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ランピター: ウェールズラグビー誕生の地

現在、フランスで行われているラグビー・ワールドカップは決勝トーナメントに入りました。
残念ながら日本は予選グループで敗退してしまいましたが、決勝トーナメントも楽しみなカードが残っていますので、ラグビーユニオンのファンならずとも、スポーツに興味がある人であればまだまだスポーツの秋を楽しめるんではないでしょうか。

先程ウェールズv.s.アルゼンチンの試合が終わり、残念ながら私が応援していたウェールズは負けてしまいましたが、まだ若いチームですので、次に期待したいと思います。

さて、下記の写真はウェールズ中部の町であるランピター(Lampeter)/サンベドル・ポント・ステファン(Llanbedr Pont Steffan)の町のラグビーチームであるLampeter Town Rugby Football Clubのラグビーグラウンドです。1枚目の写真では、向こう側にクラブハウスが見えると思います。

Lampeter Town RFC Ground and the Club House. Taken by the author. 05th April 2003.
Lampeter Town RFC Ground (second pitch).  Taken by the author. 21st August 2023.


※この写真は2002年/2003年に撮影しましたが、その後2013年頃にクラブハウスは建て替えられたようです。

実は、ウェールズ中部の大学町であるランピター(Lampeter)は、1850年代にラグビールールのフットボールをウェールズで初めてプレイした「ウェールズのラグビー誕生の地」として知られており、このLampeter Town RFCはその町を代表するラグビーチームなわけです。

町の入口にある看板にも、次のように書かれています。

Southeast boundary sign, Lampeter for SN5847.” © Copyright Jaggery and licensed for reuse under this Creative Commons Licence. 

Man geni Rygbi yng Nghymru.
マン・ゲニ・ラグビィ・アンハムリ
Birthplace of Rugby in Wales.

つまり、「ウェールズのラグビー誕生の地」です。

途中で言うとややこしくなるので最初に一つ申し上げておくと、ウェールズのラグビーの誕生に関わってくるのは、この町のチーム(Lampeter RFC)ではなくて、カレッジ(当時St David's College)のチームであるということです。

現在の大学チームのグラウンドは町の南西部の方の「大学スポーツセンター」の敷地の中にあるのですが、ここはカレッジのキャンパスから少し離れたところにいわば増設されたような形なので、はっきり言ってカレッジ初期の1850年代に今の大学グラウンドがあったとは思えません。(そのグラウンドがいつ頃できたのかは調べきれていません)。

"Trinity St David Playing Fields - Pontfaen Road"  © Copyright Betty Longbottom and licensed for reuse under this Creative Commons Licence.

今は広場になっているキャンパス内の敷地には、2003年当時はグラウンドがありました。当時はフットボール(サッカー)のゴールがありましたが、昔はこのあたりでラグビー・フットボールも行われていたのでしょううか?

というわけで、正確に言えば、このグラウンドは「ウェールズの最初のラグビーチームのホームグラウンド」ではないかもしれませんが、当時から深い関わりがったでしょうから、「ウェールズの最初のラグビーチームに縁のあるグラウンド」とは言えるでしょう。

ところで、ウェールズにおけるラグビーの聖地といえば、ウェールズ代表が試合をするカーディフのミレニアム・スタジアムが思い浮かびますが、なぜこの田舎の小さい大学町が「ウェールズのラグビー誕生の地」なのでしょうか。

それはこの地に高等教育機関が設立・運営されていたという歴史が関係してきます。
現在University of Wales Trinity St David(ウェールズ大学トリニティ・セント・デイヴィッド校)のランピターキャンパスがある、この小さな田舎町の歴史を見てみましょう。

ランピターとセント・デイヴィッズ・カレッジ 略史

小さいとはいえ、ランピター(サンベドル・ポント・ステファン)はノルマン以来の歴史を持つ町です。

もう少し南へ行くと、ローマ以来の歴史を持つ拠点の町、カマーゼン(カイルヴァルジン)がありますが、このランピターもテイヴィ川の流域の村々からの道路が集約する町でした。
イングランド国王エドワード1世がウェールズ公サウェリン・アプ・グリフィズを1282年に敗死させると、現在のケレディギオン州はカーディガンシャーとして国王の直轄地となり、ランピターも国王の直轄の町として栄え、毎週市場(マーケット)を開く勅許、年に8回まで見本市(規模が大きく高価なものを扱う市場。大市とも。フェア)を開く勅許を相次いで獲得し、その地域の商業的中心として発達することになりました。[1]

