第7話「アンビバレント・オートノミー」『星霜輪廻〜ラストモーメント』第二章:月面編

一.
「まつりぃぃ?」
 ふかふかのベッドから起き上がり、天井から吊り下がるカーテンの間から気怠そうな表情で顔を覗かせるのは、人類の頂点に座する桑茲司:弥神皐月みかみ さつき
「祭りではありません。戦争です」
 寝ぼけた桑茲司の失言を訂正するのは、侍衛秘書エーテル。背丈は優に二メートルを超えており、老齢でありながら日々の鍛錬を怠らず、白地のワイシャツ越しにも上腕の浮き出た血管がありありと存在感を放っている。彼の鍛え上げられた肉体こそ五月体制の安寧を保つ安全保障である。
「戦争……、地上の話でしょ?」
「台下」
 皐月の言動を戒めるように、また睡眠の誘惑から引きはがすように、エーテルはベッドを囲うカーテンを一思いに開き放ち、ベッドの乱れたシーツの端にしがみつく皐月を持ち上げる。
「やめろ背が伸びちゃうだろ」
「台下の挙動一つ一つに人命が掛かっていることをお忘れなく。一秒の間が一人の命を失わせるのです」
「おおげさな」
「台下!」
「うっ……」
 ぼさぼさ頭の皐月を洗面台の前に立たせると、エーテルは慣れた手つきで髪の毛をセットしていく。
「シャワー浴びたい」
「傲慢ですよ」
「はあ……?」
 ヘアミストを吹きかけ、象嵌細工の装飾が施された櫛で乱れた髪をとかしていくエーテル。
 皐月の身の回りの世話は、常にエーテル一人が行う。かつては専属の侍衛秘書以外にも近侍する廷内職員ともいうべき連合職員が複数人配置されていたが、続一一月体制の桑茲司:弥神夕月みかみ ゆうづきの廷内職員がカルトのシンパだったために、夕月への極度の干渉&出奔失踪という事態を招いた反省から、以来桑茲司の身辺は侍衛秘書ただ一人が務めることとなっていた。
「この匂い嫌い」
「はいはい、次の葉月祭のときに新しいの買ってもらいましょうね」
「ていうかあたしもう一四なんだけど」
「まだ一四ですよ。台下が相手をするのは優に一〇〇を超える方々なんですから、己の年齢を過信なさらず」
「いや、プライバシーの話なんだけど。それにその一〇〇年だって連続じゃないじゃん」
「はい、ばんざい」
 髪のセットを終えたエーテルが、今度は皐月の衣装替えに移る。しわしわのネグリジェをさっと脱がせると、クローゼットから執務用の衣装を取り出し、手際よく皐月に着させていく。
「ファクタ機関長がいらしてるのでまずはブリーフィングを。既にホアン理事長が黄昏官と特務課派兵を講じているそうなのであとは台下の承認を受ければいつでも動けるとのこと」
「ああ――転移の時期?」
 転移……、即ち定住しないイドが他の地域へ移動を始めた合図。しかし、ホアンもシルヴィアも、転移という言葉をあまり使わない。
「始祖公の聖慕フィードバックでは既存の州への侵入はありえないとのことでしたが」
「それだよ、それ。もしかしたらイド彼女らは何かとっておきの武器でも拾ったのかな」
 ローブをエーテルから受け取った皐月。鏡に映った自身の顔をまじまじと見つめながら、自嘲気味の笑みをこぼす。
「運命のいたずらか」
「台下、さあ」
 エーテルの催促に応じて、皐月は寝室の扉の前に佇む。
「寝ぐせは?」
「直しました」
「クマは」
「隠しました」
「お洋服、しわになってない?」
「昨晩きちんとアイロン掛けしました」
「……かわいい?」
「ええ、台下」
「よし」
 皐月の頷きに応じて、エーテルは寝室の扉を開ける。そこは普段皐月が執務を執る執務室だが、既に先客がいる。
「夜分にご無礼します」
「いいよ、待たせたね」
 キルクスから急ぎでボイレを訪れたファクタ。これよりも前、キルクスを出る前にホアンへ一報を入れてのち、少人数の部下を従えて登庁した。
「まずは報告を。先刻地上から知らせが入り、騒動が州境を越えました」
 ファクタの座る長ソファの対面に、皐月は意気揚々と座り込む。間に挟まれた長机にはファクタ持参の紙資料が整頓されて置かれている。
「へえ、どっちへ?」
「南です」
 ファクタの年季の入った指が指し示すのは、伊仏州境付近の航空写真。皐月の視線が写真に移ったのを確認して、ついでファクタはさらに解像度と撮影範囲を絞った写真を一枚取り出してそれに被せる。
「……地中海か」
 東欧付近からの移動、至るは伊仏州境、そして南方への転移。皐月の呟く言葉に、ファクタは重く頷く。
「戦況はいかがですか?」
 エーテルの問いに、ファクタは首を横に振りつつ、別の資料を取り出す。
「これがイターリア駐在班との交信記録、そして……」
 ファクタがポケットから取り出したのは音声を記録した機械。皐月とエーテルの視線がその機会に集中しているのをみて、ファクタは再生のボタンを押す。

