「だが風祭かざまつりさん、『疑似結界ぎじけっかい』でヒッチハイカーを逃がさない様に閉じ込める事が出来ればありがたいが、本当にそんな事が可能なんだろうか？」

　風祭 聖子かざまつり せいこの話を聞いた全員が、揃そろって疑問に思っていた事を鳳 成治おおとり せいじが代表する形で彼女に質問した。

「ええ、ヒッチハイカーに対しても可能なはずよ。私が自信を持って言いきれるのは、この技術が『人外じんがいの存在』に対して有効である事が実証済みだからよ。」
　確かに風祭 聖子かざまつり せいこの口ぶりは、聞く者に彼女の自信のほどをうかがわせた。

「その実証というのは、まさか…？」
　
「ええ。そのまさかよ、鳳おおとりさん。私はこの『疑似結界ぎじけっかい』の技術を、うちの所長で実験してみたの。」

　鳳おおとりの質問に対して答える聖子の口調は、どこか楽しそうであった。

「無茶苦茶する人だな、あなたって人は…」

「そうかしら？　万が一実験に失敗したって、ちょっとやそっとの事でうちの所長は死ぬ事は無いんだし。フフフ、つくづく不死身って便利だと思ったわ。」
　仮にも自分の上司である者に対して行なったという恐ろしい話をさらりと言ってのけるこの女性の方が、不死身の獣人探偵である千寿 理せんじゅ おさむよりも数段怖こわい存在なのではないか…と、彼女の話を聞いている全ての者が思った。

「あら、所長は笑いながら協力してくれたわよ。」

「それって…千寿せんじゅさんは苦笑してたんじゃ…？」
　今まで『黒鉄の翼くろがねのつばさ』で一人で話を聞いていた伸田のびた伸也のびやがポツリとつぶやいた。

　このつぶやきを聞いた全員が、それぞれの場所で爆笑した。聖子自身も楽しそうな笑い声をあげていた。

「オホン！　とにかく、結果として千寿せんじゅ所長は『疑似結界ぎじけっかい』を通り抜ける事が出来なかったわ。人間の私には、どうって事なかったけど。」

「おおお…」
　今度は全員が称賛しょうさんの声を上げた。『ロシナンテ』の後部座席で聖子の話を聞いていた県警SIT（Special Investigation Team：特殊事件捜査係）の島警部補などは実際に拍手さえしたが、隣に座る皆元 静香みなもと しずかが自分を見て笑ったので、慌あわてて手を止めた。

　なんと、この探偵事務所の所長と秘書達二人が自身の身体を使った人体実験を行ない、その当事者の一人が自らの口で語っているのだから、これ以上確かな証拠は無いだろう。

「無茶苦茶するな、この人達…」
　誰にも聞き取れない様な小さな声で島がつぶやいたが、隣に座っている静香 しずかにだけはかろうじて聞き取れたので、吹き出しそうになった彼女は慌てて口を手で押さえた。

「とにかく、今から『ロシナンテ』にあるアプリをアップロードします。このアプリケーションを使えば、『ロシナンテ』に踏査ししてある携帯型電磁波発生装置…と言っても大きなものだけど、ある種の電磁波を発生出来るようになるの。最大有効範囲は半径約500ｍ、ただしタイムリミットは５分。それ以上は発生装置の大出力バッテリーも持たないわ。
　そして、『黒鉄の翼アイアンウイング』からは『疑似結界』を形成するための超音波を上空から照射します。『ロシナンテ』の電磁波と『黒鉄の翼アイアンウイング』からの超音波が互いに干渉かんしょうし合う一定の空間に『エネルギーフィールド』を作り出す。これが魔族や妖怪の様な『人外じんがい』の者達に対して通り抜ける事の出来ない一種の『力場りきば』と化すはずよ。その『力場りきば』が『疑似結界ぎじけっかい』というわけ。わかった？」

