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宮沢賢治 春と修羅

40年ほど前に公開された、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のアニメ映画がありまして、その映画のエンドロールでは何故か「春と修羅」の序章の一節が朗読されているのです。
(ちなみにそのアニメは原作に非常に忠実で、独特の世界観がいい感じに再現されています)


「春と修羅」は宮沢賢治の詩集です。青空文庫で第三集まで全て読めます。私はこの詩集の、アニメで朗読されている「序」の部分がものすごく好きなのです。



以下は春と修羅 序の一節の引用です。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅しみんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

引用終わり


大好きなのですが、私には理解が及ばない世界観です…。この詩集を読み解くには、時代的背景や土地の気候風土など踏まえたうえで、彼の生涯、さらには法華経のことなどを理解していないと、難しいのだと思います。

以下は私の個人的な意見です。


この詩集は非常に難解なうえに、(でも、詩ってそういうものですよね)
文章に、言葉のひとつひとつに、計り知れない念が宿っていると私は感じます。
数年前、このパワーの根源はなんなのか、理解しようと真っ向から取り組みましたが、私には無理でした。読み進めるうちに、この世界観に閉じ込められて抜け出せなくなりそうな危機感を覚えるのです。マジで怖いです。おそらく、これはただの詩ではなくて、彼の「心象スケッチ」というものだからでしょう。
なので、かる〜く流し読みする程度にとどまっております…

流石にもう40歳を超えたことですし、きっともう大丈夫だと信じて、また少しずつ読み進めてみようと思っています。なるべく体調が良い時を選んで。

多分、大多数の方が「別に普通の詩集じゃない?」と感じると思うのですが、私は底知れぬ闇を感じてしまうんですよ…なんでだろう??

読んでいただきありがとうございました!皆様素敵な週末を。

※私はとにかく誤字脱字、乱文が多く、しょっちゅう書き直しをします。更新のお知らせを受け取ってくださっている方がいたら、本当にごめんなさい!!


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