――応援はどうなった!
(タタタタッ……※銃声様音声)
――月面の応援は絶望的だ、向こうからここへは早くても三日は掛かる。おまけにリシャットはラヴァルの根城……恐らく持ちこたえることは出来ない
(ガガガ……ギィギィ※金属同士の摩擦音)
――連帯フランクはどうしてる、はやくミューニックに接触しろ!
(ドシン……※何かが地面を踏みしだく音)
――無茶だ、もう北へ行くことは不可能だ
(ドシ……ドシ……※何かが近づく音)
――イドの何処にこんな戦力が!?
――結局大陸はこいつらを閉じ込める檻でしかなかったのか!
(ッ…………※不自然なほどの無音が〝鳴る〟)
――だ、誰かここから出してくっ……
――ザザザザ……

 音声記録の途絶と同時に、ファクタは重苦しく息を吐いた。
「たまたま交信後も通信が繋がったままだったため遺った記録です」
「てことは敵はイドかな」
「ええ、ですが」
「黄昏官のやり取りに挟まる様に記録されている妙な環境音ですかね」
 ファクタの言い澱みに反応してエーテルが指摘する。
「確かに、あたしも気になってるんだ。ただの銃声や装甲車とかの音でもないし、重装甲の戦車とかかな?」
「しかしイドは戦車などもってはいないはずです」
 そういってファクタはイドの軍事力をまとめた資料を提示する。「そもそも不定住の様態であるからこそ、戦車などは持って然るべきでしょうが」
「蛮族といえば元は国家の暴力装置たる正規軍が殆ど。実際に南米やアフリカでは戦車や戦艦すらも保有している組織もあるらしいですが」
「でもイドは戦車を保有していない……なんで?」
 率直な皐月の質問に、エーテルは答えに臆するが。
「イドは今我々が相対する蛮族の中で最も古い敵でありながら、最もその正体が掴めない謎深き蛮族でもあります。彼らは高い軍事力と非常に緻密かつ洗練された組織力によって高い機動力を発揮していながら、近代兵器を保有しないのです」
 ファクタの言葉に、皐月は意図せず生唾を飲みこむ。
「しかし今回の動きは奇妙であり、加えてこの交信記録に残された奇妙な環境音も加味すると」
「いよいよイドも近代兵器に手を出した、と」
「なんで今? というか近代兵器を持っていなかった理由って結局何?」
「分かりません」
 矢継ぎ早に放たれる皐月の問いを、ファクタは正面から受け止める。
「しかし、いやひょっとするとイドは近代兵器よりも高度な兵器を手に入れたのかもしれません」
「高度……近代兵器が前近代兵器になっちゃうってこと?」
 そんなものあるわけない、そんな様子でエーテルを見上げる皐月だったが、対するエーテルの表情を見てハッと気づく。
「まさか……でも何の益があって?」
「動けること自体が、利得かもしれないですよ――」
 三人はスッと壁面の世界地図へ顔を向ける。その視線の先は――アメリゴ州。