このようなバックグラウンドがあった町ではありましたが、教育レベルという点では満足できるものではなかったらしく、1803年にセント・デイヴィッズ(ティ・ゼウィ)の主教に赴任したトーマス・バージェス師は、非常に熱心にウェールズでの司牧に打ち込み、ウェールズ語話者の教区にはウェールズ語を話せない司祭を任命しない、ウェールズの文化を教会は保護するといった政策を打ち出します。そういった中で、この地域の高等教育機関の必要性を感じ、聖職者の教育機関の必要も相まって、高等教育機関を設立することを決意します。[2]

当初は、すぐ近くにある古い教会の町であるサンゼウィ・ブレヴィが候補に上がっていましたが、地元の教育の必要を認識していたランピターの地主が「かつてノルマン時代の城があった広大な跡地」を寄付したため、ランピターに設立されることになりました。

1822年に定礎、1827年の3月1日、すなわちウェールズの守護聖人聖デヴィ(聖デイヴィッド)の祝日にセント・デイヴィッズ・カレッジ (St David's College) として開校しました。続く1828年に設立勅許状(Royal Charter)を受け法人格の設立を正式に認可されています。

その後、1852年には神学士号(B.D.)、1865年には文学士号(B.A.)を授与する権利をそれぞれ得ることとなり、聖職者養成の高等教育機関としての形を整えていくこととなります。[3]

※この記事は英国の大学の説明ではないので、細かい話は将来書く予定の別稿に譲りますが、この段階では高等教育機関としての認可であり、大学(University)ではありません。
※このSt David's Collegeはその後、St David's University CollegeとしてUniversity of Walesへ参加、大学名をUniversity of Wales, Lampeterへと変更、その後合併と組織変更により現行名へ変更、と歴史をだどっていきますが、これもいずれ書くつもりの別稿へ。

この高等教育機関として発展していく途中の1849年に副学長(Vice-Chancellor)兼ヘブライ語の教授として赴任してきたのが、ロウランド・ウィリアムズ(Rowland Williams)です。

ウェールズのフリントシャー出身でケンブリッジ大学のキングズ・カレッジで学び、その後同カレッジで古典のチューターとして教えていたウィリアムズは、神学者・聖職者であると同時に熱心な教育者というう評判でした。

当時32歳とまだまだ若かったロウランド・ウィリアムズは精力的に大学のクオリティ向上に努めていきます。[4]

そういった活動の中で、彼の功績として伝わるのが、「ウェールズにラグビーをもたらした」ことです。

ロウランド・ウィリアムズは学生の体力向上が必要だと考え、まず最初に(いかにも英国的ですが)クリケットチームとファイヴズ(5人制のハンドボールのような競技)を創設し、そして1850年頃にケンブリッジで嗜んでいたラグビールールのフットボールをランピターに持ち込んだとされています。[3][4][5][7][8][12]

一つ注意点なのですが、この段階ではまだラグビーユニオンは成立していません。
この段階ではあくまでのラグビールールで行うフットボール競技です。

1830年頃にラグビー校でランニングインを認める競技が盛んになり、それを盛り込んだルールブックが作られ、1840年代~50年代には英国各地でラグビールールのフットボールがプレイされていきます。

一方で、伝統的にランニングインを認めないルールも当然あり、ルールのすり合わせのためにクラブチームが集まって会合を繰り返し、フットボールアソシエーション(FA)の設立が進められました。
しかし、意見の主流がランニングインを認めない、ハッキングを認めない、というものであったため、ラグビールールのメインクラブであるブラックヒース・クラブが協議から離脱。

ここで現代の2つの競技、フットボール(サッカー)とラグビーユニオンが完全に分離しました。
(フットボールアソシエーションは1863年に正式設立。ラグビーフットボールユニオンは1871年に正式に設立。)

