小説「魚の夜」

大丈夫だと言い聞かせて深呼吸をした。
窓には色とりどりの魚たちが張り付いていた。赤青緑。あかあおみどりだ。
心臓がどきどきして小学校の頃好きだった男の子のツンと尖った唇を思い出した。
昔ザリガニを飼っていたとき使っていた水槽を引っ張り出して台所に持っていった。手元が狂って蛇口を捻りすぎた。水は飛沫をあげてみるみる水槽を満たした。
重くなった水槽をリビングへ持って戻るとあかあおみどりと目が合った。窓に手をかけて開けようとしたが、外からの風で固くなっていた。精一杯体重をかけたら「ばん」という衝撃音の後にわずかに窓が右にずれ隙間ができた。そしてその隙間からものすご凄い勢いの風が部屋に吹き込んできた。私は手早くあかあおみどりを掴んで部屋に引っ張り込み、水槽の中に落とした。大急ぎで窓を閉めるも、部屋の中はすでにびちょびちょだった。
戸棚から雑巾を取り出してきて床を拭きながら、目の前の水槽に目をやった。あかあおみどり。透き通った水の中を泳ぐ三匹はきっと綺麗な南の海からきた魚だろう。はっきりとした原色の薄い体は、ここらに生息する生き物のそれとは明らかに異なっていた。南から吹く嵐でこんな田舎まで飛ばされてきたのだ。
「帰りたい?」
返事はなかった。ぷくぷくと泡を口から出していた。
あかが長兄のようだった。責任感のありそうな少し強張った顔で恐怖を見せまいと水槽内を回遊していた。きっと次男があおだ。心配そうに尾鰭を動かしてあかの後を追っている。末っ子のみどりはまだ自分たちの置かれている状況をわかっていないようで好き勝手に端っこの方を揺蕩っていた。
外はまだごうごうと風が鳴っていたがさっきより恐怖心は薄らいでいた。今日はリビングで寝ることにして、椅子やテーブルを寄せ布団を敷いた。寝るとき倒してしまわないように水槽は少し離れた見える位置に置いて照明を豆電球に落とした。
「おやすみ。」
明日晴れた町にはきっと台風が素敵なものを残していってくれている。まだ誰も外に出ていない早朝に宝探しに出かけよう。そんなことを思いながら目を閉じた。ぐるぐると胸の内に渦巻く気持ちをやがて睡魔が連れ去ってくれるだろう。私はじっと布団の中でそのときを待った。

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