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子供がもっとかわいく見える。絶対的価値観 相対的価値観

"西さん"が現れる現象


自分が中学生の時、兄貴が好きで購入していた「ササキ様に願いを」という4コマ漫画がありました。

その中に登場する"あるキャラクター"が、20年以上経った今でも、頭の中に思い浮かんで来るのです。

それは、

「西さん」(西清孝さん現:中日打撃投手)

西さんは、作中ではほぼ喋らない超シュールキャラ。

西さんが頭の中に現れるのは、特に仕事が辛い時期。何だか言語学出来ないけれど、とても魅力的な存在として現れるのです。

西さんは、エースでもなく。
選手として飛び抜けた存在ではありません。

しかし、西さんはとても楽しそうなのです。

プロ野球は、厳しい一寸先は闇の競争社会。弱い人間に、人権なし。

でも西さんはマイペースにやりたいことをやっている。


次に西さんの話を理解するためには、自分の親の話をしなければなりません。


親の話


自分は親の教育の方針で、競争社会の中にいたと思います。

人間形成の中で、親の占める影響は大きい。

学校なら成績は上位がいい。
野球ならプロ野球選手。
仕事なら社長か医者か。

公務員を辞めて、自営業を継ぐような父親は競争意識がすこぶる高い。


しかしその親の期待とは裏腹に、自分自身の現実には差があり、心のどこかに影を落とすものとして燻っています。


競争社会の勝者

自分の好きな分野は仕事、サッカー、FPSプロゲーマーなど。

これらはすべて競争社会だ。

競争社会の原理は、才能×努力だと思う。
才能が10あって努力が1だと、10の成果
才能が1あって努力が10だと、10の成果

才能が10あって努力が10あれば、100の成果

※逆に10の努力さえ出来れば、才能があるかどうか分かるので、これが才能を発見するいい方法の1つだと思います。

プロサッカーでトップオブトップにいる人達の努力は並大抵じゃない。才能の差はあるけれど、食事、睡眠、生活のすべてをサッカーに捧げなければ勝てない。人生を賭けて勝負している。

FPSプレーヤー、いわゆるEスポーツのプロは基本的に毎日10時間はそのゲームをプレーしている。

VALORANTのプロチームZETA DIVISIONの神の子DEPさんは10時間活動をこなした上で息抜きにゲームのランクマッチをしているらしい。

FPSレインボーシックスシージ元プロゲーマー世界のWokkaさんは現役当時、午前9時前から深夜2時頃まで毎日練習していた。

楽に稼げる様に見えるユーチューバーであっても同様で、自分の好きなKUNさんも1日10時間は毎日撮影していると言っている。

最近読んだ見城徹さんの本に圧倒的努力の解説が書いてあった。

圧倒的努力とは何か。人が寝ている時に寝ないで働く。人が休んでいる時に休まずに動く。どこから手をつけたらいいのか解らない膨大なものに、手をつけてやり切る。「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事を敢えて選び、その仕事をねじ伏せる。人があきらめたとしても、自分だけはあきらめない。                      幻冬舎社長 見城徹

「たった一人の熱狂 」

つまり、競争社会の強者は全員、圧倒的に努力している。

競う相手があってこその競争なので、相手が5時間練習すればこちらは6時間。

相手が10時間練習するなら、こちらは10時間以上しないと勝てない理屈になる。


そうやって相手に勝つことは「相対的な価値」となる。


努力にもランクがあると思う。

・人生捨てる覚悟。死ぬ気で努力ゾーン
・必死に頑張り努力ゾーン
・そこそこ努力ゾーン
・余裕で楽するゾーン

トップオブトップになる為には、"死ぬ気で努力ゾーン"で競争相手を圧倒しなければならない。


少年野球時代の話

自分も中学校で野球で全国ベスト16に入った時は、とにかく野球をしていた。

おやじには「女の子と遊ぶと、野球が下手になる」という今考えるとキテレツな硬派教育を受けていた。

月曜日~金曜日16:00~18:30まで練習。夕ご飯を食べて、友達が自分の家に集合してトスマシーンで1時間程練習。土日は試合。

この生活を小学校3年から中学校3年まで続けたら、中学校3年生の時に全国大会に出られた。

特別な才能があった訳ではなかったけれど、練習量だけなら日本でもトップの方だったに違いない。

競争社会溢れ問題

自分の生きているこの社会には、競争社会が溢れていると思う。

学校も競争社会。

仕事と競争社会。

顔もカッコ良ければ良い方がいいし、車もいい車ならいい車の方がもちろん良い。

資本主義である以上、基本的には競争の理屈がこの日本を作っている。


しかし、このギスギスした競争社会の中に咲く一輪の花にお気付きだろうか。

思い出して欲しい。



西さんである。



西さんは競争はどうでも良くて、マイペースにシュールに活動出来たら満足している。

西さんは、西さんのやりたいことをやるという「絶対的価値観」なんだと思う。

そこには、勝ち負けや、他人の期待を背負ったり、幸せの物差しを他人に委ねるようなことはない。


絶対的価値観

絶対的価値観は何かに比べる必要がないので、自由だ。

空の青さや、心地よい風が吹くだけで感動することが出来る。

そこに本当に自分の好きなことがあるような気がする。

昨今、好きなことが分からないということを良く聞くけれど、これは競争社会の負の遺産じゃないかと思う。

ひがみ、妬み、嫉妬、コンプレックス、劣等感、逆に人を下に見たり、高圧的な態度を取ったりと競争社会は闇が深い。

先日ツイッターで炎上していたが、大学入試に失敗した自分の子に対して、ある母親が

「子ガチャに失敗した」

と呟いて炎上していた。

しかし、そうやって否定された子供は本当に不幸だと思う。

相対的価値観でいうと、受験に失敗した子供は「出来の悪い子供」となる。

しかし絶対的価値観で見ると「そこに存在することだけで価値のある我が子」ということにならないだろうか。

自分の血を継いでいる人間が存在するだけで、本当に奇跡だと絶対的価値観であれば気が付くと思う。

生きていく中で、競争する力ももちろん大切ではあるけれど、絶対的な価値観も同時に持つことが出来れば、子供がもっとかわいく見えると思う。

頭が良くなくても(誰かと比べて)顔が格好良くなくても(誰かと比べて)病気がちでも(誰かと比べて)

そこに存在している、絶対的な価値。

あなたは世界に一人しかいないということは、それだけで奇跡。

ありのままで~♪

アナ雪が流行った裏には、競争社会での癒しを求める背景があったのかも知れません。

最後に

絶対的価値観が府に落ちてからは、西さんは現れなくなりました。

西さんありがとう。

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