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第76話-1 語り合いたい野崎さん(AI編-3・上)

野崎正年は、半世紀以上も前に新卒でゼネコンに就職した。現場一筋の人生と言っていいと思う。
40代半ばに管理職として支店に上がり、50代に経営陣となり現場から離れた時期はあったが、海外の金融機関の破綻に端を発した世界的な不況で売り上げが落ち込んで、責任の押し付け合いからリストラを始めた時に、即座に手を上げてゼネコンを去った。

「経営陣がいの一番にリストラの波に飲み込まれてどうするんだ」「野崎に責任がある訳じゃないだろう」と周りの役員から引き留められた。
でも、口先だけの慰留のように思えてならなかった。
経営陣の一人が責任を取るように会社を去れば、ほかの役員にも責任を追及する声が強まる。堤防の1カ所が破堤すると、たとえ最初は小さな水の流れしかなかったとしても、時間と共に流れが強さを増して全体を揺るがしていく。そうした物理現象と同じように、会社の中に責任追及のうねりが生まれたら、自分も飲み込まれてしまう。そんな保身の思惑が渦巻いているように思えてならなかった。

再就職の当てなどなかったが、もう一度、現場に戻りたいという思いから、住んでいる地域にある建設会社に片っ端から直接訪問して雇ってほしいと頭を下げた。
公共事業も落ち込んでいて、大手企業ですらリストラする時代だった。ゼネコンで役員を経験した野崎を入れるとなると、それなりの報酬が必要になると思われたのか、興味は持ってもらえるものの採用には至らなかった。

50代半ばで自分自身を営業して売り込むことは、こんなにも大変なのか。落ち込む日々が続いた。
そんな中で、ある社長がヒントをくれた。
「ゼネコンに安全管理者を派遣する会社に登録してみてはどうでしょうか?今は不況ですが、建設業の労働人口の見通しを考えれば、あっという間に人手が不足する時代がきます。その時に真っ先に揺らぐのが安全です。
きっと、あなたのようなベテランの目が役立つはずです。
でも、その対象はうちみたいな地場の建設会社じゃありません。たぶん、トップのゼネコンの方です。私はそう思います」

慧眼だった。
目の前の受注や現場の指導などにばかり目が行っていて、そういう視点で建設業界を見たことがなかった。インターネットで建設投資や就業人口、この国全体の労働力人口の見通しなどを調べてみると、これから受注高が落ち込んだとしても、労働人口の減少の方が早まる可能性が高いことは明明白白だった。そうなると、現場を担う人材が足りなくなり、焦るようになればミスや事故が増える。そうならないように貢献したい。

自分が行くべき道は現場だ。その直感を信じて進もう。そう決めたのだ。

建設現場に安全管理者を派遣する会社に登録した。正社員として自分のような人間を雇うのはハードルが高いが、現場所長を経験したようなベテランに安全管理を支援してもらいたいというニーズは存在していた。

安全管理者として幾つかの現場を回り、この立ち位置での仕事に慣れた頃だった。あの恐ろしい災害が起きた。この現場のように被災地で復興需要が高まり、そして、景気が回復して、民間投資も増えていった。その後に働き方改革と呼ばれる別のうねりが沸き上がった。
景気が悪くなるたびにリストラしてきた建設業界で、担い手確保がキーワードになった。

「若手を入れよう!」
「離職を減らそう!」
そんなスローガンが飛び交うようになった。

不況時に業界を去った人たちはどこに行ったのだろう。
あの人たちが業界にいれば、こんな苦しむこともないだろうに。
行き当たりばったりでなんの計画性もないままに、右往左往する程度の業界なのか。
そんな風に思える矛盾した流れだった。

野崎が現場を離れて、再び舞い戻るまでの10年ちょっとで、状況は激変した。
もちろん、同じゼネコンで役職が上がっていくのと、ロートルの派遣職員として現場に送り込まれるのでは、立場がまったく違うため、その点は考慮しなければいけない。
そうなのだが、それを差し引いても浦島太郎のような、まったく違う世界が広がっていた。

