考えを巡らせながら、ついでに「お疲れ様」と心から声を掛けた。

そろそろ文化祭も終わる。ドーナツも前売り券分はあと少しで無くなりそうで、その分もアナウンスで呼び出した。目の先のPTAはすべて終わったと既にテントを畳み始めている。
そうして気付けばアナウンスが流れ、文化祭は終わった。

「高校生活最後の文化祭」は綺麗に飾れただろうか。悔いは無いか。目一杯楽しんだか。
そんな考えはまったく無かった。この創造は至る所にあるのだと実感することが出来たから。
自分たちの研究もしかり、吹奏楽部の演奏も、校長の展示も。なにもかもが、0から1にするひらめきが入っている気がする。その1のひらめきが、創造を創造足らしめているのだと感じた。

最後だからこそ出来たことも多くあった。正直、「最後」はあまり好きではない。もう続くことは無いって突きつけられているようで。けれど、このように得られるものに目を向けてみれば、最後もわりと悪くないんじゃないかと思う。
これからも迎え続ける最後に向けて。


毛布

寒い。夜が寒い。足が寒い。

寝るときは、足元の窓を開けて寝ているのだが、そうすると、とてつもなく寒いので、朝苦しみながら起きることになる。

窓を閉めて寝ればいいと思う人もいるだろう。しかしそうすると、風の通りが悪い自分の部屋には熱が籠りすぎてしまい心地よく眠ることが出来ないのだ。

どうしようかと考えていると、親は最近毛布を出したと言っていたのを思い出した。自分もそうしてみようか。思い立ったが吉日。早速、毛布を出そうと親に在処を聞いてみる。すると、夜に持ってくると言ってもらえたので、ひとまず自分の睡眠は守られた。

「暖かい」とは良いものだと思う。冬に近づくにつれて途轍もなく恋しくなる。毛布だけでは無い。食事の間に飲むお茶も、部屋の温度も、なんなら部屋の灯りだって。

つい先日、自分のお茶を冷たいお茶から温かいお茶に変えたばかりだ。朝ご飯、夜ご飯共に10月半ばあたりからずっと温かいお茶にしたのだが、学校に持っていくもので温かくしたものは久しぶりだ。

ぐっと飲んでしまい口に触れて少しこぼしてしまうことも少なくは無いが、美味しい。その後、制服にお茶が少しかかって、いけないと思いながらかかったお茶を手で払い、結局一部濡れた制服のその部分を眺めながらやっちまったと思い、再びお茶を飲む。これはもう確信犯である。

ゲームをやっていて、確信犯という言葉の意味を最近初めて知った。確信犯というのは、悪いことを自覚しながらやる人のことではなく、自分は正しいと確信してやってしまう人のことを指しているらしい。つまり、逆に考えれば、お茶をこぼすのは正しいことなのかもしれない。

家に帰ってくると布団の上には毛布がかけられていた。風貌の変わった布団を眺めると不思議と心がワクワクした。ここからは新しい気持ちで寝ることになるのかと、しみじみとした感覚になりながら、食卓に向かった。

さぁ、夜である。ご飯は食べた。風呂は済ませた。時間は深夜手前。さぁ寝るぞと布団に上がり、足を入れる。暖かい。この感じ、とても懐かしく感じる。それもそうだろう。この毛布ともちょうど1年近くの再開なのだから。

毛布を肩までかける。電気を消す。横になっているうちにまぶたが重く降りてくる。外の世界と視界がシャットアウトされる。音が聞こえなくなってくる。意識が深く沈み込む。記憶がどこかに飛ぶ。
そうして、朝を迎えるのだ。
あ、トイレに行きたくなってしまった。


Influences

先日のこと。急にLIVEのDVDが観たくなり、好きなミュージシャンのものを買って、テレビで観ていた。

曲を一つ一つと聴いていく度に、心の奥がドキドキとしているのが分かる。そのライブのタイトルは「Continues」。始まりからその「続いていく」ということを強く感じていた。