二.
「僕、気づいちゃった」
 アメリゴ州シカワ区。探偵社を営む探偵エミーは朝日に照らされたミシガマー湖を望みつつ、傍らの女性――クレオパトラに話しかける。
「どうせろくでもないことだろ」
 ぶっきらぼうに応えるクレオパトラの反応をよそに、エミーは話を続ける。
「ここ最近東海岸が騒がしかったんだけどさ、もしかして大陸に輸出してない?」
「何を……ってまさか機械兵アレをか?」
 アメリゴ州は他の地域と比べて特異なエリアである。世界連合によって地上に遍く扶植されてきた延命主義だったが、その思潮は二つに別たれ、一方はヴァニタス学派、もう一方をデラモルテ学派と呼ばれている。現在主流派は肉体を転生することで延命主義を貫徹するというヴァニタス学派だが、ここアメリゴ州は魂自体を尊ぶデラモルテ学派が主軸である。
 デラモルテ学派は機械化された器を用いて転生を否定する臨床派であり、人間の精神体である魂を洗練させることで将来的に社会が物質を必要としない純粋な精神世界を顕現させることを目的としている。その過程として、デラモルテ学派擁するアメリゴ州は機械工学に長けており、州内には機械による機械の為の自治行政体が存在する。
「身廊事件以来文系派と仲良しこよしで歩んできたヴァニタス学派だ。ヘルマンらがこうなった今、学派が好機と捉えてもおかしくはないでしょ?」
「だからといっていきなり蛮族に機械兵を派遣するか?」
 蛮族とは、紛れもない反体制派武装勢力である。いくら現主流のヴァニタス学派を追い落とすためとはいえ、そのような明確な敵対行為を働けば、もはや学派などという高尚な名札を掛けることは許されず、他の反逆者ともども朽ち果てるまで地上の泥濘を啜る羽目になるのは必定。
「僕もそこは引っかかった。けど今回のイドの動き、ちょっと気になるよね」
「どこがだ」
「恐らく皐月台下は気づいてるだろうけど、きっと今回の騒擾は定期的なものだ。――転移とでも呼ぼうか、奴らは何者かに追われているまでもなく、ただ義務的に住処をよそへ移す」
「馬鹿な。東欧なんかそもそも無法地帯もいいとこ、なんでわざわざコミュニティを危険な目に合わせてまでそんなことを」
 エミーの仮定を、クレオパトラは一笑に付す。しかし一方である一点が気になって思わず片目を閉じる。
「北方のヴァイキングは食糧を求めて南下し港を襲った。かつてゲルマン民族は肥沃な大地を求めて帝国の版図に侵出した。野生動物も、大移動の動機には食糧難が挙げられる」
「理由が無ければ移動はしない……だがそれと機械兵に何の繋がりが」
「それはね……」
 面と向き合いクレオパトラの眼前に人差し指を立てるエミー。
「分かんない」
「分かんねえのかよ」
 したり顔のエミーを小突いて、クレオパトラはしなびた紙巻きたばこを取り出す。
「結局何も分からずじまいじゃねえか」
「でも分からないなりに憶測は浮かぶよ。火のない所に煙は立たないからね」