最も典型的なのは、上司と部下や先輩と後輩の関係だ。
分かりやすくするために、あえて語弊のある言い方をすれば、先生をなめている生徒が「上の人間に教えさせてやっている」みたいな雰囲気があるのだ。学校では子どもは客かもしれないが、社会は違う。皆が、業務をすることで対価をもらう提供者の立場のはず。少なくとも野崎が現場を率いていた頃は、下の人間は上から教わるというスタンスだった。そうした関係性が逆転していて、分からなかったり誤解が生じたりしたら、教わる側の努力不足ではなく、教える側に問題があるとでも言いたげな視線で見返してくる。

何でもかんでも背中を見て覚えろとは言わない。
だが、学ぶ側にやる気が無ければ成長などしない。
それなのに、学ぶ側が動くよりも先に、教える側が責任を感じて先回りして対応を考える。そうなればなるほど、教える側が努力して学ぶ側はさらに受け身になる。より一層、成長は遅れるし、甘えが助長される。

野崎だけが感じていることではなく、中間管理職より上の人間たちには似たような問題意識があるようだった。だからといって若手へのアプローチを変えようという流れにはならない。時代が変わったのだから、自分たちこそ変わらないといけないということのようだった。

かつて深夜までの残業や土日の仕事が当たり前の時代があった。今は許されない。
それ自体は良いことだ。全体として良い方向に進んでいるのだが、何かが抜け落ちてきているようで引っかかるのだ。ただ、何が抜け落ちていて、どう対処すべきなのかは分からない。

そうしたモヤモヤは、あの災害で大きな痛手を負った海辺の街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)に配属されてからもくすぶっていた。野崎がこれまで関わってきたどんな工事よりも規模が大きく、なおかつ設計・施工の枠を超えた幅広い業務が一体化されていて、優秀でやる気にあふれた人材が多かった。
ただ、それは全員ではない。安全設備の不備を指摘しても、言われたから仕方なしに取り組むような態度を見せつけられることが多い。自分は学びの対象ではなく、うるさいロートルと思われている。

若手の職員は選りすぐりの人材がそろっているが、できるだけ早く施工するための生産性向上にばかり目が行っているような気がした。デジタル・トランスフォーメーション(DX)という何度聞いても意味が分からない言葉が飛び交っていて、最新のIT機器を使う取り組みには目を輝かせる。だが、目の前にいる作業員の不安全行動を感度良くキャッチしたり、皆で安全により良い物を造っていくために積極的に交流したりすることには、あまり興味を持たない。

DXなんて、自分には関係ない。
愚直に現場を回るだけだ。

そう思っていた時に、ゼネコンの技術研究所から来ている田中壮一から、「野崎さんの安全管理のノウハウを継承させてください」と頼まれた。

「田中さんがこれから安全管理担当になるんですか?」
「いえ。違います。デジタル空間に野崎さんの弟子を育てたいんです」

馬鹿にされたと思った。
「弟子? 落語家みたいな徒弟制度はやっていませんよ」
いらついた口調で返した。

「お気に障ったとしたらすいません。ただ、いろいろ考えてみたのですが、弟子という表現以外に思いつかなくて」

「どういうことですか?」

「この現場では、さまざまなセンサーやカメラ画像を使って、品質や安全を管理しているのはご存じですよね」
「もちろん。立ち入り禁止箇所に入ったら警報が鳴るとか、構造物の変状とかを画像でチェックして危険を知らせるとか、そういうやつですよね」

「そうです。今までの技術では、あらかじめ閾値を設定しておいて、それに対して1か0かを判定することしかできませんでした。もちろん、そのパターンを自動的に生成してバリエーションを増やすことはできましたが、メニューが増えただけでやっていることは同じです」

「それが弟子とどうつながるんですか?」

「弟子は、親方の技術とか生き様から学んで自分の物にしていきます。
新しく開発された対話型のAIでは、そういうことができつつあるんです。

大規模言語モデルやLLMと呼ばれていますが、要は対象とする事柄がどんなカテゴリーのものなのかを認識して、その上で、いろいろなことと組み合わせて、結果的に最適なものを探し出すことができるんです。

しかも、言語だけではなく、画像や音声、動画にも対応しています。といっても、画像そのものだけに反応するのではなく、画像などをコンピューター上でいったん言語化し、AIが膨大な知識を生かして、判断するんですが。
その仕組みはともかく、人が教え込むようなことが可能になってきていると考えてください」

