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No. 35 英語教育とidentity 24【"一人称"というidentity】

はじめに


今回はとっても軽い内容ですが、そのぶん身近に感じられる内容になっているかと思います。

題して、「"一人称"というidentity」です。実はこれ、以前の投稿の内容の、より一人称にフィーチャーしたバージョンです。なので既視感があるかもしれませんが、それなりに面白い内容になっていると思うので、是非最後まで読んでください!


一人称というidentity

"先生"というidentity

先日僕が勤務している高校の偉い先生が、高2の生徒に対して、「先生は〜」と自分のことを「先生」といっていました。これに僕はすごい違和感を覚えました。なぜこの先生は自分のことを「先生」と呼ぶのだろう?

もしかしたらただの口癖かもしれませんが、一人称の持つパワーについてはもう少し自覚的になる必要があるのではないかと思います。特に日本語においては、です。

高校生からしてみれば、「先生は〜」と言われることで、暗に「生徒」というポジションに置かれることになります。つまり、「生徒identity」を強いられることになるのです。もちろん「先生ー生徒」という関係なのだからそれでいいのではないか、という考え方もあると思いますが、このような言葉によるdistanceは、良い意味でも悪い意味でも、彼らの関係性に影響をしかねないので注意が必要です

生徒identityを強いられたからといって、何か困るかというと困らないかもしれませんが、一つ言えるのは、「少し子ども扱いされているな」と感じることになるとは思います。なんとなく「先生は〜」という話し方が、小学校でよく聞きそうな言い方だからです。

もしかしたらそれが「懐かしさ」や「心地よさ」を生むのかもしれませんが、そこまで自覚して自分のことを「先生」と称している人がどれくらいいのでしょうか。もう少し一人称のパワーに自覚的になってもいいと思います。

私・僕・オレ・自分

今度は僕自身の一人称について書きます。

「標準」的な日本語で言えば、フォーマルな場面ではジェンダー問わず「私」と称するのが自然かと思います。だからこそ僕は、職場やこのようなブログにおいても「私」はあまり使わないようにしています。それはある意味で、「フォーマルな関係を強いること」であり、上記のようなdistanceを生む行為であると思うからです。

かといって、「オレ」というのは何かカジュアルすぎるな(普段プライベートで使っているから)と思う時は、「僕」を使うようにしています。なので職場やこのブログでの一人称は大抵「僕」になっています。職場の皆さんや読者の方々にどう響いているかわかりませんが、少なくとも僕は「僕」が一番フィットする感じがあるので、「僕」でいっています。

僕の場合、「オレ」はいわば「インフォーマルなidentity」を表しています。気楽と言えば気楽ですが、普段「僕」といっている相手に間違えて「オレ」といってしまった時には少し恥ずかしさを覚えるので、使う時は結構慎重になってしまいます。そう考えると、僕を「オレ」たらしめているのは僕自身なようで、実は相手との関係性なのではないかと思えてきます。

また、僕は生徒に対しては「オレ」とはいわないようにしていて、代わりに「僕」というようにしています。それは上に書いた理由からです。生徒との間に友達と同じような関係を築きたいわけではないし、かといって「先生」と自分を称することで相手を「生徒」にしたいわけでもない。そのような「パワー関係」から逃れるために、「先生」でも「友達」でもない「僕」でいようとしているのです。

最後に、「自分」という一人称に関してです。僕はこう見えて(猫の姿しか見せていないけど笑)、高校時代はゴリゴリの体育会系(+男子校)で育てられました。そこで教わった一人称が「自分」で、これは先輩や部活の先生に対して使う言葉だと教わりました。その時は何も考えず「自分」と呼ぶことにしましたが(先輩怖かったからね・・・)、今思うととても不思議な経験です。この「自分」という一人称は、ソースを忘れてしまったのですが、一番"selfless"だから体育会系などで使われているのだそうです「私」「僕」「オレ」に帯びているニュアンスのないニュートラルな「自分」。つまり、「世俗的でない言葉」 ー日常的に使われる言葉でなく、体育会系以外のどの文脈にも根付いていない言葉ー だからこそ表せる「自分」なのです。

ただ意外にも、職場などで「自分」という一人称を使っている人を時々見かけます。「この人体育会系なんだな〜」と薄々感じますし、それと同時に「この人はこれでいいのかな〜」に気になってしまいます。本人がそれでいいのなら文句などないのですが、「自分」という一人称を使われると相手が少し不思議な感覚になるのは知っておいた方がいいと思います。もしフォーマルにselflessでいたいのなら、「私」が一番世の中で受け入れらている一人称だということは知っておいた方がいいかもしれません。

自分の名前

これは特に幼い子や女子に多いのではないかと思います。もちろんことばは自由なので、このような一人称はやめた方がいいとは思いませんが、やはり「幼い」といった印象がついてくる一人称ではあると思います。

「自分の名前が一人称な人は嫌だ」という人も実はいたりします。あくまでことばは自由ですが、「先生」という一人称同様、一人称が持つパワーには自覚的になった方がいいと思います。

ちなみに先日、テレビ番組で自分のことを自分の名字で呼ぶ元アイドルさんを見かけました。他の視聴者さんがどう思われたのかわかりませんが、僕としては「なるほど」と意外な効果を感じました。それは、「つい名前を覚えてしまう!」ということです。

まず自分のことを自分の名字で呼ぶ芸能人がそう多くないので、それだけで目立つということがあると思います。そして、やはり繰り返し呼んでいると自然に耳が覚えてしまうのです。これは芸能人としては、とても大きなメリットがあると思います。

こう考えると、教員も4月などは「あえて」自分のことを呼ばれたい名前で呼ぶのもアリかもしれませんね。来年度少し実践してみようかな〜なんて、密かに思っています笑


おわりに:英語の一人称

いかがだったでしょうか。「先生」という一人称自体がまずいわけではないのですが、自分が選択する一人称がidentityの構築、表現につながっていくかもしれないということについては、もっと自覚的になっていいと思います。

さて、まとめとして英語学習と一人称について考えていきます。

英語での一人称は、知っての通り"I"一択です。少なくとも一般的に知られているものに限れば、Iを使うのが自然でしょう。

これが意味するものは、英語学習に関わるということは、自ずと"I"という新しいidentityを獲得・創出するということでもあるということです。


僕は実際、英語を話すときの方が日本語を話すときより気楽に感じることがあります。もちろん英語のほうが語彙力なさなどから不自由が多いのですが、その一方で相手との関係性や文脈に応じて一人称をその都度選択する必要性がなく、「一番自分らしく」いられているような気もするのです。

一方、英語母語話者の僕の友人は、日本語を学ぶことで新しい一人称を獲得できることを好ましく思っているようでした。そしてこのような一人称によるidentity shiftは、語学の初級者も経験するものなのです。決して高いレベルの言語運用能力が必要なわけではありません。第二言語を学ぶとすぐに始まるidentity workなのです。

僕も英語を学習し始めた頃は、このようなことなど考えずに "I like ~"と、ただただ"I"になっていましたが、英語学習とidentityについて勉強するようになってからはとても大きなことに思えてきました。実際この一人称の話を私の中学一年生の生徒にしたところ、「英語では"I"しかないのか!」と興奮気味で聞いていました。

ことばを学ぶということは、単に自分の母語の表現を別の言語で何というかを学ぶことではありません。このようなidentity workに関わることなのです。

こういったことを知ると、英語学習・教育がまた別の角度から見えてきて、より楽しいものになるかもしれませんね!

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