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031_ROVO「FLAGE」

実家の断捨離をはじめてから2日目。

今回、ずっと関わっていたライターの仕事がひと段落し、お盆休みでまとまった休みが取れたことで、久しぶりに実家で過ごすことにした。そこに、一つ自分の中である目論見があった。実家をなんとか片付けたい、と以前からなんとなくそう思っていた。いい機会だから、としか言いようがない。別に片付けを行うこと自体に特段の理由はない。

これまで両親もだいぶ歳を取って、掃除が億劫となったせいなのか、家の汚れが目立つことも多くなっていた。だが何しろ2人とも古い人間だ、いつまでたっても物を捨てない。いつか使うだろうから、お客さんや誰かが家にやってきた時のために、何かと言い訳がましい理屈をつけて、古いものを大事そうに取っておく。リサイクルやゴミの分別などにうるさい現代では、昔のように簡単にゴミを捨てることもままならず、いつしか老人のゴミや不用品の溜め込み癖は社会問題となっていた。

両親はおそらくこの家にあるものを自分の体の一部のように感じているのだろう。私もそこは否定はしない。「歳を取っていくって言うのは悲しいことやな。これまでできてたことがだんだんと減っていくんや」母親は時折、老いていくことへの愚痴を私にこぼす。確かに両親も歳を重ねて、これまで時間をかけていたガーデニングの趣味などに費やす時間も段々と減っていき、結果テレビばっかり見ているのは知っている。(最近もテレビが壊れたことで半ばパニックになって、私に電話をかけてきたりした)

そこに加えて、自分の所有物が減っていくことは、老いをまざまざと実感させられてしまうようなものなのだ。不用な家具や使っていない食器や器材などで、一つ部屋が埋まってしまっているのを見て、帰るたびに私が母親に片付けなよと声をかけてみるが、なしのつぶてだったのだ。しまいには「死ぬ前までにはなんとかします。あんたには迷惑をかけん」などと、皮肉で返される始末。よし、そっちがその気ならばと、私は静かに決意をした。

実家に帰る前に、「そっちに帰ったら、家片付けるから」となんとなしに伝えておいた。電話口では、母親もああそうなの、としか特段のリアクションを取らなかった。たぶん娘がそんな本格的に片付けるつもりなどとは思わなかったのだろう。

しかし、今回私は本気だった。あらかじめ実家に帰る前に、地元の不用品引き取りを行うリサイクル業者にも電話を入れておき、軽トラでの粗大ゴミ回収の時間などをアレンジしておいた。他にも、バイク買取業者などに出張買取の算段などつけたり、不用になった子供服などを貧しい国の子供に送ることのできるWebのサービスなどにも登録しておいた。今回で決着をつけてやるのよ。私はふつふつと闘志を燃やす決闘者のような気分で、実家へ向かう電車に乗りながら綿密な片付け計画を立てていた。

そして、奇異な目を向ける両親を尻目にして、私は脇目もふらず、ひたすら実家のこの溜まりに溜まったゴミをまとめ掃除を黙々と昨日から繰り返している。髪をまとめた上タオルを頭に巻き、まきあがるホコリ対策のため口にはぶ厚いマスクをして、いくら汚れてもいい高校の時のジャージに身を包み、腕まくりしてこの断捨離に乗り出していた。この際、見た目などどうでもいいのだ。

「もう、なんなん。あんた、なんでも、捨ててまわんといてーな」

「いや、だから帰る前に家片付けるからって、ちゃんと言っといたやん」母親の嘆きをよそに、私は淡々と片付けを続ける。これまで足を踏み入れていなかった場所を含め、家の中を念入りにスクリーニングを行っていった。

そして、奥の部屋にある押し入れの前に私は佇んでいた。一つ一つ押し入れの中に入っている段ボール箱を外にかき出していく。中には私や弟の服やおもちゃや学習道具などがたくさん詰め込まれていた。そうだ、この部屋は小さい頃は私と弟で共用していたんだった。断捨離や片付けをやっている途中に、思いがけず昔の思い出に浸ってしまうことなど、よくあるエピソードのひとつだ。小学生の高学年になって二人とも別々の部屋で過ごすようになったけれど、そうだ、そういえば子供の頃によく弟と一緒になって私もこの押し入れの中に入っていたな。

