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『家族ダンジョン』第18話 第十七階層 浮き沈み

 一行の前にまたしても暗黒が立ち塞がる。今度は足場となる床がなかった。見えないだけで存在するのだろうか。誰にもわからない。
 立往生を嫌った茜はハムの姿を探した。少し離れた壁際にいた。不貞寝ふてねするように背中を向けた姿で横になっている。
 そっと近づいて甘ったるい声を掛ける。
「ハムちゃん、出番だよ。偉業の達成には必要なことだよね」
「……俺様は邪神の供物くもつじゃないしぃ。床がないからどうしようもないしぃ。シイタケが試しに落ちてみればいいしぃ」
 くるんとした尻尾が縮こまる。二度も落下した影響が色濃く残っていた。
 茜は潔く諦めた。
「直道さん、あの遠くに見えるのって床では?」
 冨子が一点を指差す。位置としてはかなり遠い。直道は眼鏡の奥の目を細めた。
「確かに。今、消えたが。あちらにも」
 出現する床に合わせて目を細かく動かす。
 二人と共に茜も出現する床を見た。
「前の動く床とは違うけど、あれもゲームの中ではよくあるトラップだね」
「どんな感じのものなの?」
 冨子の声に茜は床の状況を見ながら答えた。
「現れる床には乗れる。でも、消えると足場が無くなって落ちる。前と同じなら魔方陣で戻って来れると思うけど」
 茜は後方に目をやる。ハムは同じ姿で背中を向けたままだった。尻尾は強固に丸まって断固拒否の態度を貫く。
「ハムには頼めそうにないし」
「床の出現には規則性がある」
 直道は床を見ながら言った。
「……床の出現時間には差がある。短くて数秒、長いと数十秒か」
「これ、私は苦手だな。先読みできればかなり楽なんだけど、覚えられるかどうか」
 茜は先を見た。視界が確保できる二十歩を超えている為、暗闇に包まれていた。
「んー、覚えられるかわからないけど、いける気がするのよねー」
 冨子は大きな一歩できわに立った。暗さに目を慣らすように真下を見つめる。何度か深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。
 糸目を見開き、自身の頬を軽く平手打ちした。
「お母さん、なにを?」
「銀閃フォックスのリーダーがこんなもんでビビッてんじゃねぇぞ! 気合入れていけや、コラッ!」
 茜は目を丸くした。直道は苦笑して冨子の肩に手を置く。
「頼んだぞ」
「任せてよー」
 元の冨子に戻って床が現れるのを待った。
「もう、記憶できたの!?」
「全然、覚えられないよー」
 冨子は茜に答えた。瞬間、出現した床に向かって跳んだ。着地は見事に決まり、上体がぐらつくこともなかった。
「え、それなのになんで」
「どうしてでしょうー」
 冨子は振り返らずに答えた。右斜め前に現れた床に飛び移る。左横の床に跳んだ直後に元の足場の床が消えた。
「はい、着地―」
 今度は左斜め前の床に飛び乗る。前方に現れた少し長めの床は飛び移ると小走りとなった。右斜め前に連続して現れた床は弾むようにして渡っていく。
 その姿を茜は驚きの表情で眺めた。
「どうして、そんなことができるのよ。床の位置を記憶してないんだよね?」
「冨子だからできる」
 直道の声に茜が、なんで? と訊き返した。
「矢印の床の時と同じだ。冨子にはあの速さでも、はっきりと見えている」
「あんなにすぐに床が消えるのに!?」
 茜は冨子の姿を目で追った。機敏な動作とは言い難い。ただし反応速度には目を見張るものがあった。次の床が現れた直後には軽々と跳んでいた。まるで記憶しているかのように自然に飛び移る。
 同じ調子を崩さず、冨子は前方に広がる闇に呑まれた。
「あれが冨子だ」
 全幅の信頼を寄せているのか。直道は穏やかな顔で眺めている。
 二人は並んで浮き沈みを続ける床を見ていた。その動きが唐突に止まった。
 急速に集まって一本の道を完成させた。
「お母さん、攻略したんだ!」
「そうだな」
「でかした! 褒めて遣わす!」
 大音声だいおんじょうでハムが起き上がると真っ先に道を駆け出した。
「あんたねぇ」
 茜が笑って歩き出す。横に付けた直道は片方の口角を上げた。
「豚の貯金箱だけあって現金な奴だ」
「それ、上手いね」
 二人は笑って道を渡っていった。
 間もなくして冨子の姿が見えてきた。ハムは鼻を高々と上げてふんぞり返る。
「直道さん、茜、やりましたよー」
「さすがだ」
「ハムは偉そうにするな」
 茜は笑って言った。
「俺様の名演技が冨子の勇気を引き出したのだ。いわゆる陰の貢献者として褒め称えるがよいぞ」
「お父さん、あんなことを言ってるよ」
 茜は告げ口するように話を振った。
「あれはあれで良いムードメーカーと、言えるのか?」
「疑問で返さないでよ。まあ、かなり限定されるけどね」
 二人は道を渡り切った。奥の方には降りる階段があった。
 茜は指折り数える。
「かなり下まできたよね」
「そうなるか」
「終わりはわからないけど、なんか楽しいねー」
 冨子はほんわかとした笑みを二人に向けた。
「まあ、そうだね。お父さんは?」
「悪くない」
 短い言葉で済ませた。冨子は横にきて腕を組む。
「本当に悪くないですよねー」
「苦しゅうない」
 三人の姿を見たハムはくるりと回る。カツカツと足音を響かせて逸早いちはやく階段を降りていく。
「仕方のない豚ね」
 茜は笑って付いていく。冨子にやんわりと引かれて直道も歩き出す。

 階段の途中で全員が耳にした。押しては引く、穏やかな波の音を――。


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