「・・・。
私が馬鹿だからかもしれないけど、ぜんぜん分からないよ!」

自分に子供はいないが、そんな年齢の人間にしたり顔で諭すように話されるのは、正直、良い気持ちがしない。
なにより、本当に何を言っているのか分からないのだ。

自分は派遣されている身であり、田中は元請けの立場だ。ヒエラルキーとしては、下手に出なければいけない。
だが、いらつく気持ちの方が大きく、思わず素が出て敬語にならなかった。

田中は慌てた面持ちで、「不愉快に感じたら、申し訳ありません。馬鹿にするつもりなどありません。説明が下手で、すいません」と平謝りした。
血相を変えた様子を見て、野崎はいらだつ気持ちが収まっていくのを感じた。

人は、自分が馬鹿にされると怒りがわき上がるくせに、自らは他人を下に見るような言動を平気でやってしまう。
野崎は、20代の頃に現場で、年配の作業員に言われた一言を今でも覚えている。

「馬鹿にするんじゃねえぞ!俺を殺す気か!」

造成工事の現場だった。入りたての社員に法面整備の測量作業をさせたら、機材の一つを現場に忘れてきた。何百万円もするものではないが、安価ではなかった。自分で取りに行かせるのが筋だが、何かにつけて抜けているタイプで残っている仕事も多いため、中堅の作業員に頼んでみたのだ。

40歳は過ぎていたと思う。自分からすれば一回り以上の年上だった。
機材を忘れた場所で重機が縦横無尽に動き回っていた。そんに場所で小さな機材を探しにいけというのだから、ずいぶんと人を馬鹿にした話だ。

あの時は、怒鳴られても自らの愚に気づかずにきょとんとした自分がいた。
作業員の名前も顔も思い出せない。
だが、声はしっかりと覚えている。

自分は彼を一人の人間として認識していたのだろうか。
ホームセンターに陳列されている道具の一つのように見ていたのではないか。
代替可能な、お金さえ払えば交換できる、そんな存在としてさげすんだ視線で捉えていたのではないか。

還暦を過ぎて、こうして年下から指示される立場になった今になって、自らの傍若無人さが理解できる。
老年に入ってからでしか、そうした本質に思いが至らない自分を情けなく思った。

慌てたように頭を下げる田中に、かつての自分を思った。しっかりと謝罪できなかった己を恥じた。
気持ちが揺れ動いたせいか、田中の話をしっかり聞こうという思いに至った。

「申し訳ない。理解が追いつかないもんで、ついつい口調が厳しくなってしまいました。
私みたいな年代にはなかなか分かりづらいんです。
もう少し、分かりやすく教えていただけますか」

野崎は、そう言って田中に頭を下げた。

よくよく聞いてみると、田中の表現は非常に的確で、やろうとしていることはまさに弟子の育成だった。

単純に言えば、現場を歩きながら、安全設備の良否を指摘して、その事例を一つ一つ覚えさせていくというものだ。スマートグラスとワイヤレスヘッドセットを装着して、足場の設備が問題なければ指を指して「オッケー」や「問題なし」とコメントする。不備があれば、「指摘事項あり」と音声入力する。そうすると、AIを搭載した自分のアバターが応答してくれるのだ。
基礎的な安全確認事項はすでに勉強済みのため、スマートグラスで見ている先の安全性をチェックさせて、蓄積データから判断して問題なければ「問題ありません」と応じる。過去の蓄積だけで判定できない場合には「教えてください」と問い合わせてくる。そうした場合には、近づいて、「端部の立ち入り禁止措置が不十分だ」などと追加でコメントを入れると、「覚えます」と反応して、教師データに追加する。
文字データとしての言葉の部分と、それに対応する画像認識が一体的に蓄積されていき、次に同じ場面に出くわした時には安全かどうかの判定ができるようになるという。

現場が終わると、事務所のパソコンでその日の教師データを一覧で確認して、AIの認識がずれている部分は「要修正」というチェックを入れる。そうすると、良否の判断に至らないグレーな知識にとどめられる。こうして、良い教師データを増やしていきながら判定基準の質を高めていく。

やっていることは、ゼネコンの現場に配属されてばかりの新人に、先輩が現場を回りながら教えていく行為と全く同じだ。人間と違って自由に動き回れないため、ちょっとした角度の違いで認識できないことがある。ただ、そうしたAIの癖が分かれば、教える時に横から眺めたり、あえて下からのぞき込んだりして、認識パターンを増やせば良い。

