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ゲル研究の開拓者「田中豊一」

柔らかくて不均一。
身近なのに謎が多い。
そんな曖昧なゲルの世界を切り拓いた人が居ました。

田中 豊一(たなか とよいち)

未開の材料だったゲルにスポットを当てた物理学者です。

田中豊一博士(以下、田中博士)は1946年、新潟県長岡市に長男として生まれました。
父の田中豊助は化学者。
幼い頃、父が埼玉大学に勤める事になったため、
埼玉県に引っ越します。
両親が渡米すると、北浦和の祖母の家に移り、伯父夫婦に育てられます。
中学までは埼玉で、高校は都立日比谷高等学校に通います。
小学校の頃から成績優秀で、行動力のある学生だったそうです。

田中博士は東京大学理科Ⅰ類に合格し、理学部物理学科で学びます。
大学では生体高分子(タンパク質)についての研究を行いました。
このころは、まだゲルの研究をやっていません。
実際には、人体などの生体高分子は水を含んだゲルです。
しかし当時、それらはゲルと見られてはいませんでした。
ゲルの定義もはっきりせず、どんな性質と構造なのかも分からない。
そんな時代でした。

1972年、博士課程を修了すると渡米し、
マサチューセッツ工科大学(以下、MIT)物理学科に研究員として行きます。
ここで田中博士は、ゲルと向き合うことになります。

マサチューセッツ工科大学(Wikipedia)

MITのベネデック教授の元で、
レーザーの光散乱でタンパク質が動くスピードを測定する実験を行っていました。
ゲルの中を移動するタンパク質のスピードは、
通常は電気泳動法という測定方法を用います。

電荷を持つタンパク質は、電場中で徐々に移動していきます。
しかし、この方法は時間がかかる。
でも、レーザー光をゲルに当てれば、
瞬時にタンパク質がどこまで移動したか分かります。

ところが、タンパク質よりもゲル由来の光散乱が多い。
これではタンパク質の移動速度を知ることが難しい。
田中博士はこれを見て、ゲルの光散乱に注目しました。
すると、ゲルからの光散乱が時間経過とともに変化することに気付きます。

光は波の性質を持っています。
ゲルのような水を含んだ網目の中では、波は振動せずに崩壊します。
これが、ゲルからの光散乱が多い原因だったんですね。

つまり、ゲルの光散乱を測定することによって、
ゲルを構成する網目の弾性率や溶媒との相互作用が分かるようになるんです。

ゲルは図のように、高分子の鎖で出来たネットワークが水などの液体を含んだものと考えられています。
田中博士はこのとき、
「ゲルについて完全に理解した」と思ったそうです。
しかし、そうではありませんでした。
ゲルの世界は想像以上に奥深く、謎に満ちていたのです。

3年後の1975年、田中博士は29歳でMITの助教授となり、
眼の光散乱について研究していました。
眼は、子牛の眼やタンパク質の濃厚溶液を使います。
ゲルの光散乱と温度の関係を調べたときのことです。
ゲルの温度を下げると、散乱した光の強度が少し増えました。
気になった田中博士は、ゲルの温度を更に下げてみました。
すると、温度を下げれば下げるほど光の強度は増えていきます。
そして、ゲルは白濁するのでした。

氷点下まで温度を下げていたので、「水が凍っているからじゃないのか?」
と言われましたが、温度を下げることでゲルを構成している網目が収縮していると考えた田中博士は、
常温でも起きることを実験で証明してみせました。
このとき、水とアセトン(シールはがしなどに使われる有機溶剤)の混合溶媒を使って証明しました。
アセトンの濃度が40%までだとゲルは膨らんでいますが、50%を越えると白濁し、収縮します。

実は、冷やすと眼(ゲル)が白濁するこの現象こそが、白内障なのでした。
白内障の手術で除去した水晶体を調べると、クリスタリンというタンパク質の動きが遅くなっていることが分かりました。
ゲルを冷やして光散乱を見ると、ある時点から中の分子の動きがゆっくりになります。
同じことが眼で起こっていたのです。

ゲルが温度や溶媒組成などの環境変化によって、急に収縮したり膨潤する。
これは相転移ではないか?

