エッセイ : 僕が生きた昭和という時代 序章 / 今の結婚式と昭和の結婚式(結婚は男の権利を半分にして義務を2倍にすること ショーペンハウエル)

先日、娘の結婚披露パーティーに出席した。
娘のウェディングドレス姿に涙を浮かべながら、
僕も妻も同じことを考えていた。

僕たちが結婚したのは1991年で平成3年だ。
元号こそ平成だったが、まだ昭和の慣習やしきたりのようなものが色濃く残っていた。
僕が地方の街に生まれ育ち、地方の街で結婚式を挙げたからかもしれないが、当時の結婚式は、
1、お仲人さんがいて、結婚披露宴には新郎新婦の隣に座った。
2、僕たちの結婚披露宴の出席者は両家合わせて約200人だった。両家の家族と親族、そして、会社関係の人達、新郎新婦の友人、そして何と近所付き合いのある人達まで出席したからだ。
3、結婚式は神前結婚式が主流だった。新婦は文金高島田に着物、新郎は紋付袴。披露宴の途中でお色直しがあり、新婦はウェディングドレスに新郎はタキシードに着替えた。
4、料理は魚の鯛を中心とした和食
5、お仲人さんのスピーチから、新郎新婦それぞれの会社の上司のスピーチ、最後に新郎新婦それぞれの友人のスピーチがあり、漸く乾杯となった。その後、出席者による余興が次から次へと行われた。
殆ど宴会的雰囲気だった。
6、出席者には数々の引き出物と呼ばれるお土産が
手渡され、披露宴の料理も半分近くが家に持ち帰ることが出来るようになっていた。
昭和の結婚式も確かに新郎新婦のためのものであったことは間違いないが、同じ位、両家及び両家の親族、そして会社関係の人達と友人等へのお披露目という意味合いが強かった。
そして莫大な費用がかかった。

先日出席したのは娘の結婚披露パーティーだった。結婚式自体は済ませてあった。出席者は結婚式も結婚披露パーティーも両家の家族と新郎新婦の親しい友人達のみだった、
東京の老舗のフランス料理のレストランを貸し切って行われた。
料理もワインも高級な物ばかりで、どの料理も食べる度に、その美味しさに感動し驚いた。シャンパンもワインも格別な味だった。
かなりの費用がかかったと思うが、昭和の結婚式の費用ほどはかからなかったと思う。
新郎新婦も僕達と同じテーブルに座り、食事をしながら楽しく話をし、両家の家族同士、コミュニケーションをよく取り、お互いの距離も縮まり、親交を深めることが出来た。
ウェディングケーキ入刀も、僕達が結婚式を挙げていた時代のウェディングケーキは、5段重ねの豪華なケーキだった。だが実物は、殆どがプラスチック製で二人でナイフで切る部分だけがスポンジケーキになっているという物だった。
娘の結婚式のケーキは、人気ケーキ店のパティシエさんに作ってもらった、オリジナルのウェディングケーキだった。ウェディングケーキ入刀の後、そのケーキを切り分け、レストランのシェフがお皿にのせ、その周りにフルーツやアイスクリームを添え、
見事なデザートにしてくれた。

娘の結婚披露パーティに出席していて1番感じたのは、心がこもっている、ということだった。
常に暖かみが感じられ、幸せなムード一色だった。
娘のパートナーの御家族の方々と、これから伴に
若い二人を暖かく見守って行こうという気持ちを、
共通して持つことが出来た。

僕も妻も、娘の結婚披露パーティを羨ましく思って見ていた。僕も妻も、娘たちのような結婚式を挙げたかったのだか、その当時の時代やその土地の慣習やその当時の親戚関係、会社の方々との付き合い等から昭和の結婚式及び結婚披露宴をせざるをえなかった。
自分達の挙げたい結婚式を挙げられる今の若い人たちを羨ましく思ったと同時に、自分たちの挙げたい結婚式を挙げられる時代が日本にも来たことを嬉しく思った。

