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「令和」という元号・[日本神話]の裏話

なぜ、日本だけが「元号」にこだわり、使用しているのでしょうか?
それには、歴史的な背景があるからです。
私は「昭和」「平成」「令和」と、3つの元号を使ってきましたが、それぞれに「いわれがある」のです。

       では、平成という元号の背景はなんですか?

「平成」という元号は、
司馬遷の『史記』と『書経』の中から採られたようですね。

史記の<内平天成>と書経の<地平天成>は「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味で使われたのですね。『史記』や『書経』については、別の機会に触れることにしますが、元号の「出典の根拠=典拠」があることは記憶しておきましょう

        なぜ、元号が「令和」なったのですか

率直に言えば、新しい元号は、他国からの借用ではなく「日本独自のもの」にしたいという「意志」が働いていたからですね。今回は、意志の主が「誰だ」という詮索はしないでおきましょう。
元号は「日本独自の文化だ」という意志です。根拠になったエピソードを確認しておきましょう。

むかし・むかし・・・西暦730年・2月の梅の花が咲き匂う日ののことです。
九州・太宰府に赴任していた「大伴旅人という高級官僚」が、地域の著名人を集めて宴会を開催しました。
ここに集まってきたのは32人。そこで、「1人1首ずつ和歌を詠う」ことになりました。「カラオケで1人1曲歌う」というイメージです。軽いかな?
それを少し高級にした感じです。(笑い)

そこでいろいろと「詠われた歌」が、のちに編纂(へんさん)された「萬葉集」に収録されました。が、その『序文』の中に「初春令月、気淑風和(しょしゅんのれいげつにして、きよくかぜやわらぎ)」があるというのです。
これが、「令」と「和」の根拠だそうです。

どんな意味かといえば「初春のこの良い月に、気は良く風はやわらか」ということです。春の訪れを喜び、みんなが和やかに歌を詠んで楽しむ。採り出した漢字だけに着目すれば、「和しむべし」「みんなで仲良くしましょう」ということですね。
この時に漢文で書かれた序文の中か、今回の「令和」が採られたというので
あるのです

    しかし、同じような内容が、中国の古典にあるのです。    

日本独自の「万葉集が典拠だ」といっても、当時のインテリの教養は「中国の古典を学ぶこと」でしたから出典としなくても、教養の一環なんですね。現在の英文学やフランス文学の基礎教養と似ています。

『文選』は、古代中国の知識人が学習する基本的な書物です。
日本にも早くから伝わり、教養人貴族・有識者の「教科書」の役割を果たしたものですから、日本の文学作品に大きな影響力を持ったのは当然なことです。

だから、中国・後漢の文人である張衡(ちょうこう)という人の「帰田賦(きでんのふ)」という作品に、今回の「序文」と同じような一節がみられるのは、現代の人でもすぐにわかるのです。chat GPTでは、もっと早いですね。

「令和」の出典に拘って「云々」をいった人は、このベースになった書籍を無視していましたが、現在は何と思っているでしょうか?

平成までの元号の「出典」が、中国の古典「漢籍」であるのに対して、令和の出典が「日本の古典」であるということに「こだわった」からですね。
あれから「5年経過」して冷静になったでしょうか。

       日本で「元号」が使われたのはいつからですか?

 日本で初めての元号は「大化」です。「大化の改新」でしたね。
なぜ「大化」という元号が選ばれたのかはわかりません。
しかし、歴史を見ると「近代国家に切り替えよう」とした当時の政治家の「強い意志だ」と見て取ることができます。

当時の政治モデルは「唐」です。
国際的な国家である唐は、第2代皇帝太宗(たいそう)の時代に「貞観の治」と呼ばれる理想政治を実現していましたからね。長安を都とする官僚国家でした。

 遣唐使や留学生として、レベルの高い唐の制度に触れてきた人々は、日本を、何とかして「近代国家」に変えようとしました。そこで中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が中心になってクーデターを起こすのですね。これが「大化の改新」(645年)です。

