見出し画像

『歩く哲学』 ありふれた日常を変える街体験   銀座花伝MAGAZINE Vol.49

#歩く哲学 #街歩き #大人の童話 #ありふれた日常を変える #アリストテレス


銀座4丁目の和光のウインドウに、白龍のオブジェを発見して、「そうか来年の干支は辰だった」と登龍に願いを込めてじっくり眺めてみる。

銀座5丁目、晴海通りのファッションブランドDiorの跡地に登場した小さなオニツカタイガーの蛍光イエローのえんぴつ店舗ビル。両サイドを海外のブランドに挟まれて窮屈そうな風景ではあるが、「日本のものづくりここにあり!」とばかりの威厳を放っていて、どこか誇らしい。

銀座の街の風景の中に見つける「日本」。

この街が遺し輝かせてきた文化をこれからもお届けし続けたいと願う。

今号では、「歩く」ことにフューチャーしながら、哲学的、童話的散策を深掘りしてみたい。人間にしかできない歩く文化はなぜ生まれたのか、古代アリストテレスから伝わる「歩く」=「人間」の軌跡とは何か。人間が人間であるための原点を探ってみたい。
また、銀座の街を哲学的に歩くことで生まれる、「ありふれたの日常を変える」散策の方法などをご紹介する。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していく。


朝日を浴びる 和光の白龍 2023/12-新春



1.  大人の童話  『歩く哲学』

ーありふれた日常を変える 街体験ー



 ◆プロローグ

世界三大童話といえば、アンデルセン童話、グリム童話、そしてイソップ童話だが、中でもイソップのそれは古代ギリシャ時代から伝わる寓話(集)で、イソップ寓話あるいはイソップ物語とも呼ばれている。

歴史の父と呼ばれるギリシャの史家ヘロドトスの名著『歴史(ヒストリエ)』は、前五世紀ペルシャ戦争を頂点とする東西抗争、東方諸国の歴史、ギリシャ人と異邦人とが果たした偉大な事跡が描きながら、世界で初めて史実を体系的に研究し、過去に起こった因果関係を解明しようと試みているものとされる。

そこでは歴史の正確さが最も重視され記録されているが、驚かされるのは、豊富に織りこまれた寓話の魅力である。
説話には「アリとキリギリス」「王様の耳はロバの耳」「北風と太陽」「金の斧と銀の斧」など私たちに童話として親しみ深い寓話が盛り込まれているのだ。

イソップは時に「哲学的」だと言われる。その理由は、しばしば課題や問題解決に直面した動物たちが創造的行動によってそれを乗り越えていくストーリーに哲学的・文化的な意義を見出せるからである。
「童話と哲学」。普遍的な人間の叡智が詰まっている、この視点で物事を捉えると面白いことが分かってくる。



◆歩行の哲学

私たちが何気なく毎日行っている「歩行」の中に、それを見出してみたいと思う。

歩行とは、バランスをとりながら当たり前にできている無意識な移動。なぜ人間は転ばないで進んでいるんだろう、果たして「歩く」とはどういうことなのだろうか、そんなことを考え始めたのは、筆者の仕事がきっかけである。

「街を散歩する」ことを趣味にしていた筆者が、そこに「物語」と「空間」「移動」の醍醐味をフィーチャーしたことが始まりだった。物語には「時間を培う人、商い経済」を、「空間」には老舗店舗というステージを嵌め込むことにした。もちろん「移動」は「趣味の散歩」である。

より具体的に言うと、路地を回遊することによって異次元や歴史を体験したり、歩きながら自らの感性を楽しみつつ、老舗空間に辿り着き、老舗の歴史、店主の商いに関する物語等を拝聴したりする中で過去・現在・未来や我彼を顧みると言う「散歩スタイル」を着想したことからである。

「歩く」を分解すると


ここでは、その要素のうち根源的な「歩く」という行為を分解してみたい。

人間が歩く姿をじっくり観察すると、片方の足をあげて、身体のバランスを崩し、倒れそうになったところで前方に着地、安定を取り戻す。と思った矢先にもう片方の足が地面から離れている。前に進むために、あえて不安定な状態を作り出しながら、崩壊と構築を際限なく繰り返す運動である。