歌謡曲、J-pop、その他色々とある日本の曲に外国のソウルなどのブラックな雰囲気を踏襲した日本人特有の音楽、「Yellow music」を作るのだという気持ちに惹かれ、彼の音楽を聴いているところがある。

今回の曲「Continues」には彼の憧れの人から言われた「未来をよろしく」という言葉から生まれた曲だと言う。その言葉は考えてみれば、憧れの人からもらった途轍もなく重い言葉なのかもしれない。

自分も、彼の影響を受けて、今ここにいる気がしている。彼のその音楽性に感化されて、その考え方に、物の見方に影響されて。
彼も彼の憧れの人の影響を受けて、そこにいるだろう。確かに影響を受けることで続いていくものがあるのだなと思った。

今、僕たちの年齢はいわゆる「多感な時期」と言われるところに属しているらしい。色々な考えに左右されながら、日々をせわしなく生きている気がする。胸の奥に引っ掛かるような言葉をかけられ、どうしても心のムズムズとしたものが抑えられなくなり、大きな声で言葉を吐き出したいと思ったこともたくさんあったし、これからもあるだろうと思う。

けれど、逆にそんなときに言葉が助けてくれることもある。それは友達からの心配であったり、ドラマのセリフの一部であったり、好きな曲の歌詞であったり。その言葉を聞いて、ムズムズとした欠けた心の一部分が埋まっていく気がする。

心の傷が治ることはなく、痕が残るらしい。痛いという気持ちは薄れるかもしれないけれど、それは痕となってたまに思い出される。その感覚をトラウマというのだろうか。

自分も、小学校や中学校のことをふとした時に思い出す。辛かった、悲しかった記憶も、楽しかった、嬉しかった記憶も。その中には先生に怒られてたくさん涙を流したものも、好きだった人と話した内容と笑った顔と、様々だ。そのすべてがすべてに影響を受けて、今の自分を形作っているのではないかと感じる。

その影響を受けた先で続いていく。受けたから、続いていくといってもいいのかもしれない。

命は続く
日々のゲームは続く
君が燃やす想いは
次の何かを照らすんだ

この燃やす想いが影響を受けた直前だとすれば、僕たちはその先の「照らす」ことに、影響を与えることに繋がるのだろう。
そしていつか、それは伝って繋がって、彼の憧れの人がそうしたように、次の世代へ託していくのだ。

DVDを観終わると、とても満足とした気持ちになり、その気分のままスマホに手を伸ばし、この話を書いている。これも一つ影響を受けた結果なのだろう。今、自分は途轍もなく創作意欲が、書きたいと思うその表現欲が溢れそうだ。
これも誰かの影響の一つになっていると面白いな。


本を読む日々

1

中学生の頃から本をよく読むようになった。小学生の頃も読んではいたが、そこまで頻度は高く無かったと思う。記憶に残っているものでも、ディズニーの小説版や、単行本も少しは読んだと思う。

活字を読むのが苦痛ではなかったからだ。何故なのだろうと理由を考えてみると、昔テレビに張りついて観ていたからなのではないかと思う。自分の家のテレビは毎回必ず字幕を設定で付けていたため、映像を目で追うことと同じように文字を目で追っていた。だから本を読んだときにその感覚が働いたのではないかと考えた。

自分は妄想の多い人間でもあった。テレビを観ていて、自分にも出来たらいいなと考えるその先をいつも想像していた。ドラマにしてもアニメにしてもすべてに自分が介入していて、頭の中の世界はとても複雑な物語になっていた気がする。

本への気持ちが再燃したのは、あまり高尚な理由ではなく本当にちっぽけな気持ちだった。好きだった人がよく本を読んでいたから。ただ、それだけ。けれど、本を手にとって開いてみると、その世界は刺激的で心を掴まれるようでとても面白かった。実際、本のつながりでより仲良くなることが出来たのでそちらの方は万々歳である。結果は自分が踏み出せなかったので、ご想像の通りだ。

2

久しぶりに読んだ本は、重松清さんの「きみの友だち」という本だった。重松清さんは昔から知っていて、過去にお世話になった先生に読んでもらった本(くちぶえ番長という本)が彼の本だったことから、とても入りやすいと感じたからだと思う。自分の読んだ彼の本は、そのほとんどが学生を主役に置いていてとてもイメージがしやすかったのかもしれない。