 そういうと、今度はエミーは東を指さす。
「欲望ってものは時に不合理な判断をもたらすことになる。それが生き死にと直結するならなおさらのこと」
「もったいぶらずに早く話せ」
「かつて秋津阿見という女性研究者がいたんだ。始祖公の助手としてね」
「ほぉー、それで」
「彼女が前に話していたんだ……『聖慕計画』を」
 聞きなれない言葉に、クレオパトラはしかしニヤリとして視線を空へと向ける。
「ちなみに桑茲司が桑茲司たる所以、それは」
「その〝聖慕〟って奴だろ、話の流れ的に」
「いいね、話が早い」
 エミーの花丸をもらって、クレオパトラは得意げに鼻を鳴らす。
「でもその聖慕って奴が何なのかを聞くことは出来なかった。僕が最後に彼女に会ったのはもう二〇年も前になるのかな、小さな赤ん坊を抱えていたよ」
「そりゃ幸せじゃないか」
「その時まではね。彼女は赤ん坊を残して逝っちゃったんだ」
「病か?」
「いいや、飛び降り。僕の目の前で」
 予想だにしない結末に、クレオパトラは咥えかけていたタバコを地面に落っことす。
「後味悪ぃな……その赤ん坊は?」
「別の誰かに引き取られていったよ。たぶん南東の風シロッコも関わってるんじゃないかな、僕でも行方を追うことは適わなかった」
「ははん、だからお前はこうして地上でせっせと探し物をしてるんだな」
「そう、僕はその子に聖慕が継承されていると確信している。何せ秋津阿見は始祖公の子供を欲しがっていたんだから」
「子供ったって、別に聖慕は遺伝子情報でも何でもないんだろ?」
「そりゃそうさ、今の時代肉体に刻まれている情報なんざ幾らでも改竄できるからね。その真実含めて、その子に聞けば分かるじゃないか」
「台下に直接聞けばいい」
「もうやったさ。やって、殺されて……今がある」
「おお恐ろしい」
 そう言いつつもちっとも怖がる素振りを見せないクレオパトラ。
「今、トワイライトがせっせと地上で少女を間引いているんだけど、知ってる?」
「なんだそれ、変態かよ」
「この前も大東亜州の少女が始末されて遺体が月面へ持ち去られた。ちなみに秋津阿見はいっぱい子供を用意していたようだよ」
「……は?」
「弥神如月台下の成功例もある。もしかするとイドは次の桑茲司候補を擁しているのかもしれない」
 エミーの放つ言葉に、クレオパトラはまさか、と続ける。
「デラモルテ学派は本気で体制転覆を狙っているとでもいうのか」
「さあ……僕の言った情報も、僕が転生する時に勝手に植え付けられた存在しないストーリーかもしれないよ?」
「茶化すなよクソガキ」
「まあでも場所が場所なんだ、東部機関が許すはずもないだろうし」
「それはまあそうかもな……それに」
「君のヘリオスも、でしょ」
「けっ、余計なお世話だ」
 落としたタバコを拾い上げて、クレオパトラは先端に火を点ける。たゆたう煙をくゆらせながら、クレオパトラは湖面を眺めるエミーを視界の隅に捉えるのだった。

