ウォーキングハイ 歩いている途中で倒れた ひとり旅の思い出 2

差し障りがあったらいけないので、具体的な地名は言いませんが、とある東北地方の民話の里でのこと
大学2年生の夏休みを利用して、例によって大きなリュックを背負って歩いていた。 
そして、ひとり旅3日目のことだった。

東北は涼しいと思いがちだが、フェーン現象等の影響から暑い所はとてつもなく暑い。
そこは、ひとつひとつの観光スポットが離れていたため、ひとつ見学すると次の目的地までかなり歩かなければならなかった。
僕は水筒の水を飲みながら歩き続けた。
さすがに疲れて、もう歩けない、という所まで来た  
林のなかのような所を歩いていたのだが、遠くに民家が見えて来た。

水筒の水が少なくなっていたので、何処かの家で
水を分けてもらおうと思い、頑張って歩き続けていると、急にすっと身体の疲労が取れて足取りが軽くなった。そして、何処までも歩き続けられる気がして来た。これは調子がいいぞと思いながら歩き続け民家の近くまで来た。 

最初の民家の庭で奥さんが庭に水をまいているのが見えた。あの奥さんに水を分けてもらおうと思ってまた歩き続けると、急に足が重くなった。そして僕は跪いた。そして両足全体が動かなくなり、そのまま前に倒れた。起き上がろうとしても、腕も顔も動かない。
一体何が起きたかのか分からなくて、今度は恐怖が襲って来た。
すると、庭に水をまいていた奥さんが、僕が倒れるのを丁度見ていたらしく、奥さんの声が聞こえた。

「きみ!どうしたの?」
「身体が全然動きません。」
「えっ?身体が動かない?
大変、お父さ〜ん、救急車呼んでー!早くー!」

奥さんの旦那さんも来てくれて、
「きみ、大丈夫か?」
と言って、救急車が来るまで側に居てくれた。

少しすると救急車のサイレンの音が聞こえて来た。
救急救命士の人たちが僕を坦架に乗せて救急車に運び入れた。
救急車が発進すると、救急救命士の人たちが絶えず話しかけて来た。
君の名前は?住所は?誕生日は?
後で知ったのだが、これは意識を失わないようにさせるためだった。
救急車のなかでは目を閉じて休ませてくれない。

病院に到着すると、僕は担架のままストレッチャーに乗せら、病院のなかを運ばれて行った。
ストレッチャーで搬送しているのは救急救命士の人たちで、看護婦さんが3人ついて、今度は看護婦さんたちが絶えず僕に話しかけて来た。

病室では既に医師の先生が待っていた。
先生は僕の脈拍を見ながら、僕に症状を聞くと、
緊急措置の必要はないがCTをすぐに撮るようにと言い、今度はCTの部屋に入りCTを撮影した。
そして病室に行き、医療機器をつけられると点滴をしてくれた。
看護婦さんが
「大丈夫ですよ、このまま1時間ほど休んでいてください。先生が来ますから。」
と言った。

先生が来て、こう教えてくれた。
簡単に言ってしまうとガス欠。つまり、3日間歩き続けて筋肉に必要な栄養素が無くなってしまって、
身体中の筋肉が動かなくなった。
人間はそうなる前、身体中の疲労が取れて身体が軽くなり、永遠に歩き続けられるような状態になる。
俗に言うウォーキングハイみたいな状態になる。
本来ならこの時点で休息を取らなくてはならない。
ところが僕は歩き続けてしまった。
結局、筋肉に必要な栄養素が無くなり身体中が動かなくなってしまった。
日本人は米を食べないと力が出ないと言う。確かに米には沢山の栄養素が含まれている。
ところが、筋肉に必要な栄養素は米よりも小麦の方が何倍も多く含まれている。
対策としては、朝フランスパンを買って、それを少しずつ食べながら歩くこと。
そうすれば途中で身体が動かなくなることはない。
とのことだった。

結局僕は3日目に退院した。
救急車を呼んでくれた奥さんにお礼を言って、
その旅はそこまでにして東京のアパートに帰った。
それ以降のひとり旅は、フランスパンを食べながら歩いた。





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