したがって、ロウランド・ウィリアムズがケンブリッジから持ち込んだのはラグビールールのフットボールという競技です。

ランピターとラグビー・フットボールの邂逅、そして普及へ

このロウランド・ウィリアムズが持ち込んで設立されたのが、カレッジのチーム(St David's College)かそれとも町のチームか(Lampeter RFC)というのは、どうしても文書などでの証拠がないために、長年議論があったようですが、近年では資料が確認されたようで、ウェールズラグビーユニオンの公式の見解でも「カレッジのチーム」を「ウェールズ最初のクラブチーム」として認めているようです。[6][7][8]

その最初期に対戦していた相手がサンドヴァリー・カレッジ(Llandovery College)のチームです。

Wales OnlineのDeweyによる記事では、1850年代にラグビールールのフットボールをプレイしている学生グループがあったこと、サンドヴァリー・カレッジが1860年代に試合を始めており、モンマス、チェプストウ、ヤストリッド・メイリグ、カマーゼン、、ブレコンのクライスツ・カレッジといったグラマースクール(進学を目指す中等学校。この時代はたいてい寄宿制)にもチームができ試合をしていたようです。[5]

この中でもサンドヴァリー・カレッジのチームは「記録に残る中で最古のウェールズにおけるラグビーの試合をしたチーム」として名を残すことになります。

1866年にカイオ村で行われた「セント・デイヴィッズ・カレッジv.s.サンドヴァリー・カレッジ」の試合のことです。

サンドヴァリー・カレッジ(Llndovery College)が、カマーゼンシャーのサンドヴァリー(Llandovery)に設立されたのは、1847年のことです。これは高等教育機関というより、大学を目指す中等教育機関として設立された私学カレッジで、現在も存続しています。[9] こちらもカレッジ内にチームが結成されたようで、セント・デイヴィッズ・カレッジのチームと試合をしていたようです。

このサンドヴァリー・カレッジはラグビー選手で有名なプレイヤーをそこそこ輩出しています。そのままセント・デイヴィッズ・カレッジへ進学してプレイした選手もいますし、他の大学・カレッジへ進学し、ウェールズ代表、イングランド代表、ブリティッシュライオン(英国連合チームであるブリティッシュライオンズの代表のこと)になった選手もいます。
セント・デイヴィッズ・カレッジはあくまで聖職者養成高等教育機関でしたが、サンドヴァリー・カレッジは地域の中等教育機関(しかも完全私学の)であったのでより幅広い人材が集まったのでしょう。

ランピターのセント・デイヴィッズ・カレッジのチームとサンドヴァリーのサンドヴァリー・カレッジのチームが「ランピターに於いて1860年代には試合をしていた」と言い伝えられていたのですが、Wales Onlineの記事によると、1865-66年シーズンに試合をしていたという文書が発見され、この試合を「ウェールズでのラグビーの最初の試合」とウェールズラグビーユニオンも公認しているとのことです。[5]

ちなみに、上記のWales Onlineでの言い伝えの記述では「ランピターで試合をしていた」と示唆されていますが、2022年に行われた両カレッジチームOBの記念試合のプレスリリースによると、1866年にセント・デイヴィッズ・カレッジvsサンドヴァリー・カレッジの試合がカマーゼンシャーのカイオ(Caio)という村で行われたとのことです。なぜこの山あいの田舎の村かというと、「ランピターとサンドヴァリーの中間地点だったから」といういかにもな理由でした。[7] 


ランピター、サンドヴァリー、カイオの位置関係 © OpenStreetMap contributors 
ランピター、サンドヴァリー、カイオの位置関係、Zoomed Out. © OpenStreetMap contributors 

Huw C. Thomasによりますと、このランピターで試合があったというのはよくある誤解だそうで、たしかに、この試合のことを記述しているウェブサイトではしばしば試合会場が「ランピター」であると記載されていることがあります。しかし、Thomasが歴史家のSelwyn Waltersの著書を引くところによると、H. A. Harris教授がその著作の中でカイオで試合があったことを記しているとのことです。[10]
また、Thomasは同じ記事内で引いているThe Llandovery College Journal of March 1879にも、2つの町の中間地点のカイオで行われたことが記されています(残念ながらこのジャーナル自体は私は未確認)[11]
彼によれば、このカイオでの試合はその後も行われたようです。[8]