　聞いているはずの者達の誰からも返事は無かった。聖子の語る難しい技術的な説明などは、誰も分かるはずも無いのだ。

＊＊＊＊＊＊＊＊

　その同時刻、『夕霧橋ゆうぎりばし』に向かっているヒッチハイカーや白虎を乗せた飛行妖怪野衾のぶすま、伸田のびたを乗せた『黒鉄の翼くろがねのつばさ』の三者とは別の方角から『夕霧橋ゆうぎりばし』に接近中の一機のヘリコプターがあった。
　そのヘリは、機体全体に雪山行動用の迷彩色でレーダー波吸収性の塗装が施されていた。つまり、『黒鉄の翼くろがねのつばさ』と同様のステルスヘリだったのである。
　ヘリの機種としては、米軍でも広く使用されている中型多目的軍用ヘリコプターの『UH-60 ブラックホーク（UH-60 Black Hawk）』の特殊作戦用仕様だった。

「ミズ・ライラ、間もなく祖土牟そどむ山と醐模羅ごもら山に挟はさまれた『夕霧谷ゆうぎりだに』と呼ばれる渓谷けいこくに到着します。
　その渓谷周辺が、我が機関の偵察監視衛星『イーヴィルアイ ( evil eye )』が、爆発により発生した火炎を複数回確認したと報告して来た地域であります。
　現在、この地域の国道は公的には風雪による災害発生のためとの発表にて封鎖されていますが、本部からの通知では、実際にはこの地域で日本の県警と特務機関による合同作戦が展開中のためとの事です。」

「分かった。おそらく我々が回収を命じられた目標体である暗号名コードネーム『ヒッチハイカー』は、その地域にいるようね。
　このまま目的地まで、サイレントモードで隠密飛行を続けなさい。」

「了解ラジャー！」

　ブラックホークの副操縦士から報告を受けたライラと呼ばれた女が命じると、操縦士パイロットから返事が返って来た。このヘリの乗員達の会話は、全て英語で交わされていた。

　ライラと呼ばれたのは、スラリとした長身の身体をラインがハッキリと分かるぴっちりとした黒の革ジャンの胸元を大胆と言えるほど開いて、下着を付けていない豊満な胸を惜おしげも無く覗のぞかせ、スラリと長く美しい脚には、やはりぴったりフィットした黒の皮パンツを着用した八頭身美人であった。

　彼女の国籍は不明だったが、その容姿からしてどうやら南米系らしい。
　ライラが『南米美女』と呼ばれるほど美しい女性の多い南米の中でも、際立きわだって美しい女性だと言い切れるのは間違いないだろう。
　作戦行動中である現在の彼女は、軽いウエーブのかかった美しく長い黒髪をまとめてヘアクリップで留とめていた。
　髪をアップにしたライラの姿は、すれ違う全ての男が振り返らざるを得ないほどの妖艶ようえんとも言うべき美しさで、彼女の全身からは男を狂わせるようなフェロモンが辺り一面に発散されていた。それは香水などでは無く、彼女自身のメスの匂においだと言えるだろう。
　このヘリの搭乗員達は気の毒にも、この美しすぎる上官であるライラに対してムラムラとこみ上げてくる己の性欲を抑おさえるのに苦労しているのに違いなかった。

「さあ、バリー。いよいよアタシ達の出番よ。
　今回の日本側の『ヒッチハイカー捕獲作戦』では、陰かげで内調（内閣情報調査室）の『特務零課とくむぜろか』が動いてるらしいわ。本部からの報告では、目障めざりな課長の鳳 成治おおとり せいじ自みずからが現地に乗り込んで来てるそうよ。
　なあに、誰だって構いやしないわ。ヤツらがアタシ達の邪魔をするようなら、皆殺みなごろしにしてやるだけよ。
　アタシ達『殺戮さつりくのライラ＆バリー』の恐ろしさを思い知らせてやりましょう。」
　
　ライラが真っ赤かなルージュを塗った形の良い美しい唇から恐ろしい言葉を吐きながら向けた視線の先には、ヘリの乗員用座席三つ分を一人で占領する様に腰を下ろした灰色熊グリズリーのように大きな男がいた。
　外部からの視認を防ぐためにヘリ後部の乗員席は必要最小限の明かりしか付けていないので、ライラからバリーと呼びかけられた巨漢の姿は影に覆おおわれていた。だが、驚いた事にライラとバリーの二人は、暗闇でも何の不自由なく視界が利きく様子だった。

「ブモウーッ！」

　声をかけられた巨漢のバリーは、ライラに対して牛の様な唸うなり声で返事をした。そして、影に覆われている彼の口元には嬉うれしそうな笑みが浮かんでいた。
　相棒のライラが言った『皆殺みなごろしにして構わない』という言葉が、バリーにはよほど嬉うれしかったのだろうか…？