苦労して、押し入れの中の重たい段ボールたちを外に全てかき出してしまったあと、私も流石にたくさん汗もかいたせいか、しばしその押し入れの中で放心していた。そうすると、子供の頃の妄想を思い出す。子供向けの宇宙とかSFファンタジー小説を読んだあと、その内容を自分の中で反芻し噛み締めるように、この暗い押し入れの中で私はひとりいろんな思いを巡らしていたのだ。

そしてそんな経験が私はいつしか創作の夢を抱き、今のようなライターの仕事をやりはじめるきっかけになったのだ。押し入れの隙間から入る光をぼんやり眺めながら、幼い頃の私が考えてきたことを段々と思い出してきた。

果たしてこの宇宙の果てにはどのような光景が広がっているのだろうか?
宇宙はいったいいつから存在していつ終わりを告げるのか?
宇宙の中心はいったいどこにある?表は?裏は?膨張してる?収縮してる?
そして宇宙の果てでは一体どんな音が鳴っているんだろう?

そんな問いを繰り返しながら、巨大な宇宙の片隅の太陽系の中でも、えらくちっぽけな地球という名の惑星に暮らす。卑小な私はただ唇をかみ締める。しかしよく考えたら宇宙や月や太陽や銀河や果ては地球も、すべて教科書やテレビで受動的に教えられたり見せられたりしたものばかりで、実際に自分の持つこの二つの眼で確認したわけではない。そう、自分の周りのすべては偽りかもしれない。

初めから宇宙なんてものはないかもしれない
地球なんて人間の入れ物も存在しないのかもしれない
私たちの生きてる世界は仮想現実かもしれないし
実は今見ているのが夢の世界で、夢だと思っているのが現実かもしれない
私は空想する

私たちが宇宙と呼んでいる代物はでっかい芋虫の腹の中に納まっていて、その中のアメーバに等しい僕らが世界を営んでいるのではないか。アメーバのような私が妄想する宇宙を内包している芋虫は、さらに大きい鶏に飲み込まれ、私たちは鶏の腹の中の芋虫の腹の中の地球にいる
その鶏も終いには焼き鳥にされ、それを肴にビールを飲む酔っ払いの腹に収まる。酔っ払いは自分たちの宇宙の果てはいったいどうなっているのだろうと思いを馳せつつ、アメーバ同然の僕の空想など知るよしもない。しかしその酔っ払いの住む宇宙もでっかい毛虫の腹ん中で・・・
その繰り返し。

私は私が下等生物だととらえているアメーバも、自らを取り巻くこの世界について、人知れずあれこれと思いを巡らせているのかもしれない。誰もアメーバはそんなことは考えていないだろうと言うかもしれないが、自分がアメーバじゃないのだから、絶対とは言えないはず。そのアメーバも宇宙の果てで鳴っている音を空想しているのだろうか。

ガラッ。

「姉ちゃん、何押し入れの中で寝とるん」

私の意識が遠のいて、アメーバとなって宇宙の果てまで旅をした結果その一部に溶け込んでいた時に、急に押し入れの引き戸が開いて誰かが私に話しかけた。大学生になった弟が押し入れの目にかがみこんで、奇異な目で私を覗き込んでいた。私は意識を急激に引き戻される。

「寝てないわ。片付けしとんやん。もう、急に開けるからビビるやん」

「絶対寝とったやん。そういえば、姉ちゃん、小さい頃、この押し入れ入ってよく寝てたもんな」

弟はニヤニヤしながら私を見つめる。そうだ、私は今、実家の押し入れの中でホコリまみれになったダサいジャージ姿で寝ているところを弟に見つかる。急に現実に引き戻される。

「そんなんやから、結婚できひんねん。お母さん、ご飯やから、姉ちゃん呼んできてって。なんか帰ってきてアホみたいに片付けしとるから、頭おかしくなったんちゃうかって」

「もう、アホ!」

「ご飯、焼き鳥やって。そんないつまでも寝とらんと、はよきいや」

私は1日中片付けをしてお腹がぺこぺこになっているのに気付いた。今はそうだ、焼き鳥とビールが食べたい。





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