ところで、歩くということはすごく地味で、時間がかかることだ。しんどさも伴う。そこをあえて、私たちは自分の足で歩く。歩く時の感覚は、他の誰かに代わって味わってもらうことはできないのだ。
保っていた安定を自ら手放すのをさぼり続けると、先に進めない。かといって距離を稼ごうと欲張れば転んで怪我をする。あくまでも一歩ずつ、ということが「ミソ」らしい。
これは正しく、人間の生きる姿勢と関連しているようではないか。

緊張しすぎて手足が同時に出る、などという滑稽なこともあるが、人は基本的に「歩く」ことを意識しない。赤ちゃんが初めて歩き出すときも、とりたてて何かを考えて、というよりは、筋肉が備わりさえすれば本能のまま手足を動かし、自然と歩行を身に着けるということからも分かる。人間は、「歩く存在」なのだ、と実感する。その過程は「思考する」のと同じことにも思え、それは動物のなかでもかなり人間だけが持つ一種独特なことなのだろう、と新しい発見をしたりする。


◆散歩の哲学

散策の人といえば、その代表は「アリストテレス」。中道を歩いた「ブッダ」、毎日決まった時間に散歩した「カント」、「ルソー」「ニーチェ」も哲学の新しい地平を「歩きながら」開いた。
「ギリシャ哲学者列伝」(ディオゲネス・ラエルティオス著)を紐解くと、哲学と歩くことの親和性を示した例は、枚挙にいとまが無い。

改めて、「哲学」とは何かを問うと、「人生・世界、事物の根源をあり方・原理によって求めようとする学問であり、経験から作り上げた人生観」でもあるのだそうだ。ギリシャ語 philosophia は、(=知への愛)の訳語で、「哲」は叡智(えいち)を表しているという。

筆者はそんな散策と哲学の効能に感化されて、アリストテレスには一方ならぬ憧れを抱いてきているのだが、少し深掘りしてみると、面白いことが分かってくる。

「ギリシャ哲学者列伝」では、アリストテレスを「散策の人」とあだ名されていた哲学者と紹介している。

アリストテレスはプラトンが開設した学園であるアカデメイアの指導を任されるはずだった。プラトンにとって彼は長い間一番弟子で、最良の生徒かつ精神の息子でもあり、アカデメイア内のあらゆる種類の講義を任せ、責任を委ねていたという。
ところが、アリストテレスが使節として出かけたマケドニアから戻ると、クセノクラテスが学頭に納まっていた。そのことについて次のように記されている。

「帰国して、学園が他の人間の指揮下にあるのを目にすると、彼はそこを去って、リュケイオン(古代アテナイの東にあったギュムナシオン。神域でもあった)を選び、体育場にある屋根付き回廊の遊歩道(ペリパドス)を行ったり来たりしながら、体に油を塗る時間が来るまで、弟子たちと哲学の問題を論じることにした。その事から『散策の人』というあだ名がつけられた。」

因みに古代ギリシャ人、少なくとも貴族たちは、レスリングや拳闘や、その二種類を組み合わせたパンクラティオンといった運動をするために、毎日のようにトレーニング場所へ通っていた。運動をする時は素っ裸で、体にオリーブオイルと細かい砂を塗る。後に私たちが理論家だと考えるようになる哲学者たちも、まずは毎日格闘技を楽しむスポーツマンで、頑丈な体をしていた。例えば、「プラトン(「広い」と言う意味)」は、本名はアリストクレスであるが、胸幅が広かったからそうあだ名されたという。

彼はトレーニングを行うために、夜明けとともに体育場に到着し、トレーニングに先立って時には何時間も周辺の柱廊、遊歩場、周歩廊を散策しながら、哲学のエクササイズをしていたと言うのだ。つまり、彼は歩きつつ考え、考えつつ歩くというスタイルを確立していたわけだ。ただし、その頃の哲学者は、数人で小さなグループを作って、散策しながら考えることが常であったようだ。

