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『家族ダンジョン』第14話 第十三階層 十字路の恐怖

 冨子は上機嫌で階段を降りる。
「宿屋は心のオアシスだねー」
「生々しい!」
 茜の一言が飛ぶ。
「それだけではなくて、この袋を見よー」
 エプロンのポケットから皮袋を掴み出す。丸々と太った中には大量の金貨が収められていた。
 茜は横目で見て降参と両手を軽く挙げた。
「びっくりしたよ。あの一枚の金貨のお釣りが、それだからね」
「大金貨か」
 後ろに控えていた直道は思い出して言う。
「新しい階層に着いたな。今後も俺様を大いに頼るとよいぞ」
「また銀色のコインが手に入りますようにー」
 冨子はハムに向かってパンパンと柏手かしわでを打った。同じように茜も手を合わせる。
「なんだ、その妙な儀式は?」
「神頼み、みたいな」
「私は験担げんかつぎかなー」
 二人の言葉の違いに戸惑いを見せたあと、ハムは大雑把に納得した。
「俺様は神のように尊い存在ということだな!」
「そこまでは思ってない」
 茜は瞬時に顔と手を左右に振った。
「また十字路か」
 先行した直道は手前の床に目を落とす。一歩を踏み出した。後ろを振り返ると誰もいなかった。右手から賑やかな声が聞こえる。
「ここもターンテーブルになっているのか」
 直道は騒々しくもある輪の中に加わった。
「十字路にターンテーブルが仕込まれていた。どの通路も行き止まりで奥に降りる階段があった」
「もしかして、上の階と同じような作りなのかなぁ」
「そんな単純な話じゃないと思う。ちょっと下を見てくる」
 止める前に茜は走り出す。十字路の仕掛けで方向を変えられても動じず、足音は遠ざかって聞こえなくなった。
「深入りはしないと思うが」
 直道は言いながらも歩き出す。その横には冨子の姿もあった。
 ハムは居残りを決めたようで腹這いになる。
「やっぱり、そうだった!」
 弾けるような声で横手から茜が飛び出した。二人を見つけると慌てて駆け寄る。
「下の階もここと同じ作りになってたよ」
「ターンテーブルの上に乗ったのか」
「でも、大丈夫」
 茜は胸ポケットから生徒手帳を取り出して直道に見せた。
「これを置いて目印にしたから」
「納得した」
「それが大変なことなの?」
 冨子の疑問に茜は真剣な顔で言った。
「これがゲームなら、階段の連続で全てが同じ作りの十字路になっているはず」
「単純な作りが最大の迷宮となる訳か」
「今までの階の広さと同じなら……」
 茜は沈んだ目で口を閉ざす。
「なんか暗いぞ」
 起き上がったハムが高らかな足音で三人の間に割って入る。茜に顔を向けると短い前脚を上げた。
「その生徒手帳とやらに迷わないように書き込めば済む話ではないか」
「そうなんだけど」
 言いにくそうにしてポケットに手を突っ込んだ。一本のシャープペンシルを取り出すと上部を親指で何度も押した。カチカチと音はするが先端から芯は出て来なかった。
「打ち止めって感じ」
「それなら直道さんのスマホのメモアプリを使えばいいのよー」
「そうだよ!」
「なんだ、それは?」
 ハムの疑問の声は無視して二人は直道に期待の眼差しを向ける。
「すまない」
 首が折れたように頭を下げる。
「どういうこと?」
 茜の不機嫌な声に直道は顔を上げられなくなった。
「直道さん」
 側に寄り添った冨子が直道の背中を優しく摩る。徐々に顔を上げて重い口を開いた。
「会社のことが気掛かりで、何度も起動している間に……電池の残量が尽きてしまった。本当にすまない」
「万策尽きたようなことを言っているが、まだ手は残されているぞ」
 その言葉に三人の目がハムに集まる。
「要は迷わないように目印があればいいのだろう。あるではないか。大量の金貨が」
「え、えー、でもこれは大事なお金で、えー」
 冨子は膨らんだポケットを両手で隠すようにして後退あとずさる。二人と一匹の関心は完全に金貨に向かっていた。

