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『家族ダンジョン』第16話 第十五階層 暗黒に呑まれる

 新たな階層で三人は声もなく固まった。眼前では大掛かりな仕掛けが縦横に動く。
 ハムは全体を見渡す。
「壮観な眺めではあるな。深さはどれほどか」
 臆する様子は皆無で限界まで歩いた。下に鼻を突っ込むようにして目を凝らす。
「暗黒が広がっていて全く先が見えないぞ」
「……それだけの高さがあるってことね」
 茜はハムの横に並んで同じ光景を眺めた。
「ここから落ちたら、どうなるのかな」
「落ちればわかるぞ」
 ハムの言葉に、はは、と乾いた笑い声を上げた。
「でも、この仕掛けなら、なんとかなる。床がどれだけ動いても今の私なら、バランスを保って移動できる」
「でも、今回はちょっと危ないかなぁ」
 冨子はちらりと下を見る。底知れない深さに身を震わせた。
 隣にいた直道の表情が厳しい。
「この世界の異常性はわかっていても、賛同しかねる」
「だけど、誰かが先に進んで仕掛けを解除しないと。適任者は私だけだよ」
 茜はやや声を強めた。
 その時、ハムが鼻を高々と上げた。後ろ脚を蹴る真似をする。
「俺様はこれくらいの高さ、ものともしない。偉業達成の肩慣らしにもってこいだ。最初はあの左右に動く床に乗ればいいのだな」
 ハムは縦長の床に目を定めた。
「ハムちゃんが高いところを平気なのはわかっているんだけどねぇ。チュトリアの街の階段を怖がらなかったから。でも、この高さから落ちて平気なくらいに頑丈なの?」
「落ちなければ問題ないぞ。そこで冨子は俺様の勇姿を見ているがいいぞ」
 ハムは縦長の床の前にきた。目を左右に動かして軽く跳んだ。見事に着地を決めて見せる。
 軽い拍手が起こる中、床の横の動きで左側の脚が浮いた。身体は急速に傾いて、お? と発して底の見えない暗黒に一瞬で呑まれた。
「え、落ちた?」
 反応が遅れた茜はハムの消えたところに目を向ける。間もなくしてガラス瓶が割れるような音が響いた。
「豚の貯金箱が、割れたのか」
 直道は沈痛な面持ちとなって一点を睨む。
「あれって魔方陣なのかなぁ」
 冨子の声に二人が横を見る。床に光る文様が浮かんだ。中心にピンクの物体、ハムが元の姿で現れた。
 驚く三人を目にしてハムがうやうやしく頭を下げた。
「皆々様の前で、酷い醜態を晒してしまいました。ですが、ご安心ください。私が自らの身体で危険がないことを証明しました。仕掛けの難度は高いですが、茜様の身体能力をもってすれば攻略は時間の問題でしょう」
「いやいや、絶対におかしいって! その喋り方もそうだし、あんたは落ちて派手に割れたよね!?」
「割れた? この私が? ご冗談を。この通り、無傷で生還しました」
「ちょっと頭を見せて!」
 茜はハムの頭を両手で鷲掴みにした。顔を極限まで近づけて亀裂を探す。
「本当に、無傷なんだ……」
「もちろんです。遠慮なさらず、茜様の力を存分に発揮して仕掛けを鮮やかに攻略してください」
 ハムは鼻で茜をやんわりと押した。縦長の床に誘導して、どうぞ、と一礼した姿で後ろに下がる。
 茜は動く床を見ていなかった。その横の闇に魅入られた。
「……最初はね、私しかいないって、思っていたよ。上の階の練習が活かせるって。だけど……ハムの、あんな姿を見ると……怖くなったっていうか。この足が、ヘンに震える……」
「ご安心してください。この私が茜様の不安をきれいさっぱり、この場で払拭ふっしょくして差し上げましょう」
 止める間もなくハムは軽やかに跳んだ。再度、見事に着地を決める。
「見た目よりも簡単に」
 言葉は途切れた。ハムは再び暗黒に呑まれ、時間差で派手な音を立てた。
「また戻ってきたようですねー」
 床に魔方陣が光り、中心にハムが現れた。
「俺様を何回も生贄に捧げるな! しまいにゃ邪神を呼び出すぞ! この根性無しのシイタケが!」
 その変わりように直道と冨子は呆気に取られた。当の茜は目が丸くなり、噴き出すようにして笑い出した。
「そうそう、その方があんたらしいよ。ありがとう。良い感じで肩の力が抜けたよ」
「よくわからんが、今回も俺様の力のおかげだな」
「そういうことにしておくよ、今回はね」
 茜は自然体で縦長の床と向き合う。動きに惑わされず、自分のタイミングで跳んだ。膝を僅かに曲げて着地の衝撃を吸収する。安定した状態を維持して次の床に素早く渡った。
 直道は茜の姿に表情を和らげた。
「安心して見ていられる」
「そうですねー」
 冨子は側に寄り添って躍動する姿を見守った。
 二十歩の視界の限界を超えた。茜の姿は薄闇に紛れ、飛び移る足音も小さくなる。
 やがて何も音が聞こえなくなった。
「無事に着けたのだろうか」
 直道の不安を消し去るように散らばっていた床が急速に集まる。程なく暗黒を両断するような一本の道を作り上げた。
「俺様の行動がシイタケに勇気を与えたのだ。偉業の一歩に相応しい成果と言える」
 ハムは完成した道を闊歩かっぽする。中央を高らかな足音で渡っていった。
「直道さん、いきましょうー」
「少し胸が熱くなった」
 目頭を揉むようにして溢れた想いを拭い去る。はい、と冨子は答えて並んで道を歩いた。
 降りる階段の手前、茜が笑顔で手を振った。
「早く来ないと先に行くよ!」
「生意気なシイタケではあるが、ここでは花を持たせてやるのが成熟した大人というものだろう」
 ハムの尊大な物言いに二人は朗らかに笑った。


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