 やがて、皇子が「天智天皇(てんちてんのう)」になり、「仕掛け人の鎌足」の一族が権力を握りました。後に「藤原氏」を名乗るのですね。
いま伊藤・斎藤・近藤など「籐」という苗字を持っている人は、この藤原氏の流れだといっていますね。・・・実際は知りませんけど(笑)

 天智天皇の弟の「天武天皇(てんむてんのう)」(686年)が即位すると、一気に中央政権国家体制が整います。
この中で、『古事記』(712年)が編纂されます。日本語で表記できないから、漢字を当てました。素人にはとても読みにくいです。

続いて『日本書記』(720年)が編纂されますが、古事記とダブって記録されているのは、一層国家統一の目的をもって編纂されたからだと言われています。政治的な色彩が強いですね。
その約40年後、天皇から庶民に至る人の和歌約4500首が編集されます。これが「万葉集」(759年)です。やっぱり読みにくいですね。

天皇から防人(さきもり)・大道芸人・農民まで、幅広い身分の人の歌約4500首が編集されます。ここでうたわれている「庶民の歌」は、編纂者が意図的に造ったという説があります。
当時の「庶民の学力レベルでは無理だ」というのです。私も賛成です!
日々の生活に、四苦八苦している庶民が「歌」なんてうたえる「ヒマも教養もない」と思うからです。どのように思いますか?
現代の「ゴーストライター」です。

             古事記にある「神話」を分かり易く読み解く
ここで『古事記』や『日本書記』にかかれている、日本の神話をまとめておきましょう。
神話・伝説の類ですから、若い人に伝わりやすいような書き方をします。

ギリシャ神話のゼウス(英:ジュピター)を中心にした神様たちが、オリンパス山で暮らしていたように、日本の神様たちも天空[高天原(たかまがはら)に住んでいました。
ある時、下界を見て、ここにクニを造ろうということになりました。

担当したのは、「イザナギ(伊弉諾尊)」と「イザナミ(伊弉冉尊)」という男・女2人の神様でした。彼らは、混とんとしている天地をかき混ぜて日本の島々をつくりました。最初は、淡路島からです。( こんなところから、日本が始まるのです。)

 高天原はどこにあるのか。そこで神々はどんな生活をしているのか。「神話」ですから究明しようがありません。やっぱり、神様方も「食べたり飲んだり」トイレはどうしていたかなんて、人間臭いことはいいっこなしです。

ここでイザナギ(男神)とイザナミ(女神)は、たくさんの神様を生みます。
目から・口から・耳から・・・ありとあらゆるところから神様を生みます。やたらに多くて数えきれないくらいです。だから(八百万の神=ヤオヨロズ)です。すごいですね。

        ドラマティックな神話の展開
イザナミは、最後に「火の神様(火之迦具土神[ひのかぐつちのかみ])」を生んだので、陰部を火傷して死んでしまいます。すごく「人間らしい」ですね。出産は、人間と同じですね。
恋女房に死なれてホトホト困ったイザナギは、黄泉(ヨミ)の国へ行って妻を連れ戻そうとします。が、すでに死者になり、変わり果てた姿になっていたイザナミは「醜い姿」を夫に見られたと激怒し、イザナギを追いかけます。女性の見栄ってレベルじゃないです。怖いです。

 やっとの思いで逃げきって、「日向の橘の小戸」の阿波岐原(あわぎはら)というところで、黄泉の国を訪ねたためについてきた「穢」(ケガレ)を、水に入って流します。

これが「禊」(ミソギ)・「祓い」(ハライ)のスタートです。
「水に流す」,身を「清める」のです。その途中で、左目から生まれたのがアマテラス(天照大神[あまてらすおおみかみ])、右目からツキヨミ(月夜見尊[つきよみのみこと])が生まれ、鼻からはスサノオ(素戔嗚尊[すさのおのみこと])が生まれます。3人です。

天岩戸の物語
やがてアマテラス(姉)とスサノオ (弟)が大喧嘩して、姉が怒って「天の岩屋」に隠れてしまいました。困った神々は、岩屋のまえでドンチャン騒ぎをしました。アマテラスは「私がいないのに、どうして騒いでいるのでしょう!」と、「そっと」岩戸を開いたら「待ってました」と力の強い神様が腕力で岩戸を開き,二度と岩戸に戻れないように「連縄(しめなわ)」した。

自然科学の観点から言えば「皆既日蝕」ではないかといわれますが、太陽神のアマテラスが崇拝される理由につながりますね。日本の神話も派手です。
正月に「しめ縄」を、やっているところもありますね。理由がわかず!