僕達の世代の人達(今の還暦過ぎの人達)の中には今の若い人たちのことを良く言わない人が多い。
そして自分たちが若い頃と比較してダメ出しまですることがある。
だが今の令和の時代と自分たちが若かった頃の昭和の時代とは、当たり前のことだが違う。
職場で若い人たちの悪口を言う昭和のおじさん達、
僕も含めてこういうおじさん達が就職した頃は、
新入社員は朝会社に来たら、オフィスの掃除をし、
ゴミを捨てに行き、場合によっては机の上を拭く。
これは昔からの慣習としてやって来たことだ。この
当時は、昔からの慣習で仕事をすることが殆どだった。
だが今は契約というものが1番の基本となる時代。
働く場合は、その会社と個別の雇用契約書を結んで働き始める。極端な言い方をすれば、その雇用契約書に書かれていない仕事はしなくても良い。雇用契約書とはそういうものだ。
だから雇用契約書に、掃除やゴミ捨て等の記載がなければやらなくて良い。やらないからといって批難される筋合いもなければ査定に影響が出ることもない。これを昭和のおじさん達は分かっていない。
だから、新入社員の人たちが朝会社に出社して、掃除もゴミ捨てもしないと、新人のくせに生意気だの
今年の新人はなってない等と言い出す。

僕達が就職したのは男女雇用機会均等法が制定されたかされないかの頃だった。
女性は職場で明らかに見える形で差別されていた。
勿論、男女平等という意識もかなり低かった。
僕達の世代のおじさん達のなかには、令和になった今でも、職場のお茶汲みは女性の仕事と思っている人までいる。
男女平等の感覚は今の時代に合わせてきちんと持っていないと、女性だけではなく、今の若い人たちみんなから嫌われてしまう可能性もある。

僕は個人的に今の若い人たちは好きだし、今の若い人たちは僕達の世代では太刀打ち出来ないものを持っているし、信用出来ると思っている。
今の若い人たちは僕達の世代の人たちに比べて、
環境問題への意識が高い。
人間、還暦も過ぎれば、地球は自分が生きている間大丈夫ならそれでいいと思う人も出て来る。
若い人たちは後何十年も生きるわけだから、こういう考えの人達に反感を持つのは当たり前だと思う。
若い人たちの中には、ゴルフをしている人達に反感を持っている人達がいるという話を聞いたことがある。日本にあるゴルフ場は森林を伐採して作った、
つまり大規模な自然破壊によって作られたもの、そんな施設を利用してスポーツをしている人達に反感を持っているらしい。
全く同じ理由でスキーもスノボもやらない、正確には大規模な自然破壊によって作られたスキー場を利用しない人達もいるみたいだ。
IT機器を使う仕事は、僕達の世代の人達は若い人たちに太刀打ち出来ない。
また、僕は娘たちやその友人等、また仕事を通して若い人たちと接して来たが、今の若い人たちは、僕達の世代の人たちよりも、ある意味、心が広いと思っている。
今の若い人たちは、こちらがきちんと礼を尽くし、誠実に謙虚に接すれば、僕達の世代の様な人達でも
拒絶しないどころか受け入れてくれる。しかも、共存ということまで考えてくれる場合まである。
若い人たちを頭ごなしに拒絶する人達に比べると、
かなり心が広いし度量も大きい。

今の結婚というかパートナーと一緒に生きて行くということに関しては、今の若い男の人達は女性の立場を尊重している場合が多い。
今回、僕の娘が結婚したが、家事は分担制だ。
そのことに関して、娘のパートナーの彼はなんの異議も唱えなかったという。
娘の方が仕事で遅くなる場合は、パートナーの彼は
自分の分と娘の分の夕食を作って待っていてくれているという。僕達の世代のおじさん達は見習わなくてはならないと思う。
正にショーペンハウエルが言ったように、
結婚は男の権利を半分にして義務を2倍にするもの
という時代に日本もなったと言えると思う。

僕達の世代の人間は、若い人たちに自分が今まで生きて来た経験や知識を謙虚に伝えた後は、今の若い人たちに全て任せるべきだと思う。
いつまでも社会の第一線にしゃしゃり出ていてはいけないと思う。
還暦過ぎの人達に1番欠けていると思うことは、社会の第一線から身を引く潔さだと思う。
僕は娘の結婚披露パーティーに出席して、このことを痛感した。
そして僕は、僕が生きた昭和という時代のタイトルのシリーズエッセイを書くことにした。

このシリーズエッセイのなかでは、僕が実際経験したことの他に、高校や大学で勉強したこと、いろんな方に教えて頂いたことも書くつもりだ。
僕の書くこのシリーズエッセイの中に、誤りや誤解等があったら遠慮なく指摘してください。
僕自身も正しい昭和史を勉強したいと思っているので、有り難く思います。
読んでくださり、ありがとうございました。











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