「ふっ、あんたは殺戮さつりく出来るのがよっぽど嬉しそうだけど、今回のミッションの目的は、あくまでも暗号名コードネーム『ヒッチハイカー』と呼ばれている個体の回収だという事を忘れるんじゃないよ。いいわね？」

「ブモゥ…」
　この２ｍを優に超えているであろうバリーと呼ばれた巨漢は、どうやら相棒の美女ライラには頭が上がらないらしく、身体に似合わない小さな声で従順に返事をしたが、相変わらず人語をしゃべらなかった。と言うよりも、彼はしゃべれないのだろうか？

「フフフ…分かればいいわ。その代わり、思う存分暴れさせてあげる。
　我々のミッション遂行すいこうの目撃者は全て、元の形に復元不可能なほどバラバラにしてやりなさい。」
　美しい口元に残忍な微笑みを浮かべながら、ライラは右目を瞑つむるウィンクをして見せた。それは壮絶なほどに美しく悪魔の様に残忍な微笑みだった。

「ブモウーッ！」
　バリーが嬉しそうな雄叫おたけびを上げた。

　吹雪の中での山中行動用の迷彩を施され、照明を極力消した特殊兵員輸送用ヘリ『UH-60 ブラックホーク（UH-60 Black Hawk）』がローターの回転音がほとんど聞き取れないサイレントモードで、『夕霧橋ゆうぎりばし』に向けて吹雪に紛まぎれて静かに飛行して行った。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「む…？　今、何だか聞き覚えのある様なイヤな叫び声が微かすかに聞こえた様な気がしたが、吹雪の吹きすさぶ音か…
　だが、今まで以上に嫌な予感もしてきやがった。俺の全身の毛がチリチリと逆立さかだってるぜ。
野衾のぶすまよ、急げ！」

「ぎいゃああああっー！」

　命じられた飛行妖怪野衾のぶすまは一声吠ほえると、背中に白虎びゃっこを乗せたまま、可能な限り飛行速度を上げた。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「いたいたいた～！　あの車にシズちゃんが乗ってるんだな。
俺の大事なヨメさんと腹の子供を、この手に取り返すぞ！」

　『夕霧橋ゆうぎりばし』の上空に達したトンボの形態に似た空飛ぶ怪物ヒッチハイカーが、地上の『ロシナンテ』を目指し急降下した。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「ヒッチハイカーが『ロシナンテ』上空に到達とうたつ！　急降下してきます！」

『ロシーナ』が叫び声を上げて警告した。

「今よ！　鳳おおとりさん、説明した手筈てはず通りにやって！」

「分かった！　電磁波放射！　EMFF（Electromagnetic force field：電磁力場でんじりきば）、『ロシナンテ』上空に展開開始！」

　鳳 成治おおとり せいじがカーナビのタッチパネルの中に表示された該当がいとうするアイコンに指を触れると、すでに荷台から取り出され『ロシナンテ』の真横の地面に設置されていた電磁波発生装置から、目には見えない高出力の電磁波が真上に向けて放射された。
　
「キャッ！」

　『ロシナンテ』の車体が細かい振動に震え始め、驚いた静香 しずかが小さな悲鳴を上げた。車内の全員が緊張により全身に力が入った状態のままで事態の展開を見守った。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「うおっ！　何だ⁉」

　『ロシナンテ』の真上から急降下中だったヒッチハイカーは、下から照射された電磁波の直撃を間一髪で躱かわした。それはまさに、彼の本能的な動物的勘といったところだろうか。
　高出力電磁波の直撃を受ければ、死にはしないでもヒッチハイカーの身体は恐おそらく吹き飛ばされていたに違いない。

　電磁波から身体を躱したヒッチハイカーは降下する動きを止め、背中の４枚翅ばねの羽ばたきを調節して空中停止ホバリングしたまま下の様子を窺うかがった。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「よし、いいわ。このままヒッチハイカーを包み込む！
　電磁波発生器を中心に半径200ｍにするように電磁波出力を調整し、地上360度方向に電磁波のドームを展開しなさい！」
　
　風祭 聖子かざまつり せいこの声が完全自立思考型車載AIの『ロシーナ』に命じた。