そのような中でも特別にアリストテレスが「散策の人、逍遥の人」と呼ばれていたのには他に理由があったに違いない。


◆アリストテレス 「歩く」から百科事典へ

同世代の哲学者の中でアリストテレスがオンリーワンであり、哲学の祖と言われたのは何故か。それは、動物がどんな風に歩くか、中でも人間が他の動物と違ってどんな風に歩くかを正確、詳細、かつ執拗な仕方で研究したのが、アリストテレスだけだったからである。

彼は、「動物運動論」「動物進行論」という2本の論文を書いていて、後者では、鳥と人間の二本足での歩き方の違いまでも比較している。
下肢のそれぞれが支えを交代するメカニズム、不均衡と取り戻し、転倒が始まっては持ち直す様を、身体を観察しつつ正確に描写しているのだ。

彼はそれだけで終わらなかった。歩きの構成要素とメカニズムを研究し、それが可能となる物理的条件を探った彼は、言葉と思考の関係、正しい論証の条件についても追求した。これがアリストテレスの独自だった点だと言われている。

さらに歩きと思考のメカニズムの解明にとどまらず、政治はどうやって歩くか、天体はどうやって歩くか、気候はどうやって歩くか、生命体はどうやって歩くか、感情は、魂は、文学や詩は、演劇や舞台芸術は・・・・、「歩く」を基軸に懸命に知ろうとしたのである。
「歩く」を出発点に、知識と思考の全部を一つにまとめて、百科事典のようなものの基礎を作ることが彼の目標だったというから、驚きである。

こんな風にごく私たちが当たり前に行っている「歩く」という行為を、哲学者の目で分解され、考察されたということについて理解を深めてみると、ありふれた事柄であっても深く考察することによって、それの真の実体が見えてくるような気になる。

アリストテレスは「歩く」=「人間」を発見した



◆ありふれた日常を変える 街体験


「歩く」を起点に、ここまで哲学的な視点をたどってきたが、哲学的な感性になったところで、こんな街の歩き方はどうだろうか。

あなたは、大切な問題の核心に気づかせてくれる何か、重たくなり過ぎずに起爆力を持つ出来事や最小限の刺激に出会うことができたら、どんなにか人生が示唆に富み楽しく感じられるだろう、と考えたことはないだろうか。

そのためのきっかけ作りに街でできることを探してみた。
銀座の街の中で実際に試したり、アレンジしたり、工夫したりする内に、今まで分かりきっていると思っていた実体が剥がれてくる実感を持てるとしたらどうだろう。
例えば、位置を変えてみる、歩道を横向に歩いてみる、視点を変えてみる、、、、最初は小さな変化に過ぎなくても別の角度から見ることができると、自分の周辺の景色がガラッと変わって見えてくるかも知れない。

銀座の街での「わかりきったこと」「ありふれたこと」を揺るがす体験をご紹介する。

  

■宇宙をひっくり返す体験 ーGINZA SIX  屋上で寝転ぶ


日曜日の朝がいい。

朝7時。GINZA SIX の屋上には商業施設階はまだ営業前だが、上がることができる。平日は1Fにあるスターバックスの入れたてコーヒーを持って始業前のリラックスタイムをと、 上がってくるOLやサラリーマンが多い。
日曜日がいいと言ったのは、こうした人達が日曜日のこの時間ならほとんどいないからである。なぜ人がいないといいのか、ここで大の字になって寝転びたいからだ。
そして日曜日のこの時間は、いつもは張られている水盤の水が落とされて、寝転ぶのに最適なただの大理石の台になっているのだ。

できれば夏の朝がいい。

雲一つない空を見上げながら、あなたは仰向けに寝そべっている、そんな時間を想像してみてほしい。乾いた水盤はひんやりして体に神秘の冷気を染み込ませる。
あなたが見つめるのは、空の途方もない広がりだけ。
地面に張り付いたような心持ち、とてつもなく広い空にほとんど押しつぶされそうになる心持ち、小さな微粒子になって永遠を仰ぎ見ているような心持ち、そんな状態に自身が満たされるようになるまで充分に時を待つ。

