これって「老い」なのだろうか、しかし案外いいじゃないか
定年退職だの、年金生活者だのという投稿に続いて、今回はズバリ「老い」である。
まだまだ若いつもりでいても「老い」はやってくる、いや、やってきてここにいる。しかし、それはそれで悲観することもないのではないかというのが今回の話だ。
肉体に関しては、老化を防ぐために朝夕30分間ナビと散歩し、さらに汗だくになって毎朝30分のインドア・バイクを続けている。足の筋肉も減っていないし、心拍数で確認している心肺能力も問題ない。ある程度の体力は維持されていると思っている。しかし間違いなく体力は落ちていくので、油断大敵だ。
ここでは、とりあえず「肉体」はおいといて、最近「老い」なのだろうかと感じるのは「感性」である。
まずは、受容性が高くなった。
今までは「NHKのど自慢」を積極的に観ることはなかった。むしろ苦手なほうで、たまたまテレビに映ったとしても、すぐにチャンネルを変えていた。
ところが最近は、楽しみに観ているのだ。日曜日の12時15分になるとモーニャン(妻)と二人でテレビの前のソファーに座って、
「この人は合格やなぁ」
「なんで合格やないねん、今日の鐘は厳しいなぁ」
などとワーワー言いながら、「NHKのど自慢」を観ている。以前はありえない光景である。
次に、同じくNHKの「連続ドラマ」である。以前も書いたが、次回作の予告で主役を知るたびに「もう次回はええわ」と思うにも関わらず、毎回観てしまう。そして、いつの間にか主役のファンになっている。主役のみならず、助演者についても同じである。
さらに彼らの演技に涙したり笑ったりで、これまた夫婦でテレビの前のソファーで大いに盛り上がるのだ。
次に、悲しみと喜びへの感性が高まった。
平たくいうとよく泣き、よく笑うようになった。
先ほどのテレビでもそうだが、目の前のシーンへの感性が高くなり、すぐに泣いたり、笑ったりしてしまう。特に孫ができてからは、一段とひどくなった。かつて経験のない感性を身につけたというのが実感である。
そして、諦めが早くなった。
例えば、以前に比べて長く待つことが苦痛でなくなった。待ち時間が1時間となると今までなら耐えられなかったが、今なら待てる。
また、なにか問題に出くわしたとしても、場合によっては後悔はするが、あまり苦しまなくなった。
それは耐えられるようになったのではなく、諦めが早くなったのだと思う。諦めてしまえば、苦痛はなくなる。
結局のところ
今まではさして興味がなかった、あるいは好きではなくむしろ嫌いだったものを、フラットな気持ちで再評価をすることを自然に行なう。そして、その結果を素直に受け入れて楽しむ。あるいは、時に悲しむ。
また心を傷めることから心を救うために、「起きたことは仕方ないじゃないか」と諦める。
これらは、老いたから生まれるゆるんだ感性ではないだろうか。歳をとる、老いるということは、こうしていろいろなものやできごとを、ゆるく受け入れていくことができるようになることなのかもしれない。
それは新たな楽しみを見つけることであると同時に、なんでもない日々に、そしてただ生きていることに感謝をする気持ちにもつながることではないか。
いいんじゃないか、「老い」もなかなか!
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