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なつやすみの退屈

読書感想文を書くことが、けっこう得意だった。けれど、決して、好きではなかった。

自由研究、工作、絵日記、と並んで、読書感想文は夏休みの宿題の中でも「大物」のひとつである。この大物にちっとも手をつけていないと、お盆を過ぎたころ、なんとなく「いやな感じ」が胸に広がってくる。ラジオ体操の出席カードに、それなりにスタンプが溜まってきたことをチラリと確認して、ようやく、原稿用紙に向かっていた。

わたしは本が好きだったし、読書が好きだったし、国語の授業も好きだったけれども、どうにも、読書感想文はおっくうであった。「3枚もかかなきゃなんないのかあ」と、原稿用紙をぺろぺろめくりながら頬杖をつく。
ざっくりとしたあらすじ、一番関心を持ったところ、もし自分が主人公の立場ならどう思ったか、教訓を自らの人生にどう生かしていくのか。読書感想文は、大体こんな感じで構成していくと、うまくまとまってくる、ような気がする。先生が「たいへんよくできました」のはなまるをつけてくれるかは分からないけれど、多分、「いいぞ」と笑っている犬とかクマとかのスタンプくらいだったらもらえるんじゃないかな。それでじゅうぶんだった。
原稿用紙を埋めていくことは、とてもつまらなくて、めんどうくさかった。そのころのわたしが本を読む目的は、そとがわに向けて、表現するためではなかったから。

二学期が始まりしばらくして、わたしは先生に職員室へ呼び出された。根っからの小心者だから、心当たりなんてないのに、なにか悪いことをしたろうかとぐずぐずしながら先生へ会いに行くと、思いがけず、読書感想文が良い出来だったと褒められたのであった。
先生は、この感想文をコンクールに出品したいと言った。だけど、そのためには宿題で指定していた分量では字数が足りない。だから急で申し訳ないけれど、明日までに内容を膨らまして書いてきてくれないか。

ああ大変だ。あんなに退屈な思いで書いた感想文に、さらに向き合わなきゃあならないなんて。もう夏休みはとうに終わって、秋の虫が鳴き、栗ごはんが食べたくなってくる頃なのだから、もうわたしにそんな活力は残っていない。夏休みの宿題というのは、40日ものお休みがあってはじめて、ようやっと取り組めるものなのだから。

うちに帰り、ひいふう言いながらなんとか必要な文字数を書き終えた感想文は、ひどい出来だった。自分で一通り読み返してみたら、どう考えても、加筆をする前のほうが良かった。こんなふうに無理やり、引っ張り出してねじ込んだような言葉なんて、ぜんぜん、だめ。先生が褒めてくれてうれしかったけど、明日までに書いてこいなんて。先生のこと、ちょっぴりきらいになったし、読書感想文も、やっぱり、きらい。もう一生、好きになんて、なれない。

これが、わたしの読書感想文の思い出である。けっこう得意だったけれど、好きではなかった。たぶん、たのしくなかったのだろう。先生に見せるための、コンクールに出すための、はなまるをもらうための、文章を書くってことは。
わたしはもう大人になったから、読書感想文を書かなくってもいい。好きなことを、好きなだけ書いていい。つまらないだの、めんどうくさいだの。先生がちょっと顔をしかめてしまうようなことを書きながら、もうわたしの人生に決して訪れることのない、幼き日の長い長い夏休みのことを、いま、恋しく思っている。

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