ここまでくると、あなたが実感するのは「天と地をひっくり返す感覚」だ。
それは、きっと宇宙をひっくり返すことと同じ感覚なのかもしれない。
不思議なことに、だんだん空が自分の眼下にあることに気が付く。あなたは空を見下ろしている。抗えない力によって空に釘付けにされているかのようだ。茫漠たる青空の深淵を見下ろしながら飛翔している。今にも、果てしない墜落が始まる予感がしてくる。
最初はうまくいかないので、目が慣れてくるのをただぼうっと待とう。仮想の3Dの画像を眺めている感覚に似た要領で、平な紙をじっと眺めるように。空に薄青い粒子がびっしり並んでいることに気づくと、それが記号に見えてくる。でもその記号には全く意味がない。

と、次の瞬間、突然全てがひっくり返るのだ。

全てが自分の下にあるように感じる。
ちょっとした弾みでそれは起きて、ふっと息を抜く、スルッと気が散ったり、一瞬ほかのことを考えたり・・・・。
そうこうしていると、身体が漂い始める。地面と無の間を通り抜け、気が付くと空からあなたは降りている。

時間にして1時間。

立ち上がる時はゆっくりとめまいで転ばないように。そろそろと歩き出そう。


大の字で見上げる空は宇宙のようだ

*2023.11.17〜2024.1.21  まで「Rooftop Star Skating Rink」開催中


■安らかな気持ちになるー昭和レトロビルの窓辺の光ダスト (奥野ビル)


人間がこの世で眺めることのできる光景の中で、ささやかなのにおそらく一番感動的で一番夢幻的なものがここにはある。

何千という小さな粒子が輝きとなって、明るんだり陰ったりしながら、ひるがえり、まわり、行きつ戻りつしながらあなたの眼前に展開する光景。

銀座のメインストリートのひとつ、柳通りを昭和通りに向かう途中にその空間はある。奥野ビル、築85年の昭和レトロのアートやデザインが詰まった建築物である。
かつては、「銀座アパートメント」と呼ばれ、銀座屈指の高級アパートだった。誕生した当時は目の前に三十間堀川(さんじっけんほりかわ)の柳並木があり、夕暮れ時になるとビルの前に縁台を出して西条八十をはじめとする文化人達が談笑しながら夕涼みをしたと聞く。第二次世界大戦の空襲でも焼失することなく、戦後は徐々に事務所やギャラリーとしての需要が高まっていった。
民間の住居では日本初のエレベーターを設置し、電話線も各室に引いていたという。各居室は3.5坪程度のワンルーム。現在は20軒ほどのギャラリーやアンティークショップが入り、アートビルとしての人気が高まっている。廊下の凹凸が、80年以上にわたり、多くの人々がここを歩いてきたことを物語っている。
設計は、同潤会アパートの設計も手がけた建築家・川元良一。大震災にも耐えられる頑丈な建物を目指しながら、仕上げの美しさにもこだわった。しっかりとした梁も、階段の手すりも、機能や強度を高めながらしっかりとデザインされていることからもそのこだわりがよく分かる。

現在に至るも美観を維持しているのは、建設当時の状態をできるだけそのまま残そうというオーナーの心意気の賜物で、しっかりメンテナンスを続けてきたことによる。水道管は、圧のかかる上水道の配管をすべて取り替え、外壁やエントランスのタイルが剥がれ落ちれば、剥がれたタイルをサンプルにして、同じようなタイルをつくってもらって張り直してきた。
現オーナーの奥野亜男氏の祖父・治助が、鉄道部品の製造で成功しこの地に部品工場を建設したのが始まりだったが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊してしまう。工場を大井町に移し、1932年(昭和7年)に銀座に残っていた土地に高級賃貸アパートメントを建設した。昭和に入って人口が急増し、住宅難が深刻化し需要が高まっていた時期だった。

