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読書嫌いと想像力の問題。

読書好きな人が1度は経験したことがあるだろうことに

「原作小説をドラマ化・映画化したものを見たら、登場人物が全然イメージと違ってがっくし」体験

があると思います。

原作漫画をアニメにした場合は「見た目の微妙感」はそんなにないでしょうが、「こんな声なのかよ、全然イメージと違うわ!」ってことは起きますね。

おもしろいことに、読書をしている100人が同じ作品を読んだとしても、そこで想像される登場人物の顔や声は、100通りとまでは行かなくても、それに近いレベルでそれぞれ違ってくるわけですね。


でね、そんなことに絡めて最近思ったんですが、読書が好きではない人って一定数いるじゃないですか?

年に1冊も本を読まない人。

そういう人って、教養がどうこうとか、情報獲得量がどうこうとかってこととは別に、「本を読んでて楽しくない」ってことが極めて大きいんだと思うんです。

ちなみに、私は現代社会において、読書が必須だとは思ってません。

現状の多くの情報は動画・音声で取り込むことができるし、本の解説動画も当たり前にあるし。

むしろ、読めば1冊15時間ある作品を、10分で見れる動画があるのならば、そっちを見てエッセンスだけ吸収した方がよっぽど効率が良い。

そういう情報獲得ツールとしての価値とは別の話として、読書を楽しむには想像力がないといけませんね。

ちなみに、今日のお話は「想像力がない」ことをバカにしたいわけではなくて、ただ単に「向き不向き」のお話です。

運動は苦手だけどインドア派の趣味は好きとか、運動は全般的に得意だけど野球は苦手・水泳だけ苦手とかってこともあるでしょ?

そういう意味での向き不向きです。

先日、村上龍の「オールド・テロリスト」を読んで最高に面白かったんですが、


これ、面白くない人は全く面白くない、というか、そもそも意味がわからんだろうな、って思ったんです。

この作品ではテロが3回起きるんですが、最初は渋谷のNHK、次は新宿のミラノ座であり、私はそのどちらも行ったことがあるのでどちらもリアルに想像できるわけです。

想像力というのは、無から有を生み出すような意味でもありますが、自分が持っている知識を目の前に提示された話と結び付けられるかどうか?って意味でもあります。

東南アジアに行ったことがある人ならば、「空港から出た瞬間ににおってくる独特な空気」って聞いてすぐにそのパクチー臭を想像できると思います。

つまり、

想像力の根本=持っている知識と体験量

であり、その知識の量を基礎として、知らない情報にアクセスし、

「ある種の情報を構築すること」=想像力の発展型

なんじゃないかと思ったわけです。

なので、情報量の少ない子供は三日月を見て「バナナだ!」っていう想像力は持っていますが、「インドガウルの角だ!」と言える想像力はない。

インドガウル(動物図鑑より)


村上春樹の「1Q84」には冒頭に「ヤナーチェクのシンフォニエッタ」が流れたって描写があるわけですが、あれは「想像力タイプ1-知識量」がないと、どれだけ想像力が豊かな人だって想像できません。


今はスマホがありますから、「は?なにそれ?」ってなったら秒でその先の情報にたどりつけますが、これが20年前だったら、図書館のCD貸出しコーナーに行くか、HMVのクラシックのコーナーに行って延々それを探し買い求め、ようやく聴けるっていうような手間がかかったわけですね。

なので、想像力=体験・知識を引っ張り出すこと、と、「右目が4つ、左目が5つある顔の赤い女が逆立ちして時速80キロでグラウンドを走り続けた」っていうような、持っている知識から”ある特定の情報を作り出す想像力”に別れていて、そのどちらも多用する読書というものは、やはり向き不向きがあるわけです。

上に書いたシンフォニエッタにしろ化け物女にしろ、映画やドラマなら、一発でそのままそれを見れます。

曲は流れるし、目がいっぱいある女がどっかのグラウンドを逆立ちして走る映像も流れから知識とかいらん。

ただ、動画の場合、それ以上でもそれ以下でもなくなります。

読書好き人が原作を映画化して失望するケースが多いのは、登場人物のイメージが違うっていうようなことに加え、物語に深みも奥行きも味わいもなくなったしょうもない映像化をしているだけ感がどうしても強くなっているから。

つまり、その深みや奥行きの分だけ、その人それぞれの想像力を駆使して物語を楽しんだ証であるわけですね。

というわけで、読書が好きか嫌いかは向き不向きです。

文章を読み書く力というのは、読書なしでは伸びませんから、子どものうちはそれなりの文章読解力と文章作成能力を獲得するために読書も必要だとは思います。

実は現代社会では、コミュニケーションの大部分は文章を書き、読むことで成り立っているので、文章が読めず書けない人は、コミュニケーション・人間関係・社会生活の円滑な進行を阻害されると思ってます。

が、それとは別の話での趣味とか情報獲得法としては、向き不向きが盛大にあるので、こだわらずに好きにやったらいいんじゃん?っていう脳天気な結末で話を終えたいと思います♪

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