三.
 内務市民委員会本庁舎ラウンド。そのうち行政官が集う会議場に二人の人影がある。
「――気の良いことですね」
「そういうな」
 一人は特務課の課長誉志天音。相対するのは行政官ニコライ・エジョフ。出動に備え、今ラウンドには特務課の隊員が集結しつつある。騒々しいほどの雑踏ぶりにごった返す議場前の廊下、既にエントランスには準備を終えた隊員たちが今か今かと誉志の号令を待っている。
「斥候として黄昏官が一足早く現地入りする。その後本隊として君たちが向かう手はずだ」
 兵装を揃え各々が最高のコンディションを整える中、一方でエントランスを見下ろす場所にある中二階のフロアでは内務市民委員会と世界民政向上機関の渉外担当官たちによる折衝が慌ただしく行われていた。
「既に現地の黄昏官が対応にあたっていると聞きました、どうやらイドにアメリゴ州由来の機械兵が加勢していることも」
「そのことだがアメリゴ州の州政府に確認を取った所州政府の意志ではないと回答があった」
「それはそうでしょう。仮に州政府が関与していたとして面と向かって介入を認めればそれこそ戦争になりかねません。それこそかつてのフランスのように……」
 かつて特務課の辿った軌跡。誉志自身は直接的な経験ではないにせよ、組織の歴史は現任の責任者の肩に重く圧し掛かる。
「アメリゴ州の意図がどこにあるのか、計り知れない所は確かにある。だが、目下の対象はイドだ……社会を大きく乱す者、秩序を壊そうとする者は悉く排除する。それが特務課だ」
唯一の暴力装置・・・・・・・、って訳ですね」
 特務課は警察権で対処しきれない社会悪を処罰するための暴力装置。それこそ、この世界が連合によって統治される唯一の行政体クニになったのだから、その領域内で沸き起こる騒擾は全て〝内政事案〟である。当然その理屈は誉志自身も理解している。
 しかし誉志には心の奥底で納得のいかない部分があった。誉志自身が日本発祥という性質もあるのだろうが、たった一つの疑念が、誉志自身の活動に縛りをかけていた。

