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なんか悲しくなっちゃうよね

学校がテスト期間に入り、部活動もなくなってしまったオバラです。

今回はルワンダで生活し始めてあるあるなことだけど、まだ慣れない、やっぱりちょっと悲しくなる話をお伝えします。

その前に、私はめちゃくちゃケチな人間であることを知ってもらいたい。
日本にいるときは数十円単位でも安くものを買えるのであれば自分の労力を惜しむことはなかった。例えば、ジュースを買うにもコンビニで買うよりもスーパーで買った方が安いからたった1本買うためだけにスーパーに行ったり、家の周りのいくつかのスーパーをまわり、それぞれのスーパーで安いものを記憶してスーパーごとで買うものを分けていたくらいだ。

さて、本題に戻ろうと思います。

協力隊として活動している方は、道端などで「ギブミーマネー」「ギブミーフード」などのことを言われた経験をお持ちだろう。ルワンダも例外ではなくこのようなことを言われることがしばしばある。
それは、わたしたちが外国人でお金持ちだと思われているからである。

これは正直言ってもう慣れてしまったし、言われることも仕方ないと感じるようになってきました。たまに体を触ってお願いしてくる人もいて、それにはまだびっくりしますけど…

ただ・・・配属先である学校の職員や同僚の先生にこのような類のことを言われるとまだ悲しくなってしまいます。

学校職員のある方は「お前、若いけど俺より金持ってるだろ?いくらもらってんだ?一日どんくらい金使えるんだ?」と言ってきたので
「僕はボランティアだからお金持ってないよ。ルワンダに来たばっかりだしさ」と言うと、
「俺はいますぐビール飲みたいんだよ。1本くらい安いもんだろ?買ってくれよ」と校門前までついてきたので、
立ち止まって「あなたに使うお金は持ってないよ」といい校門を出ました。
でも、ずっとついてきて「本当に1本だけで十分だよ」としつこいので
「そんなに飲みたいなら自分で買いなよ」と返すと
「なんで買ってくれないのかわからない」と呆れられました。

彼はなぜ私に奢ってとお願いしてきたのか。
本当にお金がなくて困っていたのかもしれない。でも、彼はちゃんとした職に就いている。
たまたま持ち合わせがなかったのかもしれない。でも、その後レストランに入ってた。
やっぱりお金にしかみられていないのか。でも、いつもはこんなこと言ってこない。
など考えるとキリがない。

もう一つ。

ある日、学校にまあまあな数のサッカーボール、バレーボール、そして、何台かの自転車が寄付され、その現場にたまたま唯一の同僚(以下、CP)と居合わせました。その時の会話です。

自分:これは誰がどこで買ったものなの?校長先生が買ってくれたの?
CP:違うよ。国のプロジェクトで外国から寄付されたものたちだよ。
自分:そうなんだ。これを使って色々できればいいね。
CP:ユウトも私たちに寄付してくれていいんだよ(笑)
  JICAにお願いしてさ、物品充実させてよ。(笑)
自分:物品の寄付のために来たんじゃないよ?知ってるでしょ?(笑)
CP:知ってるよ(笑)

同僚にもこのようなことを言われたときは本当に悲しかったです。
彼は半分冗談、半分本気の感じでしたけど…

こんなことがあるたびに、やっぱり私はお金持ちで学校にお金を落とす人、学校に寄付してくれる人と思われているのではないかと考えてしまい、ちょっと悲しくなります。近くで活動しており、ある程度ボランティアに理解があり、私のことを知っている人に言われるとさらにです。

このようなことが起きるのも自分の能力の証明、自分が来ている意味などをうまく説明ができていないところが原因ではあるんですけどね。

矛盾するようですが、確かに物品を充実させることで活動に幅が出たり、生徒たちの可能性を引き出すためにとても有効な手段であるとは思っています。そのため、最初に述べたようなケチな自分を排除して、生徒たちのためになるのであれば惜しまずに活動しようと思っています。

最近は、この「生徒のため」の感覚も日本とルワンダでは相違があるように感じています。

やっぱり現実はたくさんの試練を与えてくれます。これだから面白いですよね。

私生活ではルワンダでもケチを徹底していきます。

それではまた!

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