竣工当時から設置されているエレベーターは、モーターやロープ、カゴは新しくしているが名物のイエローの扉はいまも自動開閉ではなく手動開閉式のまま。カゴの停止階を矢印で示すインジケーターも当時のままで、各階ごとにデザインがそれぞれ異なっていて楽しい作りだ。

そのタイムマシーンのようなエレベータに乗って、最上階手前の6階で降りる。
年季の入った廊下の奥にかなり暗い一室がある。以前はギャラリー出会ったが、今は空室、閉ざされた鎧戸の間に少しだけ隙間が空いていて、その隙間から一筋の光が射している。スルッと身体をその隙間に通して中に入り、あたりを眺めると円形窓から強烈な鋭い日差しが目に飛び込んでくる。

夕刻まで時を待つ。

差し込む光が次第に斜めになってくると、闇を貫く円筒状の光の中に、無数の煌めきが浮かび上がってくる体験をする。

人間がこの世で眺めることができる最高の夢幻的な光景。
何千という小さな輝きは、点になったり棒になったりしながら微細な羽毛や糸くずのようなふわふわしたものも光の中で舞っている。
崇高で、荘厳で、時に陽気な感覚を含みながら、渦を巻いたり、見失っていまいそうなほどの速さで意表を突く動きをしたりして、忙しなく揺れ、見え隠れしながら澄んだ輝きを放っている。

あなたは次第に恍惚の世界に引き込まれていく。

レトロな建物の一室での、奇跡のようなきらめきショー。
体験しているあなたは、その時間の密度の濃さに驚くはずだ。子供の頃の思い出、昔の遊び、故郷の田舎の家、洋服ダンスの匂い、が襲ってくるがそれは忘れて、目の前の円筒状の光とその中に輝く粒子だけを見つめてほしい。
ここで見えない世界が突然あらわになった感じを、これほど強烈にしかも手軽に味わえるのだ。
筒状に射し込んでいる光は、別世界の見本のようなもの。向こうの世界、裏側の世界、よその世界から私たちの世界に送られてきた宝物のようだ。

すぐ手の届くところに、私たちの知っている世界の中に、もう一つの世界が嵌め込まれているとしたら、私たちはただ近くにある鎧戸を開ける術を知らないだけかもしれない、そんな発見をする体験だ。


レトロビルの丸窓
隙間からの光の入り口


■我を忘れる体験ーていねいに字を書く(伊東屋 手紙ポスト)


書く時はまず手を使う。
ことによると脳よりも「手の働き」が一番大きいのかもしれない。


それを実感するには、頭に浮かんでくる考えを、どんなにつまらないことでも紙の上にひたすら書き続けること。同じリズムで、滑らかに、規則正しく。ここで大切なことは、どれほど重要なことを書くかではない。ここでは「意味」は重要なことではない。形よく、読みやすく、均整のとれた、明瞭な文字を、淀みなく整然と書きつけているという事実だけが最も大事だ。

銀座2丁目にある伊東屋 “Write&Post” は、そんな時間を作り出すには最適な場所だ。銀座中央通りを見下ろす窓際に、伊東屋が扱う筆記用具を使って文字を書く、さらには手紙を出すことができるというスペースがある。手紙で投函したければ、、手紙に添えるエンボッサー(型押しスタンプ)などを貸し出してくれるし、切手も購入できる。出来上がったら、スペース入り口にある伊東屋デザイン赤ポストに投函すればいい。
お気に入りの紙を選んで、あなたの目の前に置いてみよう。そして、自分の手の平のサイズに合ったペンを選ぼう。


銀座 伊東屋 “Write&Post”スペース


さあ、紙の上にペン先を乗せてみよう。

筋肉の正確で細かい動き、ペン先の短い軌跡に注意を集中させる。一文を書き終えても手を止めない。できるだけ間をおかずに次の一文に取り掛かる。同じリズムを保つ。思いつくままに、意味を問わずに何を書いてもいい。何を書いているかは考えない。今あなたが書いている、と言う事実だけで十分なのだ。テンポが速くなったり、遅くなったりしないように。ていねいに上手に書くことはもちろん重要だが、常に変わらない、単調でよどみないペースで書き続けることが重要だ。
速度を極力変えない、機械的に続けられるように、紙の上に何行も何行も、ひたすら書き続けていると、その「書く」という行為があなたのあらゆる意志と無関係になってくる。


