見出し画像

人買い

人買いとは・・・人身売買を業とした商人。人商人ともいう。
律令制時代より人買いは存在していた。いつの世にもついて回る、厭な印象しか思い浮かばない。時代によっては、これが公然と許されていたのだから現代は平和だ……表向き。

南信州新聞で連載されている「満洲-お国を何百里-」の第1話は、この人買いを題材に、振り回される家族のオムニバス作品だった。
満洲に移り住んだ日本人は数段階に分けられ、少なくとも初頭の入植者は現地の人とも上手に関係性を維持できた。日本人ファーストの意識が少ない人もいたと理解して、フィクションの一家と使用人と地域を構築。
その平和のなかに、波風を立てた「人買いの騒ぎ」を描いた。

そして、この理想的な関係こそが、綺麗事でいう満洲の理念だと、整理するつもりでもあった。現実として綺麗事では済まぬことも多かったし、天地ひっくり返る事態が発生したとき、善良な日本人以外の民族が牙を剥いたのは「そういうこと」という罪も承知した上での、理想だった。

作品は現在、第2話「金融異人」という、外国人資本家の目から見た満洲というオムニバスが終わったところ。人買いの話は終わっている。これは時代背景を描くために実在の人物を用いているが、その人物として歴史的結果を崩さぬよう、創作をしている。全く切り口を変えた満洲観だ。

旧満洲の資料は、悲劇を前提としたものが多く、正直、連載をしておきながら今なお「これでよかったのか」と悩むことも多い。
ふと、良心を苛むこともある。
偽善と理想ばかりを押し付けて、実は本質の問題から、目を背けていないだろうか……と。

作品で一貫させるテーマは
「誰の心にもあった、当たり前の日常生活」
の発見である。
だから、知ってしまった結末(昭和20年8月8日以降)を押し殺して、暗愚なまでに平穏な日々を描くしかない。無理もあるが押し通した作品もある。
満蒙開拓団。
元々の大陸に渡った方々全員の胸にあったのは、「罪」でも「悪」でもなく「夢と希望」だけだった筈なのだ。その日々をなかったことには、出来なかった。したくない。
しかし生乾きの歴史で、生きている方もまだ大勢いるなか、戦争も知らない世代の私見が辱めてはおるまいか。怒りの目で紙面を睨む方だっているのではないか。

前にもここで書いたと思うが、もう亡くなった満洲帰りの方から
山崎豊子作「大地の子」が、実際とは異なり生やさしい。現実はあんなものではない
と、聞かされたことを、ずっと胸に刻んでいる。
日本人は、戦争を知る世代と知らぬ世代。その知らぬ世代の次世代と、それぞれが別の民族のように意識を違えていると、勝手に思う。誤解であって欲しい。でも、恐くて耳を塞いで、知る努力を怠っている。怠っていた。自分自身もそれは否定できない。

この葛藤は最終回を迎えるまで続く。
自戒と自滅させる無間地獄であることは間違いない。

人買いは犯罪です。