では、ここまででまとめますと:

1850年頃にロウランド・ウィリアムズがケンブリッジで嗜んでいたラグビールールのフットボールをランピターのセント・デイヴィッズ・カレッジに導入し、カレッジ・チームが結成された。

その後、程なくして(1860年に入って)サンドヴァリー・カレッジにもラグビールースのフットボールチームが結成される。

1866年に、記録が残っている中ではウェールズ最古のラグビーの試合が、セント・デイヴィッズ・カレッジとサンドヴァリー・カレッジの間でカイオ村にて行われる。

この1866年の試合が行われたことは、私見ではありますが、ウェールズのラグビーユニオンの歴史とって非常に大きいことだとお思われます。

  • イングランドでラグビーフットボールユニオンが設立される1871年よりも前にラグビールールのフットボールが普及し始めていたこと。

  • 中流階級のための学校とは言え、地元の住民のための学校で行われたこと。(卒業生がその地域にラグビーを伝播させることになる)

ランピターとサンドヴァリーの町のクラブチームである、Lampeter Town RFC及びLlandovery RFCが、カレッジチームとどのような関係で成立したのかは文書的な証拠がなくあまり良くわかっていないようです。
大学のOBが関わって設立したのか、大学のチームに刺激を受けた地元民が設立したのか。

いずれにしても、このあたりのチームが活動をしだす1860年代後半から1870年にかけて、ウェールズの新聞各紙もローカルチームのラグビーフットボールの話題を取り上げだします。

そうした中で1870年代後半からウェールズのラグビー協会設立の機運が高まり、1881年にニース(Neath)で行われたウェールズラグビーユニオンの設立会合には、この両クラブも参加することになります。

このあたりの状況については次の記事でみていくとしましょう。

[Cover Fig] Lampeter: Birthplace of Rugby in Wales," Trimmed version of "Southeast boundary sign, Lampeter for SN5847" © Copyright Jaggery and licensed for reuse under this Creative Commons Licence

  1.  "Lampeter" Wikipedia.

  2.  "Thomas Burgess (bishop of Salisbury)" Wikipedia.

  3.  "University of Wales, Lampeter" Wikipedia.

  4.  "Rowland Williams (theologian)" Wikipedia.

  5.  Dewey, Philip, "Celebrations to Be Held for 150th Anniversary of First Game of Rugby Played in Wales", Wales Online, 23rd May 2016. Online. WWW. Available: https://www.walesonline.co.uk/news/wales-news/celebrations-held-150th-anniversary-first-11082454 Accessed. 1st Oct., 2023.

  6. Smith, Dai & Gareth Williams, Fields of Praise: The Official History of the Welsh Rugby Union, 1881-1981, Cardiff: U of Wales P, 1980. p.259. cited in "University of Wales, Lampeter" Wikipedia.

  7.  Thomas, Lowri, "A Rugby Celebration to Commemorate the Bicentenary at Lampeter.", Press Release. 29th Nov.,2022. University of Wales Trinity Saint David, Oneline. WWW. Available. https://www.uwtsd.ac.uk/news/press-releases/press-2022/a-rugby-celebration-to-commemorate-the-bicentenary-at-lampeter-.html Accessed. 4th Oct., 2023.

  8. Thomas, Huw S. "Caio – Venue of First Ever Game of Rugby in Wales", Welsh Country. 1st Dec., 2022. Online. WWW. Available: https://www.welshcountry.co.uk/caio-venue-of-first-ever-game-of-rugby-in-wales/ Accessed. 4th Oct., 2023.

  9.  "Llandovery College" Wikipedia.

  10.  Harris, H.A., Sport in Britain: Its Origins and Development London : Paul, 1975; Walters, Selwyn, The Fighting Parsons Peniarth, 2016; both qtd in Thomas.

  11. The Llandovery College Journal of March 1879, qtd in Thomas.

  12. "History", Wales Rugby Union. Online. WWW. Available. https://community.wru.wales/the-wru/about-the-wru/history/ Accessed. 13th October 2023.


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