人間ともう一つ大きく異なるのは、ぶれが小さいということだ。教えたことが人によってなかなか伝わらなかったり、昼間と夕方や雨天のような環境変化によって見逃しが増えたりするようなことがない。今のカメラはかなり高性能で、人間の目で判定するよりも精密に見極める。そのことは驚愕すべきことで、まさに脱帽だった。

野崎や田中は、AIを搭載した野崎のアバターを、野崎の名前を取って「アバターマサ」と名付けた。野崎は「マサ」と呼んでいた。
マサは、CJVの現場をデジタル空間上にリアルタイムに再現した「デジタルツイン」の中で安全管理を覚えていった。現場から戻ってきた後は、自習の場に移る。それが、デジタルツインを1日前に戻した姿で再現した「デジタルトリプル」だ。マサは、デジタルツインでは野崎の視線を通じて見ることしかできないが、デジタルトリプルでは自ら巡回して、安全上の不備を点検していった。

CJVの現場は、品質も技術的にも高度なレベルで、そういう現場は当然として安全管理の水準も高い。段取り替えや新しい作業も随時始まるため、そうした際には一から教え込むことになるが、しっかりとした作業手順に則っているため、大きな問題が生じることはあまりない。多くの人が入れ替わり立ち替わりで現場に入る状況下で常に注意を払う必要はあるものの、ほとんどは個人の不安全行動に起因するもので、安全設備を大きく改善するようなケースはまれだ。
そうなると、1ヶ月もすれば、AIが新たに覚えるようなことはだんだんなくなってくる。
新たな教師データがゼロの日が続くようになる。

野崎は、そういう状況になってAIへの教え込みは打ち止めかと思っていた。
だが違った。本当の意味で野崎が引き込まれたのは、その後からだ。

驚いたのは、知識を得ようとするAIの姿勢と聞き取ろうとする能力だ。

今からするとたいしたことがないと思われてしまうが、野崎がゼネコンの最前線を引っ張ってきた時代にも、多数の新しい情報通信技術を取り入れてきた。

手書きの書類を社内便や郵送で互いに送り届けていたのが、FAXを使うようになり、メールに取って代わった。手書きが当たり前だった図面が、CADにより電子化され、線ではなく材料の諸元などのデータを備えたBIM/CIMが当たり前になった。

だが、その先の進化の方が大きかった。
イラスト作家に頼んでいた完成パースが、今ではBIM/CIMからAIが即座に描画してくれる。バーチャルリアリティー(VR)も容易に制作でき、事業者や施工者が説明するためのツールから、利用者や消費者がオーダーする上でも重要なツールになった。

大きな違いを生み出したのが「見える化」だ。
野崎が入ったころは、億単位以上の工事を請け負った現場の所長は一国一城の主で、それなりに権限があった。良い面だけではなかったが、現場所長に上り詰めることへの魅力があった。
それがDXという奴のおかげで、地球上のどこからでも同じようにリアルタイムで監視できるようになり、無駄を避けるという名目で可視化されていった。現場だけに物を決めるのではなく、多くの人の意見が取り入れられるようになった。企業としての全体最適を追求する動きにつながり、効率化され工事原価を下げた。

確かに良い事だ。誰も否定できない。
だが、そうした変化を経て、現場を動かしていくダイナミックなわくわく感のような物も喪失した。
かつては決断に迫られた時、誰かに聞くには時間が足りないから、その場の人間が必死に担って対策を講じる場面があった。本当に苦境に立たされた時にも踏ん張り、血湧き肉躍るからこそ培われた現場力があった。
今では全世界から助言を仰ぐことができる。そのアドバイスが的確かどうかは別だが、誰かに聞けば、現場だけの責任だけではなくなる。

良く言えば知の結集。
悪く言えば責任転嫁体質の蔓延。
現実はどちらなのだろう。

いったん離れて、全く違う立ち位置で建設業界に舞い戻ったからこそ、見える世界がある。
その渦中にいれば、徐々に飼い慣らされて疑問にも思わなかっただろう。
野崎は、そんな風に思う。

建設業界の行く末に対するもやもやとした感情が募っていた時に、マサが与えられた。
いや、そうした言い方は失礼だ。

マサと出会った。

野崎は、そう思うのだ。

< 第76話-2 語り合いたい野崎さん(AI編-3・下)に続く >


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