悲劇の美女「コノハナサクヤ姫」の物語

 アマテラスは孫の「ニニギ(邇邇芸命[ににぎのみこと])」を高千穂におろして、葦原中国( あしはらのなかつくに)を治めさせようとします。
ニニギは「オオヤマズミ(大山津見神)」という地域の神様から、夜伽に2人の娘を差し出されます。しかし、ブスのイワナガヒメ(石長比売)は返し、美人の「コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)」と結婚します。

一夜だけで妊娠したので、ニニギは「不倫」を疑います。
怒ったコノハナサクヤヒメは「ニニギの本当の子なら何があっても無事に産まれるハズ」と「産屋(うぶや)」に火をつけて死にます。
「サクヤヒメは桜の精」ですから、桜は美しいがはかなく散ってしまうことと繋がるのですね。
この辺のドラマティックな展開は、日本の神話のヤマ場です。産屋とは、出産のための特別な家です。この時、コノハナサクヤヒメが産んだ子供が「海幸彦(うみさちひこ)」「山幸彦(やまさちひこ)」ら三柱(みはしら)の神様です

         浦島太郎の話とつなげる

この兄弟対決のドラマを「民俗学」では、海彦・山彦の話と浦島太郎の話と繋げる人がいます。神話・伝説ですから、かなり曖昧ですが、兄・弟対決に勝利した山彦は、竜宮城から連れ出した乙姫様との間に「孝明天皇」を誕生させたというのです。孝明天皇の子孫が「神武天皇」だと言われます。こうなると、神話が、神話ではなくなって、現代に繋がり、生臭くなりますね。

海彦・山彦を画材にした青木繁さんの「わだつみのいろこの宮」という油絵が有名ですね。「わだつみ」とは海神・「いろこの宮」とは魚鱗の宮殿のことです。

めっぽう強いスサノオの「ヤマタノオロチ退治物語」

一方、あまりの乱暴で高天原を追放されたスサノオは、出雲に降りてきます。そこで彼は、大蛇に食べられそうになっていた「クシナダヒメ(櫛名田比売)」の救済のために、上流の大蛇を倒すことになります。「ヤマタノオロチ」の話です。
 頭と尾が8つある大蛇を倒し、尾っぽから「鉄製の剣=草薙の剣」を発見するのです。静岡に「草薙神社」があります。この話は別の話になります。

スサノオの子孫に「オオクニヌシ(大国主神)」がいます。絵本などで大きな袋を担いだオオクニヌシの話や「因幡の白兎」(イナバのシロウサギ)で知っている人が多いでしょう。

上流のたたら(製鉄・鉱山)を開発している人々が、下流の稲作民にとって大切な「水を汚す」ので困っていたという「水争い」がベースにあるのでしょう。
スサノオは、ギリシャ神話のヘラクレスに似ています。やたらに強くて乱暴です。しかし、どこかしら「可愛いところ」があるのです。
やがて「スサノオ系の出雲」に、「アマテラス系の大和」が「国譲り」を要求し、神話が、現世的になっていきます。ここからは「歴史」です。
出雲大社に行くと、奈良・京都のヤマトとは異なる文化圏だと感じますね。

また、宮崎駿さんの「もののけ姫」はこんな話を下敷きにしていると思います。映画「千と千尋の神隠し」も、日本の神様オンパレードでユーモラス、明るいですね。
宮崎さんのアニメや、手塚治虫さんの「火の鳥」は日本神話をベースにしていますね。日本の伝統文化は私たちの基層基盤です。

      


 


 

 

 


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