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二人の剣

 寝返りを打つ度に軋む木製のベッドで貴方は深い眠りに落ちた。今は仰向けの姿でほのかに明るい窓を見ている。とても穏やかな状態で目覚めの余韻を過ごし、上体を捻るようにして起こした。
 下着然とした姿でベッドの縁に腰掛けた。貴方は焦げ茶色の床板を眺める。年季の入った色をしていた。
 いつもと変わらない時間の流れに乗って薄皮の靴を履いた。軽い足取りで簡素な部屋の奥にいく。使い込まれた木剣ぼっけんが壁に立て掛けてあった。一瞥で通り過ぎて立ち止まる。
 壁一面に剣が整然と控えていた。最上段には貴方の身の丈に匹敵する大剣が威容を放つ。
 貴方は中段の長剣に手を伸ばす。触れる前に動きを止めた。手は迷いを見せて最後にしっかりと掴んだ。
 選んだ武器は特に特徴のない古ぼけた剣であった。貴方は両手で柄を握り、縦や横の鋭い斬撃を見せた。
 防具は軽装を心掛けた。肩や左胸、腿を厚い革で守る。他は露出して速度を重視した。視界を狭める兜は手に取ることさえしなかった。

 抜き身の剣を腰に下げた貴方は扉を押し開けて踏み出す。圧倒的な自然が押し寄せた。密集した木々の合間に身を入れて薄暗い獣道を慎重な足取りで進む。
 前方の闇が放射線状に割れる。中心の光に向かって貴方は足を急がせた。
 乾いた土が剥き出しになった円形の広い場所に行き着いた。中央に凛とした人物が立っていた。
 金色の髪を後ろに束ねている。普段は目に出来ない細長い耳が露になった。純白の横顔は愁いを秘めていて尚も美しく銀色の神々しい防具を身に纏う。
 貴方が歩を進めると銀色の麗人は振り向いた。青い瞳を細めて底意地の悪い笑みを作る。
「昨日、真剣の勝負と聞きましたが、その言葉に嘘偽りはないようですね」
 貴方が腰に下げた剣を見て言った。
「本当によろしいのですか。今までのように木剣であれば、そのような軽装であっても致命傷を負うことはありません。私としても、このような寂しい場所で宝剣を振るうことにいささか抵抗があります」
 棘のある物言いに一言も発さない。貴方は腰に下げた剣を構えることで意志を伝えた。
「……本気と受け取りました」
 相手は細長いさやから宝剣を引き抜いた。つばに華美な装飾はない。伸びやかな剣身は透き通っていて目を凝らす必要があった。
初見しょけんで驚かれたようですね。宝剣の脅威は透き通った美しい剣身にあります。一度は世に名を轟かせた貴方であれば意味が理解できるでしょう」
 口を閉ざした貴方は強い瞬きを繰り返した。
「無駄です。私が振るえば剣身は周囲に同化して見えなくなります。それでも真剣で勝負するつもりですか……まさかとは思いますが、今までの勝負で私が一勝も挙げていないことに気を良くしました?」
 整った唇に人差し指を当てる。大半が見えていて露骨なわらいを隠せていなかった。
「勘に頼っても無駄です。宝剣の力を少し見せてあげましょう」
 貴方を無視して横手にすたすたと歩く。目に付いた木に宝剣を一振りした。結果を見ず、ゆったりとした動作で戻ってくる。
 その間に幹は半ばで斜めにずり落ち、土煙と共に数枚の葉を散らした。
「わかりましたか。その薄汚れた剣で宝剣を受け止めることは不可能です」
 貴方は答えない。正眼に構えてじりじりと距離を詰める。相手の鼻筋にはっきりとした皺が寄る。端正な顔立ちは怒りで歪んだ。
「確かに昔の私は不覚を取りました! その時から貴方に挑む日々が始まりました! 目で追えない剣筋に翻弄され、木剣で何度も打ち据えられた! 生傷が絶えない生活を送り……気付いてしまったのです」
 貴方の動きが止まる。
「私は勘違いをしていました。貴方の剣技や技量が他の種族を圧倒していたせいで」
 言葉を待たず、貴方は跳んだ。両手による突きは半歩の横移動でかわされた。
「牙を折れば!」
 無防備の剣に宝剣を振り下ろす。火花が散った瞬間、相手は後方に大きく跳躍した。
 貴方の剣は無傷であった。
「……そういうことですか」
 軽く息をいた貴方は再び間合いを詰める。
「魔剣に防具は不要です」
