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【連作短編】先輩ちゃんと後輩君 その6

第6話 先輩ちゃんは貯め込んだお金で後輩君に夢のような接待をする

 高田 春人たかだ はるとは目の前の光景を見て即座に現状を理解した。答え合わせをするかのように扉が開いた。中から小柄な青山 陽葵あおやま ひなたが親しみを込めた笑みで現れた。
「今日は来てくれてありがとう。用意はできているから入って」
 表情にとどまらず、柔らかい口調でやんわりと誘う。逆に春人は警戒を強めてじっくりと見つめる。
 艶やかなボブカットは黒いキノコのようだった。淡黄色のブラウスにデニムのパンツ姿は活発な印象を与える。
「いつも通りの先輩ちゃんですね」
「そうだけど。後輩君、もしかしてお酒を飲んできた?」
「アルコールの類は一切、口にしていません。普段と比べて先輩ちゃんの口調が柔らかいような気がします」
「そうかな。いつもと同じだと思うよ」
 陽葵はくすりと笑って春人の手を握る。軽く引っ張られただけで足が前に出た。その自身の反応に首を捻りながらもおとなしく従った。
 玄関で靴を脱いで先導されるままに部屋へ上がった。
「ここが後輩君の席ね」
 綺麗に片付けられた部屋にベッドはなかった。代わりに大きな猫脚のテーブルが中央に置かれ、肘掛けのある木製の椅子が添えられていた。
「新しく購入したのですね」
「後輩君が来てくれるから奮発したよ。でもね、おもてなしはこれからだよ」
 陽葵は弾むような足取りでキッチンに向かう。春人は椅子に座った。高貴な人物に見合った表情で肘掛けに肩肘を突いた。
 間もなくして純白のエプロンドレスに着替えた陽葵が銀色のトレイを運んできた。
 春人はトレイに載せられた一品に目を奪われた。
 真っ赤な伊勢海老が載っていた。下には丸い隆起がある。刻まれた色とりどりの野菜からチャーハンを想像した。
「この一品は伊勢海老のチャーハンですか?」
「後輩君、正解だよ。目でゆっくりと味わったあと、余計な物は別個の小皿に入れてね。私はスープを加熱しないといけないから」
 驚きが勝って返事もできない。春人は堂々とした伊勢海老の頭部を指で摘まんだ。裏返すと中身はなかった。ぶつ切りになった身の部分はチャーハンの中に混ぜ込まれ、一部が丸い隆起から突き出ていた。
 添えられた陶器のスプーンで一部を掬う。大ぶりの身と一緒に口の中に入れた。数回の咀嚼そしゃくで不自然に動きが止まる。呑み込むのを惜しんだものの、持続することはできなかった。
 弾力のある身を噛み締めて呑み下す。今度は肉厚のパプリカと一緒に口に含んだ。染み出す旨味に圧倒されて感想の言葉も出て来ない。その過程でまともに息をしていないことに気付き、慌てて深呼吸をした。
 大皿の中身は瞬く間に平らげた。半ば興奮した自身を落ち着かせるように長い息を吐いた。
「圧倒する味に言葉もありません」
 おもむろに手を合わせる。そこに陽葵が新たな一品を運んできた。
 入れ替えるようにしてスープが出された。全体が黄色く、透明な繊維のような物が大半を占める。香る匂いに春人は控え目に立つ陽葵に言った。
「これはフカヒレのスープですか」
「よくわかったね。烏骨鶏の卵と合わせてみたよ」
「あの、先輩ちゃん。もてなしてくれるのは嬉しいのですが、金銭面の方は大丈夫なのでしょうか」
 陽葵は自然な笑みを浮かべる。
「後輩君は気にしなくていいよ。日頃の感謝の気持ちをささやかな料理で表現しただけだから。冷めない内にスープをどうぞ」
「お言葉に甘えて遠慮なくいただきます」
 陽葵は満足そうな笑みでキッチンに戻る。シンクに大皿を置いて水を掛けると春人に声を掛けた。
「最後のデザートはこちらで食べてね」
「はい、わかりました」
 食べる手を止めて振り返ると厚手のレースカーテンが閉められた。初めて目にする物だった。
 深い思考に陥ることはなく、春人はフカヒレスープを夢中になって味わった。

