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初心忘るべからず

申楽(現在の能)を大成した世阿弥の著書「花鏡」に記された言葉。
「初心忘るべからず」
とても有名な一文ですが、出典は意外と知られていません。
この初心の意味は単純ではなく、著書を読まないといけないのですが、説明すると長くなるのでここでは割愛します。

転職活動をしていると、過去の転職活動や就職活動の事を思い出し、その流れでこの言葉が頭に浮かびました。
最初はどんな気持ちで研究し、それを仕事にしようと思ったのか、やっぱり考えてしまいますね。

そして、面接で何度かあったことも思い出しました。
自己紹介をしない面接官、ずっと腕組みをして目を瞑ったままの人、横柄な態度と口調の人。

この人たちは、いつからこうなったんだろう?
いつも初対面の人にこんな態度と姿勢で接しているんだろうか?
仕事を始めたばかりの時は、真摯な姿勢で同僚や顧客と接していたんじゃないのかな?

真実は分かりません。
採用する側と求職者の立場は対等です。
でも、残念ながら対等に思っていない人もいます。
僕は内定が出ても、そういう面接だったところは断ることにしています。

世阿弥の能芸論書で有名な「風姿花伝」
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
この一節は有名なので、聞いたことのある方もいると思います。
「風姿花伝」は能芸論に止まらない、あらゆる分野に通じる事が書かれている名著です。
その中にある「上手は下手の手本、下手は上手の手本なり」
と世阿弥が述べている部分はとても考えさせられます。

『上手な人の欠点をみつけて、「自分はあんな悪いことはしない」と慢心するようなら、自分の長所も本当は知らず、悪いところも知らない、上達することなく終わる下手くそな者の心だ』

『下手な者の良いところをみつけても「自分より下手な奴の真似などできるものか」というウヌボレがあれば、おそらく自分の欠点も認識できずに終わるであろう。上手であっても、増長し慢心する心があれば、やがて能の位は下がるだろう。』

『人の悪いところを見るだけでも手本になる。良いところを見ればなおのこと上達するだろう』

自分はああはならない、と思うことはありますが、それは慢心ではないか?
「風姿花伝」を読むと、そう世阿弥に諭されているように感じます。

『誰も彼も、ちょっと上達するだけで工夫をする真摯な心を失ない、慢心してしまう』

・・・はい。

「風姿花伝」を初めて読んだのは二十歳の頃。
でも、三十を過ぎて経験と年を重ねた今読むと、はっとさせられる事が多く、そして初めて読んだ時よりも深く理解できます。

「上手は下手の手本、下手は上手の手本なり」

そして「初心忘るべからず」

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