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落語家と師匠と弟子と人権と。

先日、4代目三遊亭圓歌が弟子に対してパワハラをしたってことで訴えられていた裁判で判決が下り、80万円の賠償を命じられました。

で、そのニュースが出た直後に圓歌の弟弟子の三遊亭鬼丸という落語家がツイートしてました。


落語をやりたくて弟子入りした先の師匠が理不尽であっても、まあそれはしょうがないと思います。

選んだのは自分であるし、弟子が願った通りの指導法を得られるはずもない。

何より、弟子からカネを取れるわけでもなく(談志は取ってたけど)、弟子を取っても面倒なだけで、基本的に何一つプラスになることはないと言ってよい。

弟子が師匠以上に売れれば別ですが。

けどね、とは言え、この時代に必要以上の暴言を吐いたり、まして手を出すのなんてのは完全にアウト。

弟子にだって人権はあるに決まっていて、「弟子には人権なんてないし何しようが自由」ってことならね、それこそ女の弟子ならアレもコレも何をされてもしょうがないってことになります。

そして、落語ファンからの真っ当な問いにもこんなことを言っている。


この人、本当にダメだな、って思ったのは、客からしたらあんたら落語家の覚悟なんてどうでもいいんですよ。

楽しい話、面白い話、泣ける話、心に沁みる話を聞きたいだけで、覚悟も決意もいらん。

で、覚悟を感じないのなら落研(学生が部活でやってる落語研究会)を見てればいいって、よくもまあこんな暴言を吐けるもんだと思います。

いや別に、客のが偉いんだから客に対して偉そうな態度を取るなってことでは全然なくて、客がいなければ成立しない演芸において、無礼なことを言っているわけでもなく失礼な態度を取っているわけでもなく「暴言やパワハラはダメだよね?」っていう普通の疑問を問うてる客に「落研見てればいいじゃないですか?」って言い放つってのは人としてあまりにも無礼である。


私は元々「教育法」に強い興味があるところで、この5年くらいで落語・講談・浪曲等の演芸に親しむようになり、その「徒弟制度」というものにも強い興味を持って見ているんですね。

落語家は、弟子入りしない限り落語家にはなれません。趣味(の延長)でやっている人は別にして。

直近で言えば、「下町ロケット」なんかに出ていた立川談春の一番弟子の立川小春志という女性が真打ちになりましたが、談春の弟子は彼女以外全員やめているんです。

Wikipediaの情報がどれだけ正確かわかりませんが、そこに載っている人だけでも11人やめている。

談春門下が厳しいことは極めて有名なので、そこに入る弟子も辛いことは承知で入ってきているのしょうが、それでも全員辞める(辞めさせられている)ってのは、お世辞にも師匠として育成上手とは言えませんし、もっと言えば、落語家になりたいんだったら談春に弟子入りしたらいけないということですね。

その11人が全員落語家として無能だったかと言えば、その可能性は極めて低く、他の師匠のところであれば全部で12人いる一門になっていたかもしれない。

ま、だからと言って売れたかどうかは全く別の話であるわけですが。


上の鬼丸さんが師弟関係を否定するのならば落研を聞いていればいいって発言をしていて思ったのは、正にそれで師匠を持たなくなったダウンタウンあたりから始まる、漫才・コントの若手は、売れに売れているということです。

鬼丸なんて落語家は世間の誰も知らないでしょうが、第3世代あたりの、NSCはじめ、各種お笑い学校出身の芸人はテレビの場を席巻しています。

つまりね、笑いには師匠がどうこうとかいらないわけです。

役者だって、今は弟子入りしている人なんてほとんどいないわけで、師弟関係があるから芸が伸びるってのは全然論理性がない話ではある。

かといって、密な関係による芸の継承に意味ないかと言えば、全くそんなことはなく、歌舞伎もそうですが、強く濃い身体性の継承が個々の芸に影響を与え、さらなる芸の発展につながるということも確かにあるはず。

小学生や中学生、高校生とは違い、芸人というのは自立した人間が自立した芸を見せてカネを取る商売なので、そもそも自立した人間じゃなきゃ出来ないわけです。

だから、上の人間がギャーギャー言うのは意味がないし、それによって伸びる才能より潰れる才能の方が多いと思いますね。

私が好きな落語協会の落語家、柳家喬太郎、桃月庵白酒、柳家三三、春風亭一之輔あたりで、師匠が厳しくて有名なのは三三だけ。

いま落語協会より良い感じの落語芸術協会は基本的に緩い師匠が多く、それによる自由さが今の隆盛を作っているんじゃないかとも思います。

「教師・上司がいないとすぐにサボる」っていうような生徒や社員が多い組織であるのならば、教師・上司が厳しくするのも意味があるでしょう。

厳しくしないと、まともにやらないわけだから。

ですがね、自立した芸によって自らを磨くような世界にいる人は、過剰なプレッシャーや圧力はない方が良い。

型にはめることが成長を止めることになるし、説教することがメンタルの停滞を作る。

やらないならやらないで芸人として終わるだけの話で、それは完全に本人の責任です。

ダウンタウンやとんねるず、爆笑問題なんかに師匠がいてグチャグジャとわけのわからないこと言われて強制させられていたら、これまでの活躍は相当に高い確率でなくなっていたと思われます。

今をときめく「二郎系ラーメン」の元祖だったラーメン二郎の店主も、近所の店で3ヶ月だけラーメンの修行をして、後は自分でやったからこそこれだけ広まるラーメンを作ることが出来た。

恒常的な厳しさが必要な教育法ってさ、厳しくしないとまともなことが出来ない刑務所のような場所が前提であると、考えれば考えるほど思うようになってます。

強制的に指導しないとダイエットが成功しないとか、酒を飲んでしまう、甘いものを食べてしまう、運動をやめてしまうっていうような場合には、必要だし有効。

けど、そこに自律的で自立的、創造的な芸や特技、表現の発出やスキルアップなんてものは生まれ得ない。

ま、このテーマには簡単に答えは出ません。

まだ考え続けます。


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