 春人はフカヒレスープを笑顔で食べ終わった。見計らったように陽葵の声がレースカーテン越しに聞こえてきた。
「デザートが完成したよ。後輩君、食べにきて」
「わかりました」
 豪華な品々のあとなので春人の期待は急激に膨らむ。逸る気持ちを抑え切れず、一気に開けた。
 今日、最大の驚きが待っていた。正しくは横たわっていた。手前の焼き菓子が霞んで見える。
「後輩君、どうしたの?」
「……いや、これはさすがに声が出ないというか」
 直視ができない。横目の状態で春人は言葉を返した。
 テーブルの上に乗った陽葵は横向きになっていた。全裸の状態で余裕の笑みを浮かべている。胸と股間には白いメレンゲのようなもので隠されていたが煽情的な格好であることに変わりはなかった。
「手前にある焼き菓子は味が薄いよ。だから私のマスカルポーネを付けて食べてね」
「食品衛生的に問題があるのでは。女体盛りの例もありますし」
 以前、横目の状態で春人は冷静な姿勢を貫く。
「綺麗に身体を洗っているから問題ないよ。でも、あまり焦らされると汗が出て、そこれそ衛生的に問題が出るかもね」
「その、先輩ちゃんがここまで積極的だとは思いませんでした。大胆不敵ではありましたが」
「本当は知ってたくせに。私の気持ち」
 陽葵は見透かすような目をした。春人は対抗する術がなく、さりげなくズボンのポケットに手を入れた。その行動を見逃さず、好色そうな目付きとなった。
「後輩君、冷静に見えるけれど、実は興奮しているよね?」
「なんのことでしょう」
「わかるよ。いきり立つものを必死に手で押えているよね」
「栄養を摂り過ぎた弊害へいがいですよ」
「ニンニクとスッポンを隠し味に使ったからね」
 期待感で語尾が震える。大事な部分を隠していたマスカルポーネは上昇する体温で溶け始めた。
「焼き菓子が冷めるよ。それとも私を食べる?」
「その、意味がわからないのですが」
 発声が上手くいかない。喉に引っ掛かる感じとなった。
 陽葵は横になった状態で腕を後ろに回した。手で探るような動きを見せて、四角い包みを指先に挟んで軽く振る。
「これ、わかるよね?」
「そんな物まで用意したのですか」
「後輩君が持ち歩いているとは思わないから、こちらで用意した。装着して荒ぶる心のまま私を食べ尽くしていいよ」
 陽葵は起き上がった。春人は退いた。玄関を意識して走り出そうとして、その場に膝を突いた。
「身体が、自由に、動かない!?」
遅行性ちこうせいの痺れ薬がようやく効いてきたようね」
 春人は膝と手を使って懸命の前進を試みる。その背中に陽葵が抱き付いた。頬ずりをしたあと、耳元で囁く。
「私が後輩君を食べてあげる」

 瞬間、春人はいきなり上体を起こした。自分自身の荒い息に驚き、透かさず首筋を触る。大量の汗を掻いていた。
「……悪夢でも、見たのか?」
 掛け布団は波打ち、敷布団のシーツには皺が目立つ。
 まだ薄暗い部屋は夜明け前を伝えていた。二度寝する気分になれないのか。春人は立ち上がった。冷蔵庫でスポーツ飲料を取り出し、口を付けて勢いよくあおる。半分ほど飲んで一息入れた。
 大学の講義は午前中に入れていたが、それでも二時間の余裕がある。一分程の考える時間を自身に与えた。
 その結果、フライパンを使ったチャーハンを作ることにした。具として選んだのはベーコン、タマネギ、ニンジン、卵であった。冷凍の小海老は手に取った直後に嫌悪感が募り、冷凍庫の奥底に押し込んだ。
「今日の僕は、少しおかしいな」
 小首を傾げながら春人は調理を始めた。

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