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111_TAMTAM「We Are the Sun!」

また、あの男がやってきた。前と同じ黒のダウンを着てヤンキースの野球帽をかぶっている。中の様子を伺おうと、彼は店の前をうろついているのがわかる。目が合ってしまった。僕は思わず良子さんの顔を見る。
「良子さん、あの」
「わかってる、また、あいつが来てるんでしょ」
良子さんはパソコンの前で激しくキーボードを打ち込みつつ、涼しげな目元で外の様子を見ている。

「はあ、しょうがないなあ。とりあえず、まあいいわ。ほかっておいて」
こうなるってことがわかっていたかのように、良子さんはため息をついた。
「私、奥の金庫と帳簿を改めてるから、君、月末締めの台帳のチェック終わらせといて」
「ええわかりました」
彼女は手で駆動輪を回し、車椅子を動かして奥の事務所のスペースに引っ込んでしまった。

タバコを吸い出した男と僕の目が合う。良子さんが奥に引っ込んでしまったことで、ある意味、その男と僕の間に店のドア一枚を隔てて、対峙してしまった形になってしまった。男は良子さんがいなくなったことを確認したことで、何かが好都合だと判断したのだろうか、しばらく僕の様子を見ている。僕は目を合わせないようにして、彼の存在を無視しているが、どうにもやりにくくてしょうがない。

男はどちらかと言えば、年恰好は僕より少し上か、良子さんと同じくらいの20代後半で、少しやんちゃな風貌をしていた。良子さんのあの態度を見るに、たぶん男は彼女の元恋人かなにかに違いない。昔が忘れられずに、いまだに良子さんに付きまとっているのだろうと僕は踏んでいた。

じゃあ、この際だ、僕がビシッと言ってやらなきゃいけない。
「良子には、もう付きまとうな」
僕が男として良子さんを守らなければならない。僕は彼女と付き合っているのだから。彼女が車椅子に乗った障害者だからというのも、今は関係ない。僕が一生彼女を守り支えると約束したのだ。この前、彼女の誕生日にそれを伝えたけれど、それについてはまだ彼女から返事はない。

僕がそんなことをつらつらと考えながら、帳簿の数字を電卓入れてチェックするために、頭を下に向けている隙に、気付くと男が店のドアを開けて入ってきていた。
「(げえっ、入ってきちゃった)」
僕は、正直内心ビビってしまい、体をこわばらせた。男は無言で手招きをしている。僕に外に出て来いと言っているだろうか。「あの」僕は声を出そうとすると、男は指を口の前で立ててしーっっという動作をした。ジェスチャーを交えつつ、「いいから」彼は小声で僕に言う。

仕方ないので、僕は外に出て彼の前に立った。まさか外で殴り合いでもしようって言うんじゃないだろうな。僕は警戒心を解かない。男はタバコを携帯灰皿にしまうと、僕の少しばかり緊張した様子をうかがったうえで、こうつぶやいた。
「まあ、そう怖い顔すんなよ」
「なんなんですか」
「アンタに少しばかり、話を聞きたい。ちょっとばかし、ツラ貸してもらえないか」
「良子さんに用があるわけじゃないんですか」
「いや、今日はアンタに用があって来たんだ、良子じゃない」
「あの、僕、仕事中なんですけど」
「時間は取らせない、すぐに終わるから」

僕と男は近くの川べりのベンチに二人で座って、夕暮れ時の水鳥の様子を眺めていた。僕らの前を家族連れや学校帰りのカップルが通り過ぎて行く。良子さんにはメールで「すいませんが、少しだけ席を外します」とだけ送っておいた。
「タバコ吸うか」
「吸わないです」
「そうだな。良子、タバコ嫌いだもんな」
「あの…」
「わかっている、アンタの言いたいことは。俺が何者なんだってことだろ。なんで良子のことずっとつきまとって見てんのかって、そう言いたいんだろ」
「ええ、はい」
「あのな」
「良子の足、ダメにしちゃったの俺なんだ」
僕は思わず、彼の横顔を見た。

「まあ聞いてくれ、良子と俺は高校が一緒だったんだ。まあ単なる同じクラスメイトだったんだよ。特にめちゃくちゃ仲良いとか、そう言うわけじゃなかった。たまに話したし、気が合わないわけじゃないんだけどな。クラスのなんとか係とかで一緒になった時もあったから。あの頃の良子はソフトボールもやってて、クラスの中でもすげー活発な感じの娘だった」

良子さんと僕は、今の職場(良子さんの実家の不動産屋)の関係でしかないので、まだ彼女が歩ける時の、特に学生時代の彼女の話を聞けるのは新鮮だった。そのあたりは彼女が詳しく話してはくれないからだ。それもまあ、彼女の気持ちを考えれば、しょうがないことだ。

