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「積み上げる日々③‐発達障害当事者を生きる‐」note 公開版

※noteでの無料公開版です。同人誌としてイベント等で販売された物より挿絵や内容が少なくなっています。

CAUTION!

☆この本は個人の体験談です。医療情報や診断基準を提供するものではありません。
「発達障害」の診断や治療には、必ず専門の医療機関の受診を行ってください。

☆「発達障害」の特性(症状)には個人差があります。
作者の特性は全ての当事者にあてはまるものではありません。


授業中のエールさん
授業中は突っ伏して寝ているか、机の下で本を読んでいることが多かった。ADHD的な集中力のなさもあったし、ASD的な、興味のないことにはまったくやる気が起きない、という特性もあったと思う。
 授業を含め、学校生活には全く興味がなかった。

 中高一貫校の女子校に通っていた。
三年生の時に転校した小学校の持ち上がりだった。進学校ではなかったが、大学は推薦などを狙う人が多かった記憶。周りは普通に授業を受け、テストなども友達同士で情報交換をして要領よく進めていた印象がある。
 自分はどうだったかというと、「進路」のイメージは全くなく、いい成績を取りたいという気持ちも全くなかった。
 成績が悪ければ親や先生に怒られるイメージはあったが、それ以上に1時間1時間の授業を受けること、授業以外にさらに宿題やテスト勉強をしなければいけないことが苦痛で仕方なかった。
 学校には厳しい先生もいたが、優しいというか、深く関わって来ない先生もいたため、クラスでは「授業を受けていないのに注意されないのはずるい」とか言われていた記憶がある。

宿題とエールさん
小学校の時と違い、提出物、例えば「レポート」や「感想文」のような課題も多かったが、ほとんど提出しなかった。
 それは、頭に浮かんだことを文章にするのが苦手なこと、集中力がなくすぐに気が散ってしまうなどの特性もあった。
 そして当時の自分はそれ以上に
「学校でどう評価されるか」
「クラスメイトに何を言われるか」
に興味がなく、その結果
「その課題をやることによって生じるストレス」

「やらなかった場合に生じるストレス」
を比較した時に、「やることのストレス」が圧倒的に勝ってやらないことが多かった。
 そして、親には嘘をつくとか、表面だけ取り繕ってごまかすということが日常的になっていた。

クラスメイトとエールさん
小学生時代も、3年生以降は人と関わりたくて、やや一方通行ながら友達と遊ぶことが多かった。
 小学校5年生辺りから「空気が読めない」、「話が合わない」などの理由で上手く行かないことが増え、中高生時代は完全に孤立していたと思う。自分自身も、自分の世界を邪魔されたくない周期に来ていたというか、休み時間は一人で本を読むことが圧倒的に増えていた。
 「不登校」になるとか、「家は出るけど学校には行かない」という選択をしてもおかしくなかったと思うのだが、当時は家に居場所がなかったので不登校にはならなかった。

 これだけ問題があったのだが、家では学校のことを聞かれると、嘘をついてごまかす。家での勉強もやったふりをするなどが当たり前になっていたので、結局支援に繋がることは全くなかった。

おわりに

「積み上げる日々」は、「迷惑を積み上げた日々」の記録でもある。
中高生時代、コミュニケーションに関わる特性を一言でいうと、

「他者目線がない」

つまり、「それをしたら相手はどう思うかを想像することができない」


そのため、会話では

・会話の流れと大きくずれた返しをしてしまう。
・失礼なこと、相手に引かれるようなことを平気で言ってしまう。
・人から聞いたことを平気で周りにバラしてしまう。
などのことが頻繁にあった。

また、授業と一緒で、学校行事や準備活動に積極的に参加しない。割り振られた仕事も結局やらない、などが見られた。
 当時のことは、自分に特性の自覚がなかったことから、自分がどういう言動をして、それが相手をどれだけ傷つけたかを客観視することが難しい。

ただ、今回原稿を書くにあたって少し思い出しただけでも、
自分がやることをやらなくてクラスメイトに迷惑をかけたこととか、「思ったことをそのまま口に出す」ことで、明らかに人を傷つけた記憶がたくさん出てきて、頭を抱えてしまうようなことがあった。今回書いたことは本当にその中の一部でしかない。

 発達障害の特性の中でも「聴覚過敏」とか「予定の変更が苦手」といったものに比べると、今回の内容は、読んだ人が
「これはコミュニケーションの経験不足だったんじゃないか」
「実は環境が合わなかっただけだったんじゃないか」
と思うかもしれないものだと思う。
自分も書き始めは「これ特性か?」と悩んでしまった。
しかし、よくよく振り返ってみると、この時代の勉強やコミュニケーションに関わる問題は、大学生時代はもちろん自分が
「就労移行支援」でサポートを受けて就職するまで続いていて、

 やはり時間の経過や環境の変化で解決するような物ではなかったのだと思う。
勝手な思い込みかもしれないが、本来中学生、高校生であれば、意識として友人関係とか部活とかが一番身近にあって、その周りに将来の進路や就職、さらにその周りにニュースで話題になっている社会問題・・・という風に層になっていると思う。

 自分の場合、自分を取り巻く一番身近な層として透明な殻があって、内側は自分の空想の世界―イマジナリーフレンドとか、好きな本や漫画の世界とか―で満たされていた。
今もそれはある程度それは変わらないと思うのだが、当時はその殻がとても大きく厚く、ほとんど意識を外に向けることがなかった。
 そういう意味で、自分は幼稚園前から高校、大学の一時期に至るまで、社会性にほとんど成長がなかったのかもしれない。



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