「了解ラジャー！」

　地上に半径200mのドームを描く様に、目に見えない電磁波の傘が『ロシナンテ』を中心に展開されていく。
　『ロシナンテ』の真上およそ100mの空域にて様子を窺っていたヒッチハイカーも完全にこの電磁波のドームの中に閉じ込められた。

　では、吹き荒れる吹雪はどうなったのか？　いや…どうやら、この電磁波の見えない電磁波のドームは通常の自然現象である風や雪などに関しては干渉する事がないないらしかった。相変わらず吹き荒れる吹雪によって雪が舞い、積もり、軽い重量の物質は吹き飛ばされていた。
　『ロシナンテ』のフロントガラスも、ワイパーを動かしていても追いつかないほどの雪が、払っても払ってもすぐに薄く積もり出す。

「ん？　何だ…？　この押さえつけられる様な気分の悪さは…？」
　電磁シールドの影響か、閉じ込められたヒッチハイカーは自分の身体がに圧迫感や不快さを感じ取り、この寒い環境の中でもうっすらと汗をかいていた。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「ロシナンテの真上に到着したわよ、伸田のびた君。『ロシナンテ』のみんなも聞いてね。
　ヒッチハイカーは地上からの電磁波のドームに閉じ込められてる。今から、その展開中の電磁力場EMFF：（Electromagnetic force field）にこの『黒鉄の翼アイアンウイング』から、ある種の超音波を放射して重ね合わせる。
　その電磁波と超音波の複合された領域が疑似結界ぎじけっかいとして形成されるの。中に閉じ込められたヒッチハイカーは、その領域から外部へ逃れる事は絶対に出来ない。
　ただし、これだけ強大な電磁波を放射し続ける電磁波発生器の出力限界は５分！　それ以上はバッテリーが持たない。
　それじゃあ、始めるわよ！　超音波（Ultrasonic Waves）放射！」

　目には見えないが『黒鉄の翼くろがねのつばさ』から超音波が放射されるのを、操縦席に座る伸田のびたは身体に伝わって来る振動で感じ取った。

　こうして、『ロシナンテ』を中心とした半径200mの範囲にヒッチハイカーを取り込んだまま、地上からの電磁波と上空からの超音波が同期シンクロした超力場である『疑似結界ぎじけっかい』のドームが完成した。

「超力場（スーパーフォースフィールド）、『疑似結界』完成！」

　地上の『ロシナンテ』のAI『ロシーナ』と、上空にいる『黒鉄の翼くろがねのつばさ』のAI『スペードエース』が同時に叫んだ。

　ヒッチハイカーも含ふくめて、その場にいた全員が自分の目にその光景を目撃した。
　本来、電磁波も超音波も不可視の現象であるが、今全員の目の前に誕生した『疑似結界』のドームは不思議な事に、薄いエメラルドグリーン色に発光する存在として、生物の目に対して目視可能な存在と化したのだった。

「綺麗きれい…　オーロラみたい…」
　上空に展開された『疑似結界』を結界の内部から見つめていた静香 しずかが、思わずつぶやいた。

「本当だ…　疑似結界って目に見えるんだ…」
　静香 しずかの隣となりに座る島警部補もまた、反対側の窓から見える光景に現在の自分達の置かれた危機的状況を忘れて思わず口にしていた。

　この夜明け前の『夕霧谷ゆうぎりだに』に突然発生した『疑似結界』のドームは、祖土牟そどむ山と隣の醐模羅ごもら山に挟はさまれた渓谷周辺に、決して自然には生じる事の無い美しい現象として展開されたのだった。
　この現象を自分の目で直接見る事の出来た者は、生涯で二度と出会う事の無い貴重な経験をしたと言えるだろう。
　その場にいた人々は一時いっとき、この光景にうっとりと見入ってしまった。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「ぐえ？　な、何だ…？　この綺麗な緑色のオーロラみたいなのは…？」

　その肉体は、もはや完全に魔界の存在と化していたヒッチハイカーだったが、人間としての知能は有したままだったので、自分を封じ込めた『疑似結界』の壁を思わず美しいと感じてしまったのは、彼にとっては皮肉な感傷だったと言えるだろう。

