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『家族ダンジョン』第2話 ダンジョンへの誘い

第2話 ダンジョンへの誘い

 キッチンから少し不安定な鼻歌が聞こえてくる。料理の腕を振るうのは冨子であった。パンツルックで白いエプロンを付けて中華鍋をタイミングよく揺すった。
「ごはんがパラパラー」
 横ではコンロの寸胴を火に掛けていて、ゆっくりとお玉で掻き混ぜる。昨晩のハヤシライスの甘くてスパイシーな香りが高まる。頃合いを見てお玉で掬い上げると中華鍋の炒めたご飯に合わせた。手早く揺すって馴染ませる。調味料としてトマトケチャップとマヨネーズを適当に掛けた。
「具はこれくらいにして」
 用意していた大量の卵を割ってボウルに入れる。ホイッパーで偏りがないように掻き混ぜてゆく。

 茜はベッドで横向きに寝ていた。自身の唸るような低い声で僅かに瞼を開けた。目の前にあるスマートフォンを掴み、画面に表示された時刻を見て溜息を吐いた。
「起きないと、遅刻……」
 ぱたりと手が落ちた。そのままの姿で眠りの中に入ろうとした。
「朝ご飯ができたよー。ほっかほかだよー」
 間の抜けた目覚まし時計の声で現実に引き戻された。あー、と苛立った声を出して茜は起き上がった。

 濃紺のスーツ姿の直道が洗面台の鏡に向かう。ジェルの効果で艶やかな髪に入念に櫛を通し、完璧なオールバックを仕上げた。厳めしい顔を左右に向けて最後に顎を撫でる。剃り残した髭が指に引っ掛かったのか。棚で充電していた電気シェーバーを使用した。
「悪くない」
 顎を撫でていると横からブレザーを着た茜が無言で割り込む。直道は何も言わず、廊下に出た。
 廊下を歩いていると後ろから騒々しい足音が追い掛けてきた。キッチンの手前で直道を追い抜くと滑るようにして曲がった。
「えー」
 飛び込んだキッチンから茜の不満の声が上がる。直道は足を速めて後に続いた。
「なんで朝からオムレツなのよ」
「違うよー。中は炒めたご飯だからオムライスだよ」
 にこやかな冨子の指摘に茜は目を剥いた。
「カロリー倍増だよ!」
 二人の遣り取りの合間に直道は自分の席に着く。大皿に乗ったオムライスの上にはケチャップでハートが描かれていた。スプーンの丸い部分で素早く形を崩す。
「あー」
 目にした冨子があからさまな不満を見せる。正面の席に音を立てて座ると薄目を開けて精一杯の抗議に打って出た。直道は顔を横に向けて避ける。無人の席が目に入って動きを止めた。
「食べればいいんでしょ」
 いつの間にか椅子に座った茜が正面を見ないようにして言った。
「……じゃあ、いただきます」
 冨子は伏し目となって手を合わせた。

 一瞬でテーブルが消えた。料理も無くなり、三人は同じ位置で尻餅をついた。座っていた椅子まで忽然と消失したのだった。
 逸早く立ち上がった茜は目を丸くした。グルグルと回って、ウソ、と呟いた。
「どこだ、ここは?」
「どこでしょー」
 灰色の石で組まれた、広々とした空間に困惑の度合いを深める。
 茜は強く目を閉じた。身体を丸くして震えると一気に笑顔で跳び上がった。
「異世界転移だよ! 絶対にそう! わくわくの冒険の始まりだね!」
「少し落ち着け」
 起き上がった直道は衝撃でずれた眼鏡の位置を正した。すぐさまスーツのポケットからスマートフォンを取り出した。
「圏外か」
 画面を見て溜息を吐く。顎を摩りながら方々に目をやった。
「密閉空間に思える。息苦しさは感じない。光源は見当たらないが、かなり先まで見える。原理はわからないが……」
「こっちに箱があるよー」
 少し遠いところから冨子の声がした。茜は笑顔で走り出す。
「勝手なことを」
 苦々しい顔で歩いて向かう。
 三人は箱を囲んで見下ろす。全体がすすけた茶色で蓋には独特な丸みがあった。補強された金属には錆が見て取れる。
 茜は我慢ができない様子でそろそろと手を伸ばす。
「これ、宝箱だよ。木製だからあまり中身に期待できないけど」
「罠の可能性は?」
 直道が茜に顔を向ける。
「そんなこと言ってたら何もできないよ!」
「もう少し調べてからでも」
「ぱかー」
 陽気な声で冨子が箱の蓋を開けた。中には手作りのような縫いぐるみが収められていた。
「え、装備とか武器じゃないの?」
 茜が驚いた顔で覗き込む。冨子は縫いぐるみを取り出して直道に差し出す。
「うさちゃんでしたー」
 引き結んだ口で受け取った。子細に見ると両方の耳の長さが微妙に違う。目の代わりに丸いボタンが縫い付けてあった。その下には斜めの糸が通って生意気そうな笑みを浮かべていた。
「ピンクのウサギっていたっけ?」
 茜は薄気味悪い物を見るような目付きで言った。
「ただの縫いぐるみだが、ここでは軽視できない」
 スーツのポケットに脚から無理矢理に押し込んだ。外を覗き見るような格好となって多少の愛嬌が生まれた。
 三人は固まって床や壁を見ていく。調べる時間が長くなる程に愚痴が多くなる。
 茜は立った状態で片方の足の裏を手で摩った。
「靴がないから痛くなってきたよぉ」
「そうねー。どこかに揃えて置いてないかしら」
「スカートで……」
 ちらりと見える水玉に言葉が続かない。やむなく顔を背けて言った。
「都合よく靴など……あった」
「どこ、どこ!」
 真っ先に茜が話に食い付いた。直道が指差したところに三足の靴が置いてあった。人数分の為、一層、警戒心が強まる。
 他の二人はすでに走り出していた。直道は目頭を揉んで歩き出す。
「このシューズ、足にぴったりだよ!」
「私のパンプスも良い感じねー」
「これは」
 残された最後の革靴を直道が履いた。その場を足早に回るようにして歩き、軽く跳んでみた。
「まるで自分の靴のようだ」
「これからが本番だね。早速、降りてみようよ」
 茜は地下への階段を目にして声を弾ませた。
「何故だ? 上り階段を探した方が」
「この展開は地下が絶対にゴールなの! ダンジョン物の定番だし、ゲームでも鉄則なの!」
「……ゲーム、か」
 直道は口にして黙り込む。茜の苛立ちは募って片方の脚が小刻みに動く。冨子は糸目の状態で黙って言葉を待った。
「そうだな。ゲームの否定は良くないな」
 三人の意見は一致した。揃って地下への階段に一歩を刻んだ。


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