「うちの田舎、雪深いから、スキーの授業があって、それで年に2回くらい、近くのスキー場に滑りにいくんだよ。その日はみんな先生から配られるリフトの一日券を握り締めて、スキーかスノボで一日、滑り尽くす。俺はその時はずっとスノーボードばかりやっていて、周りよりも自分ではかなりできる方だと得意になっていた」
「調子に乗って大ジャンプして、着地に失敗しちゃったりとかして、足を骨折して。松葉杖を付いて、「無茶をやる俺」の象徴みたいな感じで、イキってたんだよな。まあ、なんにせよ、若かったんだ、まだ高校生だしな。なんでもできると思ってたし、それなりにクラスで人気があって、女にもモテてたし」
「それで」
「それで、その日も一日中もう滑り尽くしてやろうと思ってな、俺も気合入れていったわけ。クラスのみんなの前で、新しい技とか試したい、とか思っててな、もうすごいスピードで滑ってて。そんな、ヤバい俺すげーって思ってて。馬鹿みたいに」
「全然、前とか確認してなくて。それで、次の瞬間には、すごいスピードの俺が前にいた良子と激突してて。気づいた時には、俺は少し足が痛いくらいで大丈夫だったんだけど、アイツはもう雪の中で動けなくなってた」

僕は良子さんが歩けなくなった原因については、本人からは簡単に「高校生の時に事故で」としか聞いてなかった。僕はそこはあまり深く突っ込んで聞こうとは思わなかった。一番デリケートなことなのだから、それも当然のことだ。

「まあ、事故っちゃ事故なんだよ、俺も親と一緒に何度も彼女と彼女のご両親に謝りに行った。何度も何度も。でも、いくら謝ってもこういうのって、全然謝り切れないっていうか。なんだろうな」
彼は再びタバコをふかして、少し下を向いて俯いて、かぶっていた野球帽を直した。
「俺が良子の未来奪っちゃったって。あの頃、あいつソフトもめっちゃ頑張ってやってたし、他にもいろいろ良子もこれからやりたいことあったろうに、俺が全部ダメにしちゃったって。ずっと残ってんだよな、心のどっかにしさ。しこりみたいなもん。だから、ずっとアイツの顔を見に行ってた。あっちも迷惑だとは思ってるんだろうけど」
「んで、そしたらさ、良子から、メールでな、アンタにプロポーズされたから、誤解されるだろうから、もう顔見に来たりしなくていい、ってきたんだよ」
「そうだったんですか」
「それで、アンタに話だけはしておきたくてな、悪かった、仕事中、時間取らせて。俺が言えることじゃないけれど、良子のことは頼む」
僕はうなづいた。その様子を見て、男はベンチから立ち上がって、タバコをくゆらせた。
「じゃあな、良子によろしく言っておいてくれ」
彼はゆっくりとした歩調で、僕の前から去っていった。夕暮れの中で、川べりを歩いていく彼の背中がとても印象的だった。

「おかえり」
「すいません、仕事中に席外して」
「いいよ、こうちゃんと話してきたんでしょ」
「良子さんによろしくって言ってました」
良子さんはリラックスした笑顔を僕に向けてくれた。二人でいた時も、今まで僕に見せたことのないような、昔を懐かしむ顔だった。どこか高校生の時のまだ活発だった彼女を見ているようだった。

店を閉じた後は、僕は彼女の車椅子をゆっくりと押しながら、彼女の家まで送ってあげる。いつもの日課だ。
「こうちゃんね、義理堅いんだろうけど、昔からちょっと思い込み激しくてね、悪いやつじゃないんだろうけど」
「本人から聞きました。ずっと引っかかってるって」
「まあ、しょうがないことなんだよ、二人にとって。どっちが悪いってのもないし、本当に事故だし、ただそれで結果として私の方が歩けなくなったって言うだけ。ただ、こうちゃん、なんでそうなっちゃっただろう、ってずっと自分のこと責めてたんだろうと思う」
「一回ね、お前がこうなったのも俺の責任だから、俺が一生お前の面倒をずっと見る、だから付き合おうとか、こうちゃんに言われたりした時もあったの」
僕は少しドキリとした。
「それで、良子さん、なんて返したんですか」
「私、言ってやったわ、アンタの罪滅ぼしに、私が付き合わされるのはゴメンだ、って。私は私で選ぶ権利があるんだって。自分で少しでも悪いと思ってるんだったら、私の人生だから好きにさせろって。そうしたら、アイツ何も言わなくなっちゃって」
彼女は笑った。
「ねえ、キスして」
彼女は車椅子を押す僕の方を振り返って、不意にそうつぶやいた。僕らはそっと、確認するように、夜の道端で口づけをした。




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