高校に入ってからも本を読む日々は続いた。1年生の頃には、1週間に1冊読むことが出来たのでそのペースで読み進めていくのと同時に、自分でも本の感想をまとめてみようと思い、Excelで表を作りながら感想を書いていくのを習慣にしていた。
今思えば、それがこの月刊の原点になっているのかもしれない。

3

先日まで、図書室で読書キャンペーンをやっていて、本を1冊借りるごとに1日1回くじが引けるよ!ということをやっていて、その景品にはお菓子やボールペンなどがあったため図書室には人がたくさん来ていた。図書室でキャンペーンをやっていることを校内のヤツらに伝えなくてはならないため、自分は放送室に向かっていた。

1日目は長い緊張のおかげかイメージしていたものがまったく出せずに失敗に終わった。隔日でやっていこうと考えていたため、あさってになると、しっかりと台本を用意して放送に挑んでいた。
この放送で決めたやるべきノルマは3つ。1つは始めの挨拶は必ず日付も言うこと。2つめは、キャンペーンの概要。そして、3つめは本の紹介である。

自分が中学生の頃から読み続けていた本を紹介するのは今なのかもと思った。2週間のキャンペーンの中、放送したのは6回。始めの1週間は図書室の本を紹介することに努めていた。
1つは「Story Seller」という新潮社から出ているたくさんの作家を集めた短編集。
1つは「十字架」という中学生の頃にも読んだことのある重松清さんの長編小説。十字架を背負う意味について考えるお話。
1つは「蜜蜂と遠雷」という高校1年生の時に読んだ恩田陸さんの長編小説。ピアノコンクールの始めから終わりのドラマを書いた話。

どれも手にとって面白い作品を挙げたのだが、図書室に行ってみてもその3つを誰も借りていない。正直、悲しかった。ならば、もう図書室のものに限らず読みたい本、好きな本を紹介しようと思い立った。本とはいっても、小説だけが本ではないだろうと。

そして次の1週間で紹介した本は
1つは「聖☆おにいさん」という世紀末を乗り越えたブッダとイエスが下界でのバカンスを満喫しようとするお話。ギャグの話が出来たので良かった。
1つは「ラブひな」という幼少期に女の子と交わした約束を果たそうと東京大学の入学を目指す19歳の少年のお話。ただただ、気になっているので紹介をした。

ここまで紹介して、最後の本を何にしようかと悩んでいたところで、図書室に行くと先生に捕まってしまった。予想はだいたいついていた。
用件はまさに、放送について。図書館にある本を紹介してくれと言われた。こういう事情があって…と駄々をこねるが聞いていないようだった。

4

そして最後の放送の日になった。
そこで紹介した本は「いのちの車窓から」というエッセイ。この本を読んでエッセイが面白いと感じたこと。エッセイは、その人の日常の見方がよく分かるから好きだということ。考えが伝わってくるから楽しいということを話した。

放送で話している最中に、このエッセイを読んだことで、最近の自分の読書週間は色々と影響されていることに気がついた。

始めにこの本を読んだことでエッセイを知って、他の人のエッセイも読みたいと思い、東野圭吾さんのエッセイ「たぶん最後の御挨拶」を手にとり、またそこから、圭吾さんの「怪笑小説」に飛び、その本から連なる毒笑黒笑と読み進めている。

本を読むことで、次に次にと繋がっていることがわかった。この感じならば、自分の本を読む日々はまだまだ終わりそうに無いなと実感することも出来た。

5

今、自分が本を読む理由は何なのだろうかとこの放送が終わってから考えていた。
もちろん始めは、好きな人が~という理由ではあったけど確実に今は違うと思う。
多分、想像をすることが好きだからなのではないかと思った。

日常生活で色々な言葉を吸収していると、体も心も疲弊していって、どうしても潰れてしまいそうになることもある。
そんな時に本を開けば、たちまち世界は隔絶されて想像の中の映像と自分だけになる。
そうやって逃げて、自分を守っているのかもしれない。

