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助けられながら子育てをする

私は一般的に言うと重いイメージの精神疾患を抱えています。
今のところ、一生、通院・服薬が必要です。

かつて、とても助けてもらった主治医に、
「私は妊娠・出産はできるのでしょうか?」
と聞いたことがあります。
主治医は
「大丈夫です!はなさんなら、ちゃんと社会資源を利用して、子育てしていけると思いますよ!」
と言ってくれました。

社会資源という耳慣れない言葉を聞いて、でも、その言葉に後押しされ、私の婚活は長引くものの無事成功し、妊娠・出産・育児をすることになりました。

結婚してくれた夫は転勤族で、結婚の報告をした途端、飛行機で行くような距離に転勤になり、私は職場では前代未聞の4年の育休をとって、地縁のない夫の赴任地で夫婦で育児をすることになりました。

育児をするにあたって、尊敬する主治医の「社会資源」という言葉を思い出しました。

私は元から、自分の力をあまり信用していませんでした。
また、精神疾患を持っていることで、何かあれば「やっぱりね〜」と言われて、子どもを取り上げられることを怖れていました。そのくらい、出産した病院でも、保健センターからも、当時のネットからも、持病を持っているだけで「危ない要注意人物」のような扱いを受けることが時々ありました。

持病にはひどいイメージがあり、医療機関の対応を見ていても、最悪、一人では正当性さえ証明することもできないかもしれない立場だと感じました。子育ては、1人ではやらないほうが良さそう…情報も責任も共有しておこう…と考えました。

まずは夫に子育ての頼れるパートナーになってもらうことにしました。

上の子の出産入院中に、ミルクやうんちの時間をノートに書いていたのを写して、退院後育児ノートを作りました。
夫にはミルクの作り方、あげ方、ゲップのさせ方、おむつの替え方など、片っ端から教えて、お風呂は二人で入れました。そして、ノートに書き合うことで、育児に関しても共有しました。

今なら育児アプリとかありますが、当時は紙のノートで共有していました。服薬のためミルク育児にしていたので、替わってもらうのは比較的楽でした。

自分の通院や買い物のときも、夫はニコニコして送り出してくれました。夫は子どもが大好きでした。

上の子だけのときは、育てやすい子だったので、余裕があり、毎日3時間のお昼寝の時間に、1時間で家事を全て終わらせて、1時間で好きな本を読んで、1時間で精神疾患のある妊娠・出産・育児についてのブログを書いていました。

上の子だけのときは、保健センターでやっている母親教室や離乳食教室などは全て制覇しました。

平日に用事があるときのために、ファミリー・サポート、近所の保育園の一時預かり、NPO法人がやっている子育てサロン、公的な子育てセンターなどに登録もしておきました。

1年くらいして、二人目を考え始めました。

夫は転勤族で、結婚を上司に報告した途端、遠くに転勤させる会社です。このまま元の職場に復帰して仕事を再開したら、二人目は難しそうでした。かといって、負担を減らすために間隔を開けすぎると、仕事のブランクが長くなりすぎて職場に戻れそうにない気がしました。

かくして、上の子の出産から1年で、二人目を妊娠しました。

私は妊娠・出産が人よりも重いタイプだと思います。吐くようなつわりが出産まで続いたし、持病もあって体力が人よりもなく、動くのもしんどいほど身体が重くなります。

それでも、下の子の出産までは何とかやっていけました。大変だったのは下の子を産んでからでした。

上の子は、育てやすい子でした。夜もよく寝てくれたし、毎日3時間お昼寝をしてくれました。

育児の大変さはお母さんの状態にもよるけど、赤ちゃんの個性にもものすごく影響を受けるのだと産んでから痛感しました。

下の子は一日中泣いていました。そして、抱っこして寝たと思ってベッドに寝かせると、また泣きました…

夜もまとまって寝てくれない子でした。それが1年くらい続きました。

上の子の赤ちゃん返りもあり、朝起きると必死に何か育児に関することをやって、午後になってから自分は朝から何も口にいてれないことに気づきました。

身体もダメージを受けました。私はつわりで出産までたまに吐くような生活で、1人産むたびに体力のレベルが何段階か落ちました。下の子を産んてからは睡眠不足も常にあって、ひどい咳が3ヶ月治らなかったりしました。その3ヶ月、病院にいく暇もなかったです。

今思えば、私にはそれを解決するとっておきの方法がありました。
主治医に診断書を書いてもらって、堂々と病気を理由に子どもを認可保育園に預けてしまうことです。

しかし、当時はそんな方法があるとは知りせんでした。

もしも、産後うつなどになって、育児が大変になったら、精神科医に診断書を書いてもらい、堂々と保育園に預ける道もあります。確かに勇気は要りますが、助けてもらえる人が近くにいないのなら、考えてもいい方法だと思います。私は後で、同じ精神疾患の方のコミュニティに参加して、それができることを知りました。

あるとき、携帯電話を床から5cmも持ち上げられないくらい疲れ切ってしまい、何とかカタコトのメールをし、夫は半日休んでくれて、母は新幹線に乗って来てくれました。

それからさすがにこりて、社会福祉協議会のヘルパー制度を見つけて、2週間くらい1日2時間くらい来ていただいて助けてもらい、その後、上の子は4年保育の幼稚園に入れて、下の子は翌年に認可保育園になる無認可保育園を見つけて入れました。それらは診断書がなくても働いてなくても入れられました。それで捻出できた時間は4時間。ただただくたびれて、帰るとしばらく横になって、何かを食べて終わりました。

ちなみに、保育園代は私の貯金からだしました。そして、保育園に入れてから、夫はもういいと思ったのか月1で海外出張をしだしました。同じ屋根の下に住んでいても大変さは分からないのだなあ~と悲しくなりました。

それからしばらくして、決心して、夫を単身赴任にして、自分は実家に子連れで押しかけて、仕事に復帰しました。できる限りのお金を母に払い、家電とかも新調して、保育園と母に助けてもらって何とか育児しました。

それでも子どもが小さいときは、朝5時に起きて準備して、帰ってからも目まぐるしくて、今思うと、病気を抱えて何でできていたのか不思議でした。

子どもたちはよく保育園で感染症をもらってきて、ときには入院したり、病院に何度も行ったり、しばらくは本当に大変でした。

参考になることは書けなかったかもしれませんが、私が育児をして感じたのは、育てやすさには「運」の要素も大きく、育児に大変さを感じる人は、自分のせいではないと思ったほうがいいということです。そして、大変なら誰かに助けてもらったほうがいいと思います。育児は1人で抱え込まないほうがいいと痛感しました。育児は誰かと共有すれば、幸せは2倍に、大変さは半分になります。

正直、私は欲張りすぎて頑張りすぎてしまったと今でも思います。

結局、私が育て上げたというよりは、皆に育ててもらいました。

私が育児を人に頼めたのは、自分も4人くらいに育ててもらって、皆ストレスの少ない楽しそうな育児をしていたのを憶えていたからです。

私の育児は正解だとは思っていません。

ただ、その経験があってからは、世の中の「母親はこうあるべき」のような考え方は、できる人はできるかもしれないけど、どうやってもできない人も多いだろうなと、それで悲しい思いをしているのは、辛いだろうなと、できなかった立場として感じるようになりました。



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