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『家族ダンジョン』第35話 第三十三階層 竹林の中の記憶

 竹林の中の石畳は巨大な白蛇のようなうねりを見せる。両脇の石灯籠いしどうろうには儚げな火が灯り、仄暗い奥へと導く。
 茜は息を呑んで立ち尽くす。強い瞬きで我に返ると後ろに目をやる。上りの階段はダンジョンの名残りをとどめていた。
「外かと思った」
「なんか懐かしい感じがするよねー」
 冨子は横手の直道に顔を向ける。背筋を伸ばし、おもむきのある竹林の道を眺めていた。
「私の記憶にある風景とは少し違う」
「私には差がよくわからないけどー」
「妙なところだ」
 ハムは左右を見てカツカツと歩き出す。興味を引く対象がなかったのか。頭上に関心を寄せた。鼻を高々と上げて一点を見据える。
「細い葉の向こうに小さなちりのようなものが光っているぞ」
「星じゃないの。地下だけど」
 茜が横に並んで言った。
「星の説明は面倒だからしないよ」
 早口の一言にハムは開けた口を閉じた。カツカツと足音を響かせて先頭に立つ。
 瞬間、ぐらりと傾いて派手に横へと倒れた。直道と冨子は、その場にしゃがみ込む。
 茜は抜群の平衡感覚で耐えた。
「これ! 前にもあった!」
 叫ぶと揺れがぴたりと収まった。
「なんだ、今のは?」
 起き上がったハムに低い姿勢の冨子がそろそろと近づく。
「ハムちゃんはここに住んでいるのよねー」
「そうだぞ」
「この揺れの意味をわかっているよねー?」
「俺様は知らんぞ」
 直道は石灯籠に目を向ける。一基いっきも倒れていなかった。
「余震はないようだ。どうかしたのか?」
 側にきた茜に声を掛ける。スーツのポケットに収めたピンクのウサギの縫いぐるみを見ているようだった。
「ちょっとね」
 気のない声で後ろ手に組む。前後に揺れるようにして歩き始めた。
 石燈籠の淡い灯りが石畳を照らす。一行は途切れそうな道をひたすら進む。すると竹林に半ば呑まれた平屋が正面に見えてきた。瓦屋根を除くと全体が柿渋の色で統一されていた。
 直道は家屋にゆっくりと近づく。開いていた飾り格子の引き戸の中に顔を入れると声を張り上げた。
「すみません! どなたかいらっしゃいませんか!」
 口を閉じて耳を傾ける。声どころか物音一つ聞こえて来なかった。
「直道さん、入りましょうー」
「勝手なことをすれば住居侵入罪に問われかねない」
「ダンジョンのベッドで、勝手に寝ていたのにー?」
「あれは……そうか。ここも一部と捉えることが出来るのか」
 直道は顎に手を当てて目を伏せる。その間に茜が中に入った。
「人数分のスリッパがあるんだけど」
 上がり框に三人分のスリッパが置かれていた。直道は渋々で納得した。
「お邪魔します!」
 奥に向かって言うと中に入った。
 三人はスリッパに履き替えた。玄関に残されたハムが四肢を踏み鳴らす。
「俺様は! お前達の危機を何度も救った勇者の俺様は!」
「ペットはご遠慮ー、願いまーす」
 冨子は旅館の従業員となってにこやかに頭を下げた。
「なんでだ! 俺様も上げろ! 奥が気になるではないか!」
「冨子、この家は私達を受け入れたようだ」
 直道は隅に置かれていた物を手にした。ハムを呼んで前脚から順に嵌めていく。専用の上履きのようでぴったりと収まった。
「ふむ、履き心地は悪くないぞ。では、行こうではないか」
「ちぇー」
 冨子は笑いながら不貞腐れたような声を出した。
 一行は飴色の廊下を歩き、鴬色うぐいすいろの壁の突き当りを右に曲がった。左手のガラス戸の向こうには日本庭園が見える。小さな石灯籠が幾つも立ち、庭石や枝振りの良い松をぼんやりと闇に浮上させた。
「こっちは和室みたいだね」
 茜は右手の障子の一枚を開けた。中は二十畳くらいの広さがあった。麻の葉文様もんようの大振りな行灯あんどんで室内は存外に明るい。囲むように黒塗りの膳が置いてあった。
「料理まであるよ!」
「こちらには、たぶん露天風呂ー」
 冨子は廊下に面したガラス戸に笑顔を寄せる。
「俺様の食事はどこだ」
 ハムが鼻で別の障子を開けて和室に踏み込んだ。行灯を回り込むと、これか! と声を上げて座り込んだ。
「ウソでしょ?」
 茜は一言でハムを追い掛ける。
 直道は冨子に寄り添う。
「風呂は後にして用意された食事を頂こう」
「そうねー。そちらも楽しみー」
 二人は揃って和室に入るとハムが音を立てて食べ始めた。
 茜が側に立ち、これ? と驚いた目で言った。そこに二人が加わる。
 ハムは容器に鼻を突っ込んで食べていた。硬い音が口元から絶え間なく聞こえる。鼻を深く突っ込んだ拍子に中身が転がり落ちた。
 直道が摘まみ上げる。銀色で平たい。丸い形はコインに似ていた。親指の爪くらいの大きさで表や裏には何も描かれていなかった。
 ハムが顔を上げた。直道が持っていた物に食い付く。
「俺様のごちそうは誰にもやらんぞ。お前達にも用意されているだろう」
 思ったことを語り、再び容器に鼻を突っ込んだ。
「私達も頂こう」
 適当なところに各々が座る。膳の上に置かれた器には全て蓋が付いていた。一目では料理がわからない。用意した者の遊び心が窺える。
「ごはんをよそわないとねー」
 各々に小ぶりの飯櫃めしびつが用意されていた。冨子はしゃもじを手にすると茶碗に軽くよそった。
「味噌汁にウインナーが入っているんだけど」
 行灯の向こう側から茜の渋い声が聞こえる。
 冨子は椀物の蓋を開けた。斜めに切られたウインナーが目に留まる。ホウレン草の緑は失われず、白いタマネギが波のように重なっていた。
「これは……」
 珍しく冨子が声を落とす。開いた糸目は優しく、心なしか弱々しい。
 直道は横目で見るだけにとどめた。自身の椀物を開けて唇を固く閉じる。目は隣に移って弁当箱のような物の蓋を開けた。
 中は格子状になっていて一品が詰め込まれている。塗り箸を手にすると肉の角切りを挟んだ。表面にとろみがあるので素早く口に入れた。
 数回の咀嚼そしゃくで目が丸みを帯びる。
「ハヤシライスの味か」
「これ、ハンバーグだよね?」
 茜に目を向けると箸に挟んだ物を不満そうに見ていた。大きな口で一口にすると更に表情が渋くなった。
「なんで料亭みたいなところでコレなのよ」
「仕方のないシイタケだ。俺様のごちそうをほんの少し分けてやろう」
 ハムの声に茜は凄まじい形相を向ける。
「そんなの食べたら歯が折れるわ!」
「この軟弱者が! 冨子の子供を名乗るのならば岩くらい噛み砕け!」
「はい?」
 しんみりした状態が一変した。冨子は見開いた眼で凄みのある笑みを見せた。ハムはゴロンと横になり、四肢を適当に動かした。
「ハムちゃん、お腹いっぱいでオネムだしぃ」
「永眠したいのかしらー」
 その一言にハムの動きが止まる。わざとらしいイビキが聞こえてきた。
 感慨深い食事が終わると露天風呂に興味が移る。
 茜は目に付いた襖を開けた。中を覗き込むようにして着替えを探す。見つけた瞬間、なんで、と不満を口にした。
「また学校の制服だよ。お父さんも同じスーツだね」
「そうなるとー」
 冨子は茜と並んで自分の着替えを探す。見つけた物を掴んで後ろに掲げた。
「またエプロンでしたー。シルクの下着もあったよー」
「子供の前ですることじゃない!」
「えー、シルクだよー。ほら、ツルツルー」
 冨子は茜の顔に押し付けようとした。その前に飛び退り、悪霊退散! と気合を込めて言い放つ。
 ハムは騒々しい中、気ままにゆらゆらと揺れている。
「どうせハムちゃんは裸だしぃ」
「風呂に入る順番を決めよう。ハムは一番風呂、どうだ?」
 直道がハムに話し掛ける。
「そんな気分じゃないしぃ」
「はい、私!」
 茜は手を挙げた。着替えとタオルを持って大股で歩き出す。
「私と直道さんは一緒でー」
「生臭い!」
 茜は一喝して出ていった。
 三十分程の時間が過ぎた。ほんのりと上気した顔で茜が戻ってきた。
「良いお湯だったよ。二人が入っている間に布団を敷いておくね」
「助かる。冨子、行くか」
「はいー」
 湯で心まで温まったのか。茜は穏やかな顔で手を振った。

