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悲しいときはいつも

8月15日。
70余年、政治家は気取って終戦記念日と称してきました。ずばり敗戦日であり、失われたものは物的な資産よりも、人的な能力だとされます。これほどの人材淘汰を強いて、一兎を得ずで幕を引いた、日本史上稀有なる悲しい日です。

とはいえ、この日から誰も血を流さずに済む。

そのことは喜ばしい記念日だったに相違ない。
当家も南方で戦没軍人を出した、ありふれた一己の家であります。靖国で名前を見つけられませんでしたが、戦没者遺族の申請はきちんと行っております。

従軍手帳がいまも仏壇に残されています

昭和までは、先の大東亜戦争が生々しく日常にあって、口にすることも憚られた。あんなに綺麗になった立川駅のウインズがある側には、軒下で傷痍軍人の体である方が缶からを置いて物乞いしていた。遠いむかしの出来事になりました。もう、みんな忘れただろうけど。

昭和の時代、子供たちが戦争を学んだツールのひとつが漫画。
はだしのゲン
を読んでトラウマになり寝られなくなったこともありましたが、国籍や官民を超えて戦争の虚しさを教えてくれたのが、
戦場まんがシリーズ
と称されたもの。のちの
「ザ・コックピット」
です。アニメにもなりましたし、主題歌は涙腺を刺激する……今回のタイトルにも歌の名前を用いました。

レーザーディスクはなにものだ

令和の時代になり、

先の大戦は歴史の無機質な渇きの彼方へ流れて行って、その湿度も感じられなくなった。

若い人は、テレビの中でしか戦争を客観的にしか観ることが出来なくなった。
いいことなんだけど。決して悪いことではない。

しかし、戦争は勝ったから正義だというステレオタイプな結論には至らないもので、やるからには双方の主義主張があって、ともに罪深いということも理解しなければいけない。

大義なき戦争。道義を持たぬ戦争は、ただの殺戮に過ぎない。

戦後、日本だけが負けた割を食って、その殺戮レッテルで責め続けられてきたことも。今もその負を背負っていることも、忘れないで欲しい。
ただし安っぽい「戦争反対」をここで述べるつもりはない。

日本人なら、正午の黙とうくらいしようよ。

ただ、それだけが云いたかった。

今まで近代史を敬遠してきました、萩原タケを描いたことで、ようやく近代史も生乾きな部分が少なくなったと感じています。
次回準備作のひとつは、その戦争の時代へ正面から取り組む予定です。

満蒙開拓平和記念館

黙祷。