見出し画像

昭和の“おっちゃん”【エッセイ】


昭和のタバコの広告


高倉健


今、還暦を過ぎたおっちゃんが子供の頃に見た“昭和の大人”“昭和のおっちゃん”についてちょっと語ってみる。
まず“無口なおっちゃん”が多かった。
と言うよりも“男”は“寡黙”であるべきと言った感じだった。
そういうこともあり、あのころのおっちゃん方は口数が少なかった。
おっちゃんも子供のころ、明治生まれの祖母に育てられ、「男のお喋りは、みっともない。男は余計なことを言わず寡黙であるべきと」と教育された。
でも、普段口数少ないけど、子供に優しく子供が話しかけると普段無口なおっちゃんも応えてくれた。
例を挙げるとイメージ的には『高倉健』のような大人の男を想い浮かべて欲しい。
あのころは、今とは異なり社会のルールにも緩かった。
例を挙げると近所のおっちゃんが中学生や高校生にも“一服するか”と言って、タバコを差し出したり、あのころはタバコを吸う大人が多く、自分の持っているタバコを大人同士で“1本どうですか”と差し出したりしている姿をよく目にした。
そして、そのころのおっちゃん方が中学生くらいなると“1本吸うか”とタバコを差し出すのは『もう、お前のこと子供としてでなく大人として扱う』と言った意味が込められていたように思う。
法律や規則があっても、あのころの大人は“人様に迷惑かけなければ未成年者がタバコを吸ったり、酒を飲んだりしても寛容でむしろ大人が未成年者によく、タバコや酒を勧めていた”
ある意味、中学生くらいなるともう“片足”くらい大人なのだからというところもあったと思う。
あのころの大人の喫煙率はかなり高かったし、今で考えられないかも知れないが赤ちゃんや小さい子供がいる部屋の中でもタバコを吸っても吸う者も周りの者も何にも思わない時代だった。
タバコの煙が他人に迷惑になるという意識はなかったと思う。
そういう感じで“人様に迷惑かけなければいい”と大人は子供たちに接していた。
仮に今そんなことする大人がいたら、すぐにSNSで拡散され炎上してしまうかも知れない。
あのころのおっちゃん方は戦争を経験した方も多く、戦後の経済難を経験している。
ルールを無視するわけではないが寛容で子供を決して子供としてでなく、大人と同等して見ているところもある表れだったのかも知れない。
ある意味不器用だったのかも知れない。
そして本気で子供を叱る大人は多かった。
寛容なところもあるが厳しいところもあった。
あのころの大人は今よりも威厳があったように思う。
そう、子供も大人が言うことは聞いていた。
良いも悪いも大人を見て育った。
今はそうした関係が崩れてしまったよう感じることがある。
子供は大人を敬わない。というか必ずしもお手本としたくないと思うような大人も多いからだと思う。
また、大人も子供の考えいることがわかり辛くなってきていると思う。
昔は、そう感じなかったが今は大人と子供の間に大きな溝を感じる。
昔の大人もそう感じていたのかも知れないが子供にそんな溝を感じさせなかった。
そんなこと思うと還暦を過ぎても“大人”になっていないのかなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?