 露天風呂は専用の通路で繋がっていた。出入り口に当たる部分には暖簾のれんが掛けられていて、藍染に白抜きの湯の文字がくっきりと浮かび上がる。
「風情があっていいよねー」
「見覚えがある」
 直道は眼鏡を外して暖簾を潜った。冨子はいそいそと続く。
 二人は脱衣場で衣服を脱いだ。直道はタオルを肩に引っ掛ける。冨子は首に掛けて、たのもー、と道場破りを模して引き戸を開けた。
 直道は苦笑いで入ると動きを止めた。
「ここは」
「家族で泊まった、温泉旅館に似ているよねー」
 しみじみとした声で言った。
 杉の香りが漂う湯船からは湯が溢れている。不揃いの石が敷き詰められた黒い床を満遍まんべんなく濡らす。周囲を囲むように五基の石灯籠が立てられ、奥の竹林が薄闇の中で微かに浮かんで見える。耳をそばだてると渓流の音が聞こえた。
 冨子は近くに積まれた木桶を手にすると湯船の湯を身体に掛けた。濡れた首のタオルは絞って折り畳み、頭の上にぽんと置いた。湯面に素足を浸し、ゆっくりと肩まで浸かった。
「直道さん、良いお湯ですよー」
「そうか。私も入るとしよう」
 同じように掛かり湯を済ませると直道も湯に浸かった。
 二人は横に並び、石灯籠が作り上げた、どこか幻想的な竹林を眺めた。
 冨子は息を吐いた。
「料理もそうですけど……慶太の元気な姿が頭に浮かびました」
「ウインナーの入った味噌汁が好きだったな。茜は忘れてしまったようだが」
「仕方ないですよ。昔の話なので。この景色も慶太が四年生の時の、家族旅行で、見たものに、そっくりで……」
 冨子は両手で湯をすくって顔に浴びせた。直後に軽く拭って微笑む。
「ダメですねー。年齢のせいでしょうかー」
 直道は黙って肩を組んだ。二人は静かな一時を共に過ごした。

 この世界に朝は来なかった。自然と三人は目を覚まし、活動を開始した。その頃にはハムの機嫌も直っていた。
 全員で入っていない部屋を見て回る。最後の部屋で降りる階段を見つけた。玄関に靴を取りに戻って再び集結した。
 冨子は握った拳を緩やかに天井へ向かって突き上げる。
「今日も張り切っていくよー」
「そうだな」
 直道は眼鏡の中央を押し上げて柔和な笑みを浮かべた。


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