 宝剣の切っ先を自身に向けた。継ぎ目を狙って防具を切り裂く。足元に銀の残骸を積み上げる。
 相手は厚みのある半袖と半ズボンの格好になった。
「貴方の無力化には失敗しましたが、魔剣による不意打ちに気付くことが出来ました。それに防具を捨てた私は貴方を速度で遥かに上回ります」
 貴方は先を越された。横薙ぎの一閃は体勢を崩しながらも魔剣で受けた。相手は驚く表情を見せず、連続攻撃に繋げる。宙に幾つもの火花が浮かび、はかなく消えた。
「全てを受け切るつもりですか!」
 剣を打ち合わせる音に負けない声を上げた。相手は一旦、退いた。
「貴方の目の動きで理解しました。透き通った剣身ではなく、鍔を見て合わせていましたね」
 相手の声に乱れはなかった。貴方は肩を上下させた。若干、膝頭が震えている。
「そのせいで判断に僅かな遅れが生じています。右の肩口、左の脇腹、左の手首の傷は浅いですが出血しています。動けなくなるのも時間の、それは」
 貴方は右方向に上体を捻った。魔剣を身体に隠すようにして相手を見据える。
「その極端な構えには見覚えがあります。木剣でしたが剣筋を隠した一撃は見事に私の足元を払いました」
 構えを解かずに貴方は小刻みに前進した。
「私の配下から聞いた話では回転して逆を狙うことも出来るそうですね。実際の剣技を見たかったのですが、残念です」
 跳び出しの速さに貴方は全く反応できなかった。剣身は腹部に触れる近さで止められた。
「今の実力差です。現時点で貴方の命は私が握っています。すでに勝敗は決したと思いませんか?」
 青い瞳を金色の長い睫が覆う。貴方は握る手を緩めた。するりと落ちた魔剣が地で跳ねる。
 安堵した相手の表情を見た。捻った上体を戻しながら貴方は左肘を垂直に上げた。
「まさか、短剣!?」
 相手は後方に下がりながら宝剣を斜め下から斬り上げた。
 貴方はぐらりと横に揺れ、踏ん張る足は膝から崩れた。僅かな土煙を上げて仰向けの姿で寝転がり、気だるげに両腕を広げた。手には何も持っていなかった。左脇腹から右肩に抜けた切創せっそうによって乾いた地面が深紅に染まる。
「どうして……どうして、そんな真似をしたのですか!」
 相手は宝剣を捨てて駆け寄った。横座りとなって貴方の頭を太腿に載せた。
「それで勝ちを譲ったつもりですか! ふざけないで!」
 貴方は力なく右腕を上げた。相手の頬に手を添えて慈しむように摩る。溢れる涙で指先が濡れた。
「優しく、しないで、ください。私は、泣きたくない……」
 貴方は右手を動かす。流れる涙を掌全部を使って受け止めた。激しく咳き込むと相手は両手で優しく右手を包み込み、ゆっくりと下ろした。
「貴方は剣士として、無類の強さを、誇っていました。ですが、月日と共に老いが見え始めました。その時、理解しました。最後は必ず、私が勝つと」
 貴方は黙って聞いていた。
「私の種族は長寿で知られています。貴方の種族は非力で短命。その通りで黒々とした髪は枯れたように白くなり、全盛期の力まで、失ってしまった……」
 感情の揺れを示すように語尾が震えた。貴方の薄くなった白い髪を手で整える。
「そのような貴方に私が勝てば、どうなってしまうのか。結果を恐れた私は、負け続けました。今回の真剣で覚悟を決めていたつもりでしたが、かなり饒舌じょうぜつになっていました」
 潤んだ青い瞳は空に向かう。微かに笑うと頬に一筋の涙が流れた。
「この戦いで新たな真実と向き合うことになりました……聞いてくれますか?」
 貴方は瞼を閉じた。浅い呼吸を続ける。
「……負けることは誇り高い私が許さない。当初は、そうでした。意図して負け続けていた時も、自分の感情を完全には理解していませんでした。今になって、初めて引き延ばした理由に辿り着きました」
 血は流れ続ける。地面を鮮やかな色に変えてゆく。
「私は貴方との戦いを楽しんでいました」
 少し冷たい風が吹く。口を閉じて遣り過ごし、話を続けた。
「なぜなら、私は貴方のことを心の底から……」

 旅立った貴方に相手の最後の声は届かなかった。

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