見出し画像

春はあけぼの、奴は馬鹿者

中学生の時、国語で枕草子が取り扱われた。
勿論テスト範囲にもそれは含まれており、実際のテストでは、ある部分の現代語訳が出題された。

結論から言うと、私の答えは不正解だった。
どのように間違えたかというと、「やうやう白くなりゆくやまぎは」の「やうやう」を、「だんだんと」と答えたからだ。

枕草子でおそらく最も有名なフレーズ、「春はあけぼの」。
この問題で出た一文は、そのあけぼのの後に続く箇所となっている。

さて、ここまで読んで違和感を覚えた人はいないだろうか。
学校で習った「枕草子」のことなんかもう忘れてしまった人がほとんどかもしれないが、妙な箇所があるはず。

実は、「やうやう」の意味は「だんだんと」で正解なのだ。
最も、私が調べた限りの話であり、件のテストを採点した国語教師から認められた話ではないので、もしかしたら違うかもしれない。
しかし、大抵の辞書に「だんだんと」という表現は出てきているので、多分あっている。

つまり、私は答案へ確かに正解を書いたのに、それを間違いだとされ、点数を落としたのである。

答案が返却された当時、すぐに先生へ抗議した。
しかし、先生は「間違いだ」「だんだんとじゃないから」「"次第に"が正解だ」と聞く耳を持たなかった。

納得出来なかったから、すぐに調べた。
やっぱり「だんだんと」は間違いではなかった。
そのはずなのである。

とても腹が立った。
腹が立ったけど、その後は特に抗議しなかった。
なんで泣き寝入りしたのかは、昔すぎて覚えていない。
わからないけど、多分諦めたんだと思う。


先生の言う「次第に」も別に間違いではないし、何なら正解だ。
教科書や授業要領に「次第に」が標準とされていた可能性はある。その文言も見たことがある気がするし。

けれど、「だんだんと」と「次第に」は同じ意味の言葉であるし、「だんだんと」で出てくる現代語訳は全然珍しくない。
なのに、何故正解だと認めてくれなかったのか。

抗議は諦めても全然納得出来なかったので、なんやかんやで10年以上根に持つエピソードとなってしまった。

あれから数年後、私はその教師よりも少しだけ偏差値の高い大学に進学した。
不思議と友人に教職志望が多く、友人という立場からいろんな教師の卵を見てきた。

本当にいろんな子がいた。
遅刻癖がすごい子、失踪する子、普通に真面目な子、不真面目な子等々。
「本当にこの子が…先生に…?」みたいなのもたくさんいた。
それでも、皆はちゃんと先生になった。


振り返ると、件の国語教師は若かった。
というか、私の記憶が正しければ、今の私の年齢よりもまだ若かった気がする。

これは、私の推測であり憶測に過ぎない。
ただ、「もしかしてあの人、あまり古文が得意ではなかったのではないか?」と思うのだ。

そもそも、国語そのものへの理解が浅かったのではとすら思う。
何故なら、「本当にこの子が…先生に…?」という人でも、教員になれてしまうからだ。

一応誤解を招かないように書いておくが、私の友人たちは立派に教師をしている。
なんなら、どちらかといえば子どもたちに向き合っている子らが多いと思う。
勿論、実際に見てないからなんとも言えないけれど、少なくとも私はそう認識している。

その上で、あの先生は「本当に…この子が…?」に分類される人だったのではないかと思う。
というか、そうでなければ何なのだ。
そうじゃなかったら、ただただ理不尽なヤバい奴じゃないか。

正直ずっと根に持ってるし、多分一生抜けない棘だ。
「この人は私が気に入らないのだな」と思っていたくらいには嫌な記憶だ。

ただ、大人になって、そういう可能性もあったなと思い始めたのだ。
本当に私のことが嫌いで、理不尽に扱われた可能性もあるけど、単純にこの人が知識不足の馬鹿だっただけかもしれないということを。


何故こんなくだらない話にわざわざ時間を割いたか。
それは、もし先生が馬鹿なだけだとしても、ちゃんと自分と向き合ってくれなかったという事実だけは変わらないからだ。
そこだけはちゃんと書きたかった。ムカつくので。

ただ、その程度の給料しか貰ってなかったかもしれない。
だとすると国が悪い。教員の待遇はもっと良くなっていいはずだ。

ただ、それでも当時の私は納得してないし、今だってあの背中を蹴ってしまいたい。
このくだらない怒りはずっと胸の中に残ってる。

教師は素敵なお仕事だ。
それは知ってる。友人を見てたらわかる。愛もある。

ただ、愛なんかなくても、私の言葉に耳を傾けて欲しかった。
そして、もしあの日の私に会えたら、「もっと根拠を出して詰めなさい」と助言したいと思う。

さあ、賢く詰めよう。蹴りたいあいつを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?