その空間が好きなのだと思う。
その想像を補うための一つのソースとして、本っていうものがあって、それで心を守っているのだと感じた。その場所を得られるから本が好きなのかもしれない。
それを一つの言葉とすると、本は面白いということになる気がする。

6

キャンペーンが過ぎると、また人が減ってしまった。やはりヤツらはお菓子やボールペンが目当てなんだろうなと再確認した上で、それも承知でやった企画なので、みんな正直で面白いなという気持ちもあった。

本を読む理由なんて、人それぞれで、それは本当に本が好きだったり、時間の穴埋めのためにただ読んでいるというのもあるだろう。

人が何を借りて、何を返すのか。それを知るのがとても面白いので、図書委員はやっていて良かったと思う。その本が知っている本なら、なおさら嬉しい気持ちにもなる。面白かったよな、と心の中で独りごちたり、時には、面白いよねと話してみたり。

想像の域を越えた現実のその空間も好きなのだから、多分きっと、本を読む日々はまだまだ続く。


まとめ:クリスマスの侵食

ちょうど昨日のこと、図書当番だったので掃除終わりの放課後に図書室に向かってみると、先生や吹奏楽部の同級生、図書室によく来る見知った子が何かの作業をカウンターの通り道でしていました。

屈みながらの作業だったので、とても邪魔だなぁとか思いながら、近づいてみるとクリスマスツリーの飾りつけをしていました。

先生に聞いてみると、来週からは図書室もクリスマス風に模様替えするらしい。
そのために、クリスマスツリーを出してきたので、たまたまいたその二人に手伝ってもらっていたみたいでした。

せっかくなので手伝おうとするも、不器用な自分じゃ太刀打ちが出来なさそうなほど、神経を使いそうなことをやっていたので、お客さんがいなくなるまでは、適当にガヤでもやっておきながら自分の仕事をしていました。

クリスマスツリーの飾りとして先生が持ってきていた物の中には、いくつもの長いキラキラとしたモールが入っていて、それらをすべてツリーにかけると、とてもケバくなってしまったので、新着図書のところに飾ってみたり。靴下の中に花を入れて、カウンターの側に置いたり。元々ある犬のぬいぐるみに無理やりとも見えるような被せ方で帽子を乗せてみたり。

色々な工夫で図書室を飾りつけていました。今思えば、自分は指示ばかりで、彼女たちばかりが働いていた気がするので申し訳ない気持ちでいっぱいです。ホワイトボードの「Merry Christmas」も書いたのは彼女たちだし、ツリーとか靴下とかも書いてとお願いしたのは自分だけど、書いたのは彼女ら。

まぁ、その、お疲れ様です。

こんな感じで、図書室も、側にあるBANDAIの会社も、帰り道にある家の窓から見える景色も、すべてツリーに侵食されてきていました。これはもう、クリスマスに侵食されていますね。

話しは少し変わりますが、聖歌の雰囲気が自分は少し好きです。コーラスというかゴスペルというか、そういう雰囲気は毛布でもあったような暖かさを感じる気がします。

そういえば、来週(12/2)の金曜ロードショーは「天使にラブソングを」をやるらしいですね。期末テストが近いですけど、観ようかなって思ってます。面白いって話を聞きますし、何よりこのシーズンらしい映画ですよね。

クリスマスか…12/25か…何の用事もない。
というか、あいつら(彼女たち)さ「何の予定もない」とか言ってたけど、それは僕の予定が欲しいってことか?そうなのか?もしそうだとしても信用出来ないぞ。怖すぎて。

なんて、まぁ冗談は置いておきましょう。

ポケモンがどうかしましたか?

あぁ、あれは、その、あの、また別の機会にね。
必ず、必ず書くので。お許しください。
まぁあれを目当てに見てる人もいないでしょうからそこまで気負わなくても大丈夫ですよね?

まとめがまとめ然としていないですが、
そろそろおいとましましょうか。

それでは、さようなら~。
また来月。


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