――果たして世界は一つなのだろうか。

 もちろん理想も現実も、共に今は世界連合という巨大な行政体が人類社会を統治している。世界から壁は消え去り、人類は延命主義の下、共に同じ理念を背負う同志となった。
 しかし連合を動かす人間はみな月面にいて地上を顧みることはほとんどない。月と地球との間には――海が日本列島の四方を囲うように――漆黒の海が広がっている。まるで両者を隔絶するかのような黒々とした壁が歴然と存在するように、テルセスとセレネスの間にも心理的な壁が生じている。延命主義扶植のためと称してたまに地上へと繰り出す役人も、復路では理念の代わりに金品が役人の懐を温かくさせている。
 セレネスが地上を注視する時、それは今のように蛮族が暴れたとき。それもまるで映画のワンシーンを観るかのような娯楽性に満ちた感性で。
 苦しみの声をあげれば好奇の目を向け、怒りの声を上げればたちまち正論でねじ伏せられる。持たざる者にはただひたすらの苦節を、恵まれた者には絶え間なき好機を……天は明らかに飴と鞭を使い分けて、そうして世界を動かしてきたのだろう。
「もちろん、与えられた役割はこなします」
 使い慣れたグローブを取り出して、誉志はニコライを見据えながら両手にはめていく。人差し指の指先にはいつの間にやら穴が開いていて、布地の隙間から見える指紋に視線を落として小さくため息をつく。
「特務課が置かれている状況は依然変わりなく、厳しいものだ。ここで実績を残して存在意義を示す……それも確かに大事なことだが」
「ええ、しかし閣下にとってはそこは重要ではないですよね」
「はは……、否定はしないが君を前にして我欲をさらけ出すほど意地汚くはないつもりだ」
 乾いた笑い声を絞り出して、ニコライは近くにあった椅子に座り込む。
「……警督官構想、私は大いに賛成だ。あの検事総長もやり手と聞く、君もよく知っているだろう」
「まあ……そこは否定しませんが」
「だが変わらずシャドウは私の政敵だ。文系派への義理立てではなく、そもそも私とあの理事長ホアンは相容れないのだ……だからこそ、検事総長の案を受け入れるのと引き換えに州の警察権を内務市民委員会が吸収する案を呑ませた」
「理解しています。目下進めなければならないのは文系体制下で使い物にならなくなった在地の警察組織の立て直しですから」
「警察と検察は統合する、ただし所管は内務市民委員会となる。分化されてきた警察権は糾合し、宙ぶらりんだった軍事力は明確な法体系の下存立を確認し、連合の統治体系を保全する安全保障を担うのだ」
「ついにPM論争に終止符が打たれる……」
 特務課は警督官設置と同時に解体され、連合の軍事力は黄昏官が一手に背負うことになる……それがニコライとホアンが出した折衝案だった。
「皮肉なものだ……例え世界を一つの国だと捉えても、仮想敵は変わらず存在する。銃口を向ける先が人である限り、いや銃を持つのが人である限り、秩序の名の下振り下ろされる制裁は世界からなくなることはない」
 結局のところ、PM論争がもたらした結論は警察権と軍事力は両立するという身も蓋もないものだった。かつて自身を世界の警察と称し地上世界を荒らしまわった前任者の特務課は、結果として歪な戦後秩序を欧州に扶植し、その怨嗟の情念が時を経て増幅し、現在の騒擾に至っている。今度は特務課解体の前段階として、誉志には騒擾鎮撫の重い責任が掛かっている。
「地上を置いてけぼりにしない改革、それが閣下の施策なのですから」
 議場の連星儀に目を向けながら、誉志は軽く笑みをこぼす。それをみたニコライも、凝り固まった表情を弛緩しふっと軽く息を吐いた。
「降着地点はリシャットだ、ラヴァルによろしく頼む」
「分かりました、顔を合わせることがあれば伝えておきますよ」
 リュックを背負いニコライに背を向ける誉志。議場を後にした誉志が向かうのは、歴戦の隊員たちが待つエントランス。
「隊長!」
 途中、廊下で待機していた隊員たちが起立し整列する。
「時間だよ、各班整列して報告よろしく」
「はっ」
 各班の班長たちが続々と号令をかけ、エントランスに規律整った列が一つ、また一つと形成されていく。
「アルファ班総員点検完了」
「ベータ班総員点検完了」
 各班からの報告を受け、誉志はエントランスの受付卓に駆け上がり隊員たちを見渡す。
「これから我々は欧州地域で狼藉を働く蛮族イドを滅するために地球へと向かう。既に地上では現地の州警察や現地黄昏官が交戦している……が戦況は芳しくなく、既に反乱の戦火は州境を越えてなおも延焼中だ」
 誉志の言葉に、隊員たちは生唾を飲みこむ。
「みんなも聞いていると思うが、どうやらイドには機械兵がいるらしい。アメリゴ州の関与は不明だが、実際に現地では機械兵の目撃情報が複数上がっている。今回の派遣は一筋縄ではいかないし、かつての日本でのウラジ残党とは次元の違う戦いになる」
 誉志の言葉の持つ意味をその場の隊員の誰もが理解していた。任務を終えて月面に戻ってくるとき、今自身の隣にいる戦友が変わらずそこにいるとは限らないということを。
「しかし私たちはここで銃を置いてはいけない。例えこの力の指向性を操られていたとしても、未来の安寧と来るべき完全秩序の形成のためにはここで退いてはならないんだ」
 誉志の言葉は、一見すると隊員たちの戦意鼓舞のようであって、その実自身への戒めでもあった。僅かでも抱いてしまった、己の責務への猜疑。加えて、生身の兵士と機械兵の交戦は記録上ではこの戦闘が初となる。未知の戦地へ、死地への行軍を指揮する立場としては相応しくない心持の誉志を、而して隊員たちは煌めかしい眼差しで以て応える。