「あ、あのオーロラみたいなの…触さわれるのかな？」
　
　愚おろかにもヒッチハイカーは、見た目が美しいオーロラの様にも見える『疑似結界』に、子供じみた興味を抱いたようだった。
　自分の目下もっかの目的である静香 しずかの奪還だっかんを忘れたかの様に、背中の４枚の翅はねを羽ばたかせると、頭上に展開する『疑似結界』のエメラルドグリーンに輝くドームの天井に当たる部分へと近付いて行った。その姿は、まるで誘蛾灯ゆうがとうに引き寄せられる愚かな羽虫はむしの様であった。

「ジジジジジ…」

　『疑似結界』が手に触れるほどに近づいたヒッチハイカーは、その波打つオーロラの如ごとく表面の形を微妙に変えながら形状を保つエメラルドグリーンの…壁と言うよりも光る膜と言った方が近い存在が、振動する様に細かく震えながら高周波の音を発しているのに気が付いた。

　ここに至いたってヒッチハイカーは、この光る緑色の膜が自分にとって不愉快な存在の様に思えてきた。それでも彼は恐る恐る人間の形状をした右手を伸ばして、半透明で向こう側の透すけて見える緑色の光の膜に触れようとした。

「ビシッ！」
「うわっ！」

　ヒッチハイカーは驚いて自分の右手を引っ込めた。彼の指先が光の膜に触れた途端とたん、彼の指と光の膜の間に電流が走ったような衝撃を感じたのだ。いや、実際にオレンジ色の火花が散ちったのだった。

「何じゃ、こりゃあ⁉」

　ヒッチハイカーが驚愕きょうがくの叫び声を上げた。彼は二度とその光の膜に触れたは無かったので、別の手段を考えた。

「これで、どうだ！」

　彼は自分のトンボの様な外観をした、細長く複数の節があり自在に曲げ伸ばしの出来る胴体の先端部を光の膜に向けたかと思うと、例の弾丸の様な貫通力を持った猛毒の溶解液の塊かたまりを数発放出した。

「ドドドドッ！」

「ジジッ！　ジッ！　ジジッ！　ジュッ！」

　ヒッチハイカーが尻尾の先端から発射した４発の溶解液の塊は光の膜を突き抜けるどころか、ことごとく
弾はじかれ空中に蒸発して散ってしまった。それはまるで、真っ赤になるほど熱した鉄板に水滴を落としたかの様だった。

「お、俺は…このオーロラみたいな緑色の光の壁に閉じ込められたのか…？」

　ようやくヒッチハイカーは現在の自分が置かれた状況を悟さとり、その現状に恐怖を感じた。

「ひっ、ひぃッ！　ど、どうなってんだあああ～っ！」

＊＊＊＊＊＊＊＊

「成功しました！　『疑似結界』の威力、ヒッチハイカーに有効です！」

　搭載型AIである『ロシーナ』と『スペードエース』が、それぞれの車体及び機体に搭乗している人々に喜びを表現した女性の声で報告した。

　十数ｍ離れた空域で絶えずヒッチハイカーを撮影し、その動画がリアルタイムで配信されて来ているので一同には彼の姿が確認可能なのだった。
　隠密偵察型ステルスドローン『ハミングバード』が現在もなお、ヒッチハイカーの監視を継続中なのだ。
　そのお陰かげで、『ロシナンテ』と『黒鉄の翼』の乗員達は『疑似結界』がヒッチハイカーに及ぼした影響と、彼の慌あわてふためく様さまを座席に座りながらにして知る事が出来たのである。

「やったあ！」
「やりましたね！」

　『ロシナンテ』の後部座席では島警部補が、『黒鉄の翼』の操縦席では伸田のびたが喜びの声をほぼ同時に上げた。

「これで、ヒッチハイカーは『疑似結界ぎじけっかい』の中から逃げられないぞ！」
　思わず島が隣の座席に座る静香 しずかの右手を両手で握りしめたのに対して、静香 しずかも嬉しそうな顔を島に向け、自分の右手に力を込めて握り返した。

「だからどうだと言うんだ？　それだけの事だ…　喜んでどうする？」

　『ロシナンテ』の運転席に座る鳳 成治おおとり せいじが、冷たく言い放った。

「え？」
　自分達の喜びに水を差された形の島が不満げな声を上げた。

「その通りよ。『疑似結界』がヒッチハイカーに対して有効だったとは言っても、ただヤツを結界内に閉じ込めただけ。根本的な解決にはなっていない。
　それに、『疑似結界』内に閉じ込めたままの状態でヤツを滅ぼすために残された時間は、電磁波照射装置のバッテリー残量の４分しか無いわ…」

