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新卒で就職した大企業を7年で辞めて、派遣社員になった

昨日の投稿で、記録を残すことへの私のこだわりをお伝えしたが、その中で書いた通り、私は15年間派遣社員として働いていた。そして、派遣会社に入社する前には、ある大企業の社員だった。

大学を卒業した後に新卒でその大企業に入社した。同期の中には、特定の製品に惚れて、「あんな製品が作りたい」という高尚な動機で入社したものもいたが、私の場合は単に実家に近いことくらいで、別にその会社が作る製品が好きだったわけでもなかった。

私の専攻は電気で、配属されたのは電装品を担当する部署だった。同期は私を除いて5人いた。私の担当は製品に搭載されるモータやバッテリーなどだった。

コンピュータを用いた製品制御関係の担当に比べると、私の担当は地味な部品ばかりだった。

そして、コンピュータ制御関連部品の担当の中に同期のN君がいた。彼は親分肌の若者で立派な体格をしており、趣味で野球をしていた。頭がよく、複雑な製品の制御仕様をまとめることに長けた非常に優秀な社員だった。

入社して5年ほどだった頃だった。彼は新製品のプロジェクメンバーとなり、意気揚々と仕事をこなしていた。そんな仕事の合間に彼から「飲みにいこう」と誘われたことがあった。仕事で困っていることがあるようだった。

しかし、当時私はすでに結婚しており、あまり外で飲むことも少なくなっていたので、「また、いつかな」と断り、仕事で困っているのであれば上司に相談しないといけないぞと伝えた。彼は残念そうな表情で「そうか、わかった」と言い、二人とも仕事に戻った。

それからどれくらい経ったかは覚えていないが、それほど経ってない、確かお盆だったような気がする。休日出勤をすると事務所が騒がしい。聞けば、例のN君が自殺したとのことだった。買ったばかりの愛車で山に入り、ホースで排気ガスを車内に引き込んだガス自殺だった。

一瞬何を言っているのかわからなかった。私の人生で「自殺」という事実が身近で起こった初めての経験だった。また、あの時彼の相談にのってさえいれば、彼は自らの命を絶ってしまうことはなかったのではないかと、悔やまれて仕方なかった。

しばらくして彼の上司が私の元に来て、彼が何か仕事で困っていたという事実はないかと聞いてきた。進行中のプロジェクトに問題が発生するのを恐れたのである。私は「わからない」と答えた。事実、何に困っていたのかは知らないで、中途半端なことは言えなかった。また、彼の命よりもプロジェクトの無事を気にかけている物言いが気に食わなかった。

結局、彼がいなくなった後も、プロジェクトは何も問題になることもなく進捗し、無事に新製品は量産に漕ぎづけた。

その後も同期の自殺という事実は、私の心の中に澱となって残り続けた。そして、周りで起こる不都合な出来事は全てが会社の負の部分と感じるようになった。

たとえば体調を壊した社員がいると、社内にその引き金となる原因があるのではないかという具合である。要するに、会社に対する言われなき不信感が募っていったのである。

当時は、海外向け製品への課税を軽減するために海外調達が盛んに行われており、私が担当する部品もその対象となっていた。アメリカの部品メーカとの打ち合わせがしばしばあり、その際の日本側のエージェントをある派遣会社の社員が担っていた。

彼の姿を通してみるその派遣会社は、私の目には優秀な社員の集団であるかのように映った。別に彼のようなエージェントを希望したわけではなく、派遣先の会社に属さず自分の実力でミッションを遂行していく、派遣社員という存在に憧れたのである。

そして、私はその会社に転職を決意した。ただし、一生派遣社員でい続けるつもりはなく、3年間派遣社員を経験し、その後はその中で見つけた自分にあった会社に就職するつもりだった。

結局私の退職理由は同期の自殺なのだが、それは一つのトリガーに過ぎなかったのだろう。そもそも、大企業の中で小さな歯車のように日々の仕事をこなすやりがいのなさ、大企業の傘のもとで実力もないくせに、メーカーの技術に頼り切った仕事のやりかたに嫌気がさしていた。

そして、大企業を退職して気がつけば、3年で辞めるつもりの派遣会社に15年間も居座っていたのである。

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