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昔話から学ぶ=人間の自己防衛機能

またまたイソップ物語からです。
「すっぱいブドウ」というお話をご存じでしょうか。


ある日、お腹を空かせた一匹のキツネが森の中を歩いていると、目の前に、大きな実をつけた立派なブドウの木が生えているのを見つけました。

キツネは、ぜひともこの見事なブドウの木になっているおいしそうなブドウの実を味わってみたいものだと舌なめずりをして、その実を木からもぎ取ろうと手を上の方へと伸ばしてみることにするのですが、そのブドウの木があまりにも大きく立派過ぎて、木のとても高いところに実がなっていたので、キツネがいくら上へと手を伸ばして、全力で飛び跳ねてみても、ブドウの実がなっている枝のところにさえ、手が届くことはありません

しばらくして、どうやってもそのブドウの実が自分のものにはならないことを思い知ったキツネは、うらめしそうにブドウの木を見上げながら、

「なんだ、あのブドウはまだ十分に熟してさえいないじゃないか。酸っぱいブドウの実なんてどうせ欲しくもなんともないや。」

とつぶやきながら、まるで何事もなかったかのように、その場を去って行ってしまうことになるのです。


欲しくてほしくて仕方なかったくせに、どうしても自分の力が及ばず手に入れられなかったキツネさん。
自分の行動を正当化させるために 不合理な言い訳 をするのです。

心理学的に言えば 「合理化」といいます。

実際には本当にすっぱいかどうかわかりません。 でも きっとすっぱいから 僕はいらないんだ!と自分にい言い聞かせることで、自分のプライドや行動への後悔などをしないで済むわけです。

これが「自己防衛」というもので、人間の心理を表しているといわれています。

この自己防衛は一見悪いものに思われがちですが 人間が生き延びるために 必要な重要な能力なのです。

プライドを傷つけられ続けたり、後悔ばかりしたり、つらく悲しい人生がずっと続くことに 我慢していたら 必ず体のどこかに不調な部分が出てくるでしょう。

そのため 人には防衛本能があり、脳内で「自分を助けるための考え方」を自然とするようになります。
人が健康を害することなく長く生きるためには必要な能力なのです。

でも、これが集団活動、職場、学校などで 利己主義に働く自己防衛を 全員が行ったらどうなるでしょう・・・

まとまることもなく、決めることもできず、集団、公共、団体という言葉自体がなくなるでしょう。

それでは社会生活は営めません。 

ですから、公共を成立させるためには 本来人間が持っている自己防衛より さらに重要である「理性」が必要になるのです。

すっぱいぶどうは 人の心理を認識してもらう物語ですが、ここから波及して 我々社会生活を営む「人」は どのように公共を守ることができるのでしょうか。

「理性」には 正しい物事を理解している知識や経験、そして他者を思う気持ちが必要になります。



「正」と「愛」 


唐突かもしれませんが、この2つが 人の価値基準の根本にあるのではないかな、とつくづく思うのです。

お互いを尊重する愛情を持って接することと 正しくものを見る力をお互いが持つこと。

人が仲良くなれる基準も この2つのベクトルが合う人が 自然と安心感を持って集まれるのではないか、と。
 


人に備わっている生きていくに必要な「自己防衛」を正しく使い、利己主義的にならず 集団活動ができる公共性をもって 生きやすい社会を作るように 人は努力していくことが求められていると思うのです。

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