　通信で流れてくる風祭 聖子かざまつり せいこの言葉に全員が震えあがった。
　その通りなのだ。『疑似結界』は攻撃型の武器では無く、単に魔界の存在を閉じ込めるための檻おりにしか過ぎないのだった。

「しかもだ…　唯一、進化したヒッチハイカーを葬ほおむり去れる存在である白虎は、今どこにいる？
　アイツを乗せた飛行妖怪『野衾のぶすま』もアイツ自身も、閉じ込められたヒッチハイカーとは逆に『疑似結界』の中に入っては来れないんだぞ。」

　鳳おおとりの冷ややかともいえる発言がとどめを刺したかのように、他の人々の高揚こうようした喜び気分を消し去った。一瞬にして関係者一同は、凍り付いたように静かになってしまった。

「そうね…　人外じんがいの者である、うちの千寿せんじゅ所長は『疑似結界』を通り抜ける事は出来ない。まじりっけ無しの妖怪ようかいである『野衾のぶすま』は、もっての外ほかね。」

　聖子の発言が、さらに場ばの空気を冷ややかにした。

「風祭かざまつりさん…　あなたが機械的に作り出したこの『疑似結界』は、我々陰陽師おんみょうじや他の術者が用いる本物の結界と違って、中に封じ込めた『人外』の存在の持つ妖力ようりょくを封じる事は出来ないんだね？」

　鳳おおとりが抱いていた疑問を聖子にぶつけた。

「そうなの…　ただ単純に『人外』の存在を通行不能にする檻おりか壁かべの様な存在だと考えてちょうだい。
　本物の結界には遠く及ばないわ。情けないんだけど、今の私に出来るのはここまでが限界ね…」

「いや、そんなに卑下ひげするものでも無いさ。
　ヒッチハイカーを逃がさない効果はあるし、貴重な時間も稼かせげると考えれば十分だよ。」

　あまり慰なぐさめになっていない…と、鳳おおとりを除いた一同全員が思った。

「とにかく…　残念だけど、白虎である千寿せんじゅ所長には期待出来ない。となると、ヒッチハイカーを倒す戦力となる存在は限られてくるわね。」

　慰められた形の聖子が鳳おおとりに対して言った。

「ああ、『黒鉄の翼くろがねのつばさ』は上空でホバリングしながら超音波を発生させ続けているから戦うのは無理だ。我々の乗っている『ロシナンテ』は、電磁波発生装置を車外に設置したので戦う事は可能だが、今の飛行するヒッチハイカーの機動性には太刀打たちうち出来そうに無い…」

　鳳おおとりの言う意見は全員の思う所と一致するため、誰も声を発せないでいた。
　しかし、その沈黙を破ったのは風祭 聖子かざまつり せいこだった。

「一つだけ…方法が無い訳じゃないの。でも、それには伸田のびた君の文字通りに決死の覚悟が必要になる…」

　『黒鉄の翼』の操縦席内で俯うつむいていた伸田のびたは、思いがけなく自分の名が聖子の口から発せられた事に驚き、顔を上げて無意識にその場にいない聖子の姿を探すようにキョロキョロと狭いコクピット内を見回した。

「ぼ、僕…ですか？」

「そうよ。白虎の力を期待出来ない今の状況でヤツを倒すための武器は、あなたの持っている『ヒヒイロカネの剣つるぎ』と『式神弾しきがみだん』しか無いのよ。」

「そ、そうは言っても『式神弾』は、あと一発しか…」
　真っ青さおになった伸田のびたの顔には、悲愴ひそうさが漂ただよっている。

「そうね、今は、あなたの百発百中の射撃の腕前に期待するしか無いのよ。言葉通りの一撃必殺の手段しか残されていないわ。」

「で、でも…あんな自由自在に飛び回るヒッチハイカーに、どうやったって僕が確実に当てられるわけが無いじゃないですか！
無茶を言わないで下さい！」
　伸田のびたにしては珍しく激高げっこうしていた。