水を加熱すると蒸発して気体になります。
このように、温度や圧力を変化させたとき、物質の状態が変わることを相転移(そうてんい)と呼びます。
田中博士は、ゲルも水のように相転移をしているのではないかと考えました。

しかも、少しずつではなく、ある温度になると急に変化します。。
連続的ではなく、図のように不連続にゲルの体積が変化するんです。

ゲルが相転移を起こす
誰もが驚く大発見です。

この後、アクリルアミドゲルが特定の温度で
100倍以上の体積変化を起こすことを突き止めます。
このゲルの体積相転移現象は多くの研究者を驚かせ、
ゲル研究が盛んになるきっかけとなります。

図は、N-イソプロピルアクリルアミドというゲルが、32℃を境に大きく体積変化している様子です。収縮して白濁するのが分かります。

田中博士の凄いところは、扱っている材料や起きている現象をイメージし、
その都度ボードなどに絵を描いて考えたことです。
議論するときも必ずイメージ図を描いて、何が起きているか考えたそうです。
今日、よく描かれるゲル構造の多くは、田中博士が考案もしくはアレンジしたものです。

今となっては当たり前になっているので分り難いですが、
何もない状態から構造をイメージして絵にするのは、並大抵のことではありません。
田中博士が誰よりも真摯にゲルに向き合っていた証拠だと思います。

ゲルの体積相転移は、私たちの体の中でも起きています。
生物物理学を専門とする田中博士は、生命現象を追求し、その謎を解くことに心血を注ぎます。
1982年、35才にしてMITの教授に就任。
田中博士はその後も画期的な研究成果を積み重ね、数々の賞を受賞します。

・・・しかし、田中博士の挑戦は唐突に終わりを告げます。

2000年7月、家族とテニスを楽しんでいる最中に突然倒れ、息を引き取りました。

心筋梗塞でした。享年54歳。

田中博士の訃報に多くの人が驚き、悲しみました。
近い将来、間違いなくノーベル賞を受賞するだろうと言われていました。

田中博士は教授になってからも自ら手を動かし、
ほかの仕事と並行して膨大な量の実験を行っていたそうです。
普通なら、実験業務を学生などに任せて負担を分散するのですが、
田中博士はそうせず、直接、研究に向き合うことを大事にしていました。
その激しさについていけず、辞めてしまう学生も居たそうです。
しかし、その激務が寿命を縮めてしまったのかもしれません。

現在、MITの田中研究室だったところは、田中博士を記念する会議室になっています。

田中博士と交友関係のあった故 米長邦雄さん(将棋棋士、永世棋聖)は
生物と物理に関する話を聞いたとき、田中博士から「話の内容が分かりますか、楽しいですか。」
と聞かれたそうです。
深くは理解できないものの、大まかにどんな内容かは分かる、
そして楽しいことを伝えると、田中博士は安堵し
「それが大事なんです。」
真理は常に単純明快
難しいことを言うのは、言っている本人も理解できていないということ
と言ったそうです。
米長さんは「本物中の本物でなければ出来ない発言だ
とそのときのことを振り返っています。
米長さんは更に「将棋の解説も、ルールを知らない人にも楽しんでもらえるのなら一流です。
と言っています。

僕は自分の説明が長く複雑になると
「分かっているつもりで、全然分かってないじゃないか」
と思うので、田中博士の言葉は常に意識しておきたいですね。

ゲルが様々な分野に応用されているのは、田中博士の基礎研究があったからだと思います。
多くの研究者が田中博士の敷いた道をたどり、その先を目指し、
また、その道から新たな分野を創出しています。
田中博士が挑戦したゲルと生命の謎、いつの日か、分かる時が来るかもしれません。

〇参考文献
・「科学を絵に描いた男 ~田中豊一 ゲルの世界を拓く~」
 田中豊助 編(東海大学出版会)
・「ゲルと生命 [田中豊一英文論文選集] Toyoichi Tanaka From Gels to Life」
 田中豊一 著 (東京大学出版会)

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