 一行は十字路の迷宮に挑んだ。歩いた通路には目印として金貨を置いた。
 その都度、恨めしい声が辺りに響く。
「金貨が~、一枚~」
「怪談話を思い出す」
 直道の言葉に茜が笑って言った。
「階段だけに」
 上り下りを経て、ようやく長い通路に辿り着いた。丸々と太った皮袋は痩せ細り、事切れそうになっていた。
 中を見た冨子は再び金貨を数える。
「金貨が~、一枚~、二枚~、三枚~、全然、足りな~いぃぃぃ!」
「でも、無事に迷宮を抜けられたんだし」
 茜の言葉は慰めにならなかった。冨子は項垂れた状態でふらふらと歩く。
 前方の通路の一部が広くなっていた。右端に露店のような物が見える。
「いらっしゃい」
 禿頭の小さな老人が声を掛けてきた。店の側には白い小さな子犬が丸まって眠っている。
 ハムは見上げるようにして言った。
「ここはなにを売っているのだ?」
「コンパスを売っています」
 薄汚れた野良着の懐から丸いコンパスを取り出して見せる。
「方角がわかるだけじゃ、大して使えないよね」
 茜の物言いに店主は目尻に深い皺を刻む。口角が上がって黄ばんだ歯が見えた。
「もちろん、ただのコンパスではありません。未踏破の道を示す魔法のコンパスです。金貨五百枚の逸品ですが、今回は日頃の感謝を込めてご奉仕大特価の五十枚! お一つ、いかがですか」
「余裕で買えたのにぃぃ」
 冨子の悔しさが募る。痩身の皮袋の首を握り締めて打ち震えた。
「残念だが手持ちがない。またの機会にしよう」
 直道は通路の先に目をやる。突き当りに降りる階段が見えた。
「諦めるのは早いぞ」
 ハムは子犬を見て下卑げびた笑いを浮かべた。
「ただの爺と子犬が一匹。魔法のコンパスを奪う条件は揃っている」
「な、あんた!」
「ハムちゃん、お主も悪よのぅ~」
 言いながら冨子は笑みを深めた。
 直道は大きく咳払いをした。
「そのような行為を私が許すと思っているのか」
「直道さん、ここは現実の世界ではありませんよー。そう、ゲームなのです。場合によっては強奪も可能だと思いませんか」
「お父さん、ゲームにはPK、プレイヤーキルの意味ね。許されてるものもあるんだよ」
「しかし、だな。ここがゲームの世界と決まった訳では」
 周囲の勢いに直道は押された。好機と判断した茜が強い言葉をぶつける。
「じゃあ、ここはどこだと思うのよ」
「それは……わからない」
「ゲームの世界かもしれないってことにもなるよね」
 返事に窮している間にハムが店主に言い放つ。
「爺、その魔法のコンパスを渡すのだ。大人しく従えば命だけは取らないでやるぞ」
「なるほど、よくわかりました。追い剥ぎ御一行様でしたか。では、こちらも第一級警戒態勢に入らせて貰います」
 店主は指をパチンと鳴らした。
 子犬がすくっと起き上がる。全体が急激に膨らみ、隆起した筋肉に変わる。口の部分は伸びて乱杭歯らんくいばが迫り出す。溢れるよだれは濃硫酸のように床の一部を溶かした。
 その姿は子犬ではなかった。通路の半分以上を埋める巨躯きょくとなり、黄金の双眼を爛々と輝かせた。
 店主はにこやかな顔で言った。
「地獄の番犬と素手で戦ってみますか?」
 全員が涙目で逃げ出した。凄まじい咆哮ほうこうに背中を押され、階段を転げ落ちていった。


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