そこに現れるのは、子供の頃の思い出? 買い物リスト? 新手の悪口? 休日の旅行先から出す絵葉書の文面? 打ち明け話? ラブレター? 事故の調書?・・

一方に、概念と構文と感情のざわめき、もう一方に書き綴られたものが持つ常軌を逸した勢い、機械的な勢いがある。常にペンは前進し、動いて行く。
整然と、くり返し、絶えず変わることなく。

そうしていると、言葉と思考とは別々のものだという実感が湧いてくる。操作され伝達される言葉、いつでも手に入りそうな陳腐な言葉を越えたところに、はっきりとはわからないが、あなただけの何か、枯れることのない独自の運動の流れを発見するはずだ。

その「何か」は、言葉が言おうとしていることとは関係ない。
書き綴られたものは、書き綴られたものでしかない。それは肉体、思考、筋肉を経て、目の前の紙の上に現れる。ペン先の泉は枯れることなく、あなた自身の表出として働く。

出来上がったあなたの「何か」が隠れた紙を、手紙にして切手を貼って、目の前のポストに投函してみよう。宛先はあなた自身に向けて。




■脚下照顧ー内省的に延々と階段を降りる体験      銀座4丁目の外降り螺旋階段


銀座中央通りの4丁目にある、ビルの外階段の螺旋には面白い魅力がある。

10階はあるビルの上から2、3階分歩く間に、降りるリズムというものがつかめてくる。できるだけ早い内に、規則正しい歩調、脚の運動、呼吸の間隔を確保する。それを考えずに歩き続けることができるようになること。全てが一刻も早く機械的になること。軽い目眩を感じるくらいの感覚が得られた時が、それらの条件がクリアしたという合図である。
そして、永遠にと立ち止まることなく階段を降り続けるんだな、と思ってほしい。螺旋の運動は際限なく続き、底はない。地獄も、純然たる製作物も、風化も、死もない。規則正しく、際限のない降下があるだけ。視界の果てまで、終わりはないと感じてみる。
この時、降りるに連れて、降り方をあなたなりに色々変えてみるのもいい。例えば、色のついた区域を通過するところを想像してみる。凍てついた階、焼け付くように熱い階、暗い階、明るい階を思い浮かべながら降りて行くのだ。

時には人で溢れかえっている階もあるし、人気がなく荒れ果てている階もある。階段のあたりは比較的手入れが行き届いているが、近くにはどんな人々が商いをしていて、どんな民族音楽が流れ、世界のどんな香りとどんな食習慣があり、岩壁にはどんな絵画が描かれているのか想像しながら。

そんなことを考えながら永遠に階段を降りていく感覚。
しばらくすると、階段の精霊のささやきが聞こえてくる。あなたは、とてつもなく厳粛な気分でこの螺旋階段に対して賛美を始めることになる。

これはエレベータを使ってしまうと、体験できない特別な時間だ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆エピローグ


『「歩く」ことが人間と世界をつなぐ母体のようなものだ』と述べたのは、フランスの哲学者・ロジェ・ポル・ドロワだった。「歩く」ことに注目が集まって以来、近年アメリカでもジェンダー・スタディーやウォーキング・スタディが話題に登るようになり、歩きについて文化比較研究や人類学的研究が盛んに行われるようになった。

考えてみれば、私たちは身体一つで支えもなしに、機械エンジンもなしに、歩き続けることができる。なんと素晴らしい才能を人間は身につけているのだろうか、と感嘆する。

そして、この原則は歩くことだけに止まらない点が興味深い。体が歩みによって前へ向かうのは、文章が次の言葉につながり、思考が次の着想に発展していくのと同じであるからだ。どんなことも後ろ向きには進まず、身体も思考も、時間も言葉も前に進む。

