見出し画像

当たり前の基準(後半)

こんばんは。Mr.Gです。

昨日に引き続き、「基準」についての後半です。



ちなみにご多分に漏れず、Mr.Gが靴を磨くのが当たり前になったのには、

苦い過去があるから。



忘れもしない、大学時代…

ある先輩に、

「Mr.Gさ、もう少し靴にこだわった方が良いんじゃない?」

と言われたこと。


考えてみれば、たしかにその先輩はいつもオシャレで、

服装はもちろん、靴も素敵だった。


ちなみに、その先輩は悪気があって言ったわけでなく、

飲みの席のたわいのない雑談の中で、ふと口にした言葉であり、

「Mr.Gは、そういう人だよね」という認識をしていただけ。

(アウト オブ 眼中ってことですね)



これは、当時のMr.Gにとっては、耐えらないくらいに恥ずかしかった🤢

別に、その先輩に恋愛感情があったわけではないけれど、

一応は人並みに身だしなみにも気をつかっていたつもりだったから。



しかし、それを知ってからMr.Gは変わった。

元々、たしかにそこまでオシャレに興味があったわけではない。


でも、もはやそんなことは言ってられない。

悔しい!

恥ずかしい!

絶対にもう、そんな風には思われたくない!

その一心だった。


そこで、

まずは普段行かないようなセレクトショップ、敷居の高そうなショップに飛び込み、

店員さんに積極的に質問しまくった。

これが、結構恥ずかしかったのを覚えている。


特に、敷居の高い路面店のブランドショップでは、店内に入った瞬間にショップ店員さんからビンビン感じる、客を値踏む視線。

それは、明らかに価格的にもターゲット的にも、大学生では手が届かないショップにも入っていたから。

(でも、その時は何もわからないんだもの)

(そして、散々ショップ店員さんに初歩的な質問をする)

(でも、商品は手が届かない値段なので、当然購入せず)

(変な客が来たなと、きっとショップ店員さんは苦笑いだったのだろうね)


さらに、暇さえあれば、ファッション誌やネットを見まくった。

(靴って、そんなに重要なのか?)

(オシャレに越したことないのは理解しているが、そこまで変わるものか?)

と半信半疑のままに。


幸い、とある小さなセレクトショップの店長さんがファッションについてすごく丁寧に色々教えてくれ、

それ以来、いつの間にか服も靴もファッション全般が大好きになっていた。


同時に、周りの目がいつの間にか、

「Mr.Gはオシャレな人」

と変わっていた。

(自分ではオシャレにしているつもりは全くなし)

(本当に、ただ自分が好きになったファッションを追求していただけなのに)

(でも、そういう風に思われる程、変化できたこと、思っていただけたことは、素直に嬉しかった)


とりわけ、元々スーツやきれい目でシンプルな服装が好みだったこともあり、

合わせる靴も、自然とスニーカーよりレザーシューズを履くようになった。


それ以来、仕事で履く革靴はもちろん、プライベートで履く革靴も、スエードの靴も、手入れは欠かさない。


でも、

それは決して努力して頑張ってというよりも、愛着があるから。

手入れして、きれいな状態で履くのが気持ちいいから。


そんなことの積み重ねが、いつの間にか「当たり前の基準」を引き上げてくれていた。


うーん、こうやって改めて考えると、

基準が高まる前には、真剣に本気で取り組んでいる期間があるもんだね。

(当たり前になっていたから、そんなこと振り返ることもなかったなぁ)


とまぁ、今日は個人的な思い出話というか、

個人的な回顧録みたいになってしまいました😉


でも、どんな事にでも言えることだけど、


やる前からおもしろいかどうか、

興味持てるかどうかなんて、

実際にはわかるようで、わからないもの。


キッカケなんて、ポジティブだろうが、ネガティブだろうが、あるいは、ヨコシマなものだったとしても全然構わない。


だからこそ、何でもやってみりゃ良いさ。

ゴチャゴチャ言って、ムニャムニャこねくり回している間に、やってみな!

やってみてから判断したって、遅くはないさ。


ただし、本気で取り組むからこそ、自分にとって面白いか否かがわかる。

真剣にやらないで、ただ何となくフワフワやるだけでは、何も得られることはない。


当たり前の基準を高めるに重要なのは、

ただそれだけ。他には無い。



これを読んでくれたアナタに、小さくとも学びがありますように。
さぁ、前進あるのみ!


Mr.G




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?