「ノビタさん…」
　『ロシナンテ』の後部座席では、恋人の伸田のびたを心配し祈いのる様に両手を組合くみあわせる静香 しずかの姿があった。

「そうね…　確かに、そんな弱腰のあなたには無理かもしれない。
　なら、恋人の静香さんはヒッチハイカーにくれてやっても仕方が無いわね。残念でしょうけど、彼女の事はあきらめなさい…
　鳳おおとりさん、他の手段を考えましょう。」
　聖子が冷たく低い声で言い放った。

「待て！　ふざけんな！
　誰がシズちゃんをあきらめるって言った？　彼女は僕が何としても護まもって見せる！」
　
　伸田のびたが喉のどから血の出そうな勢いで叫んだ。
　その自分を想おもう恋人の必死の叫びを聞いた静香は、涙を浮かべて感動に身を震ふるわせていた。

「分かった…　その覚悟があるのなら、今から私の話す作戦にあなたの命を賭かけてちょうだい。」
　
　果たして聖子は、伸田のびたを試ためしたのだろうか？　彼女の声には、少なからず嬉うれしさが込められているようだった。
　そして風祭 聖子かざまつり せいこ聖子は、対ヒッチハイカー用の最終作戦を一同に語り出した。
　それは、聞く者の心を震ふるえ上がらせる様な恐るべき内容のものだった。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「む？　あの緑色の光を放つドームは…『疑似結界ぎじけっかい』…？　さては、聖子君か…
ふ…どうやら、彼女が独自の判断で動き出したようだな。」

　飛行妖怪『野衾のぶすま』の背に乗って『夕霧橋ゆうぎりばし』に近づいていた白虎が、毛むくじゃらで獰猛どうもうな虎の顔に、大きくて鋭い牙きばを覗のぞかせた恐ろしい笑えみをニヤリと浮かべながらつぶやいた。

「だが、あれじゃあ…　俺まで中に入り込めないぞ。まあ、俺の到着までの時間は稼かせげるがな。
　さて、聖子君はどういう手を打つつもりだ？　面白そうだ、ここは彼女のお手並みを拝見はいけんするか。
とにかく、急げ『野衾のぶすま』！」

　今は神獣白虎しんじゅうびゃっこの姿をした風俗探偵こと千寿 理せんじゅ おさむは、自分の敏腕秘書であり最も信頼する人物の一人でもある風祭 聖子かざまつり せいこの度胸と天才的な手腕を信じた。

＊＊＊＊＊＊＊＊

「あれは何…？　見て、バリー。オーロラみたいに綺麗きれいなドーム…」

　白虎にとっての宿命のライバルとも言える存在で、現在…白虎とは別の方角から『夕霧橋ゆうぎりばし』に近づきつつある特殊作戦用仕様ヘリ『UH-60 ブラックホーク（UH-60 Black Hawk）』の乗員室の窓から見える『夕霧谷』に突然出現した巨大な『疑似結界』のドームを訝いぶかしんで見つめながら、妖艶ようえんな美女ライラが自分の相棒バリーに話しかけた。

「ブモウ…？」

　問いかけられたバリーにも分かる筈はずが無かった。彼は牛の様な唸うなり声を上げるのみだった。

「気にしないでいいわ、バリー。
　ふふふ…　別に、あんたから答えを聞けるなんて思っちゃいないから。」

　自分の双子ふたごの兄でもあるバリーの示す戸惑とまどいを、楽しそうに笑いながらライラが言った。

「あの方角は目標のいる辺あたりね…気になるわね。
とにかく、急ぎなさい！」
　ライラはヘリの操縦士パイロットに、良く通る鋭い声で命じた。

＊＊＊＊＊＊＊＊

　さて、『夕霧谷』を舞台に繰り広げられようとする最終決戦の役者が全て揃そろいつつあった。

　風祭 聖子かざまつり せいこの言う、伸田のびたを使った作戦とは？
　果たして『疑似結界ぎじけっかい』の効力がある間に、白虎抜きで人間の力だけで怪物ヒッチハイカーを葬ほおむる事が出来るのか？
　そして、新たに現れた敵（？）…ライラ＆バリーの二人は、どういった動きを見せるのか？

　遂にクライマックスを迎えた『ヒッチハイカー』の物語は、いかなる決着に向けて動き出すのか…？

次回を乞こうご期待！

【次回に続く…】