 今から20年前に、筆者は背中を押されるように「歩く」ことを端緒に、「街を歩くこと」で教養や感性を磨くというプログラムを提供してきた。その背景に何があったのか、改めて考えると、その昔アリストテレスが「人間と歩く」ことが生きる原点であるという「解」」を世界に提供してくれたお陰かもしれないという気がしてくる。

古代の時間の記憶が、現代の私たちの中に脈打ち生き続けていることに感動するのは、筆者だけだろうか。
                                       



2.銀座情報 GINZA SIX  スケートリンク

「Rooftop StaSkating Rink」

クリスマスシーズンから新春に向けて、GINZASIX  屋上において期間限定でスケートリンクが登場している。樹脂を使用したリンクは電気を使用していないためエコであり、服が濡れない嬉しいメリットもある。今年は、エコリンクでありながら昨年よりも滑りやすい樹脂リンクを新たに採用したこともあり、子供たちも安心して滑ることができるのが嬉しい。 リンクの周りのもみの木にはクリスマスの装飾が施され、夜には煌びやかなイルミネーションも見所になっている。

中銀カプセルタワーとコラボ

また、今年はかつて銀座にあった中銀カプセルタワービルをオマージュしたオブジェも設置された。BGMは、70~80年代に流行したシティポップやクリスマスソングが流れ、過去と現代が交差する「Hello Again」な空間を演出し、芝生エリアの一部には、着席可能なチェアも置かれ寛げるエリアになっている。


GUNZA SIX屋上のスケートリンク


かつての中銀カプセルタワー


↓「Rooftop StaSkating Rink」の営業内容



3.編集後記(editor profile)


「ZEN MOVIE」と呼ばれている映画があることをご存知だろうか。

現在全国公開されている映画「PERFECT DAYS」(2023)である。
ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダーズと日本を代表する俳優・役所広司の美しきセッションで実現した「小さな聖域」で生きる一人の男の物語である。

小さな聖域とは、公衆トイレのこと。主人公の平山(役所広司)は、公衆トイレを清掃することが仕事だ。毎日いくつもの東京渋谷にある風変わりなトイレを清掃して回る。隅々まで、汚れを落とし磨き続ける姿は、「他人のために生き、それをひたすら繰り返す」姿そのものだ。そのトイレの磨き方は、まるで修行する僧侶のように見える。

その姿は、尊く美しい。

下町の古いアパートで一人暮らしする彼は、早朝、老女が掃除する竹箒の音で目を覚まし、薄い布団を畳み、歯を磨き、髭を整え、清掃のユニフォームに身を包み、車のキーとガラケーと小銭をいつものようにポケットにしまい、ドアを開ける。そしていつものように空を見上げる。
掃除を終えると夕方には銭湯へゆき、いつもの地下の居酒屋でいつものメニューを頼み、そして寝落ちするまで本を読む。愛読書のひとつは「木」(幸田文著)だ。唯一の趣味といえば、清掃の合間に見つける木漏れ日をフイルムに収めること。

ヴィム・ヴェンダー監督は、公園にいる踊るホームレスや銭湯で出会う愛らしい老人たち、古本屋の的確な書評を言い放つ女店主、日曜だけ通う居酒屋のママの姿を丹念に拾い集め、モノクロの木漏れ日の画像とともに観客に「愛おしい日本の暮らし」を届けてくれる。

監督の言葉が胸に迫る。
「選びとった人のために生きる」という澄み渡るルーティンは、孤独を遠ざけ、彼を「幸福」にしている』

そして、
『物を持ちすぎている自分の生活を恥かしく思う』

この映画に「ZEN MOVIE」の異名がついた理由がわかるような気がする。

より良く生きるとは何か。
満たされた生き方とはどういうものか。

そうした根源的な問いに少しでも近づきながら、新しい年をシンプルに丹念に行きたいと強く願う。

本日も最後までお読みくださりありがとうございます。
          責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊
  



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?