――我らが掌中に勝利を!

 誰かが声高に叫ぶ。高尚な言葉に飾り立てられた使命など、まるで欲していないかのように。

――我らが特務課、ここに在り!
――特務課の底力を見せつけるぞ!
――高慢な蛮族に黄昏をもたらせ!

 誉志の期待に沿うように、隊員たちは口々に戦意を誇示する。己自身を鼓舞する者もいれば、隣の隊員が震えているのをみてそっと肩に手を回す者。たどり着く先は生命の終焉やも知れぬ暗がりの道筋に、ただ一人旗を振り灯りを示す旗手……あるいは安寧へと導く水先案内人。壇上に立ち弁舌を振るう誉志に、隊員たちの眼差しは集約されていく。
「――自律せよ」
 誉志の放った単語。特務課が糸粒体戦争の引き金を引いた反省の末に隊員たちの間で広まった言葉である。誰が使い始めたのか、なぜ広まったのかは定かでないが、いつの間にか特務課のスローガンとなっていた。

――自律せよ!
――自律せよ!
――自律せよ!

 時を経ずに、ラウンドからは続々と特務課の隊員たちが宇宙港「嵐の大洋」に向けて出動していく。しばらくして一帯が再び静寂に包まれると、その様子を街角の隅で注視していた一人の影が街灯の下に躍り出る。
「相変わらず特務課の結束ぶりは健在か……てなると問題は東方パルサだな」
 深くかぶったローブを取り、まばゆい光を放つ街灯に目を向けるその顔は、イスカンダル――先日西見由理と邂逅した謎の女。
「事態の進展は当初の予想より大幅に早まっている……全くもって困ったことだなぁ、ヘリオスくん・・
 踵を返し、街の喧騒へと消えていくイスカンダル。その恨み節にも似た呟きが、いずれ世界全体の秩序がもたらす安息に軋みを生み出すことになるとは、イスカンダル自身も知らぬことである。

四.
 連帯フランク州西部地域旧フランス。ドーバー海峡に面する港町カレチにある広場のブロンズ像に腰かけて、一人の男が空を仰ぎ見る。
「そろそろ降着の予感だね、随分と待っていたのに」
 男の腕にはセレマの腕章がみえ、また服装も特務課のそれである。即ち、男の名はヘリオス――アレクサンドロス・ヘリオス。
「イドの波は東欧から地中海へ。さらに沿岸地域を沿いながらここフランスへ滲出している。でもここを忘れちゃっては困るよね」
 不気味な笑みをこぼしながら、ヘリオスは傍らに置いてあるバスケットの中身を優しく撫でる。下部からは赤い汁が染み出し、ヘリオスの足元で水たまりになっている。
「あーあ、汁が漏れちゃってるよ。区長の汁が」
 中身を覆っていた布を取ると、そこにはカレチ地区の区長の首が収められている。有無を言わさず、気取られずに淡々と行われた斬首のおかげで、表情は穏やかなままだった。
「本当は自治管掌使のものも欲しかったけど、さすがにそこは悪徳官僚の勘が冴えていたのか……」
 口を尖らせて再び首に布をかぶせるヘリオス。背後から聞こえてくる足音に気付き、足を組みなおして片肘を腿にのせて頬杖をつく。
『想定通り特務課はリシャットへ向かうそうです』
「そ、まあだよね。しばらく暴れ甲斐はありそうだけど……」
 ヘリオスが振り返ると、そこには人間……ではなく人の形を模した機械。しかも風貌は爬虫類風という怪奇じみたもの。
「つくづく思うけどどうせ作るなら人に似せればいいものを、なんでわざわざレプティリアンに寄せたのかね」
経営者オーナーは人間の風貌は未来社会に適さないと判断しました。新時代の到来は新生物の登場にあるといっています』
「それで……それ?」
『今のは問いですか、それとも嘲笑ですか』
「どっちに受け取ってもらってもいいよ。そろそろここを撤収しないとね」
『海峡を渡りますか』
「いや、うまみがない。イドに応援に出かけている子たちを除いて、君たちはアメリゴ州コロンビアへ帰るといい」
『了解』
 すごすごと立ち去る機械兵レプティリアンの背中を見つめながら、ヘリオスは嘆息する。
「そろそろイドには負けてもらわないと。あまり調子に乗られると計画が狂う」
 バスケットを手に立ち上がるヘリオス。そこへ別の機械兵の個体がやってきて、車の準備ができたことを告げる。
「オーケー、すぐ行くよ」
 広場の向こうの通りに見える車へ向けて歩く道すがら、護衛の機械トカゲがヘリオスの背中を伝って肩に収まる。
「言っておくが俺が頼んだのは護衛であって監視じゃない」
 肩に勝手に居座るトカゲに不満を告げるヘリオス。
『僕の任務は紛れもなく護衛。その証拠に』
 そんなヘリオスの気分を悟ったかのように、トカゲは赤く目を光らせるとトカゲらしく頭を回転させながら舌を出し入れする。
「何のつもりだ――」
 途端、ヘリオスの後方で何かが弾ける音がして、時を経ずに水分の含んだフレッシュな落下音が断続的に鳴り響いた。
『先刻から君を監視していた人間を六体処分した』
「ほほー、面白いね」
 感心しながら車に乗り込むヘリオス。
「ミューニックへ。次の準備を急ごう」
 地球上での異変の発端。その真意を誰も掴めぬまま、欧州は再び戦火に包まれようとしていた。

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